どんな議論でも、誰が正しくて、誰が間違っているのかと言うのは難しいものです。

自分がその議論に関係がある場合は、自分が間違いなく正しいと思うでしょうが、それ以外の時は難しいですよね?

つまり、自分は正しくないかもしれないということです。

人は、自分が間違っていると知るのは難しいということ、そして、一度自分が取った立場を撤回するのはさらに難しいということに気づいています。

「知的な謙虚」とは?

謙虚になるために必要なことを研究している、多くの社会科学者にインタビューしてきた「Vox」のライターBrian Resnickは、そのような能力を「知的な謙虚」と呼んでいます。

知的な謙虚は、自信がない状態や内気なこととは違い、好奇心が中心となっています。

自分が間違っているかもしれないという可能性を面白がり、相手の経験から学ぶことに対してオープンであることです。知的な謙虚は、自分が無知のことに対して積極的に興味を持つことです。

理想的な科学的検証の実例として、科学者は結論を出す前に積極的に自分の仮説とは反対のことをして、その現象に対するその他の説明を排除しようとします。「ここで見落としていることは何か?」と自問するのです。

議論を終わらせる最初の人間になること以上に、知的に謙虚であることのメリットはあります。

内省し、疑問を持つことができる人は、より良い批判的な思考ができたり、“フェイクニュース”から本当のことを読み取ることができる人になることが多いです。

自分が実際に発した言葉を含め、あらゆることに疑問を持つ人を馬鹿にすることは難しいです。

自分の脳を理解する

人間は、測定可能な明白なものを真実として考える傾向にありますが、2人の人間が同じものをまったく違うように感じたり受け取ったりするのも事実です。

その人の経験や背景のせいだけではなく、脳が情報をいかに処理するかという違いが原因のこともあります。

Resnickは「Yannyか、Laurelか」の議論や、「The Dress」の色をめぐるひどい議論を例にあげ、人によって音や見た目が異なって感じることを説明しています。

光が目に入り、音が耳を震わせ、化学物質が鼻腔に漂う時、それが何なのかを予測するのはその人の脳次第です。

したがってまず最初に、その人が話していることについてわかっていないとか、嘘つきだと思い込むのではなく、単に脳が情報を異なって処理しているのかもしれないと考えてみましょう。

脳の働きとして興味深いもう一つの点は、人間は嘘を頻繁に聞けば聞くほど、それを真実だと考える可能性が高くなります(現在の世界の状況を見てもわかるでしょう)。

繰り返し何かを聞くと理解しやすくなり、理解しやすいと感じるものを“事実だ”と考えるようになるのです。

わかりやすいと感じるからといって、それが事実というわけではないということを覚えておくことが大事です。

最後に、人間の記憶というのは頼りないものです。記憶は自分の歴史や自分の意識の拠り所なので、このことに向き合うのは難しいです。

記憶がなくなったり、混乱したりすると、恐怖を感じます

一般的に、恐怖は怒りにつながり、怒りは闘いにおいてまったく役に立ちません。2人の人が起こったことに対して同意できない場合、両者とも真実を言っているかもしれないし、単に記憶が違うだけなのかもしれません。

少しずつ謙虚さを取り入れる

自分の記憶や信じているものすべてに疑問を持つことに対して、不安を感じないようにするには、少しずつ知的な謙虚を自分の生活に取り入れるようにしましょう。

コネチカット大学の哲学教授Michael Lynchは、人間には個人的な信念が必要で、それがバランスの取れた行動をすることだとResnickに語っていました。

あなたや私、考えることのできるあらゆる人間が直面する、個人的な疑問、経験的な疑問は、「どうすれば他人に対して心を開き続け、同時に自分の倫理的な信念を強く保ち続けられるか?」であり、それが私たちすべてにとって問題なのです。

それはつまり、自分の信念を見直すことにオープンであること、信念を変えたり成長させたりする余地を与えること、信念の欠陥に疑問を持つことです。

そして、自分が間違っていることがわかった時は、それを認めることを学びましょう。

自分が間違っていることを認める

当然ながら、これが一番難しいです。

しかし、他の人の視点や考え方を取り入れてもいいと思っているなら、ぜひやってみましょう。

やるのは難しいですが、Resnickによると、他人からの批判は、自分で自分を批判するほど厳しくないという事実に、いくらか安堵するはずです。

テキサス大学エル・パソ校の社会心理学者Adam Fettermanは、いくつかの研究で、間違いを認めることは大抵の場合厳しく非難されないと発見しました。

「自分が間違っていると認めている人を見ている時、間違いを認めた人は、より友好的で仲間として見られている」と言っています。

Fettermanの研究では「あなたが間違いを認めた時に、人があなたが能力が低いと考えること」はほとんどありませんでした

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Image: George Becker/Pexels

Source: Vox, Wikipedia(1, 2

Aimée Lutkin - Lifehacker US[原文