「ここ、連れ込み宿でしょ?」
ある日の夜、いつものように近所のカフェで原稿を書いていると、突然、バン、と大きな音を立てて扉が開き、
「何、ここ、どういう場所?」
金髪の大柄な男が、ビールを片手になだれ込んできた。
「ここ、あれでしょ?連れ込み宿でしょ?」
ゲストハウスの一階にあるそのカフェは、外国人旅行客と地元の常連が入り混じり非常に和やかな雰囲気だった。
私は眠れない時や締め切り間際、家から徒歩数分のそのカフェに出かけて行き、深夜まで原稿を書くことが多かった。
「あ、わかった、ここラブホでしょ? この場にいる人たち、これから全員パコるわけだ」
それまで流れていた静かな空気とはまるで不釣り合いな大声に、驚いて皆、顔を上げた。
男は酔っているらしく、足元がおぼつかない。
片手に持ったハイネケンのビンが、ふらふらと空中をさまよっている。
「デリヘル呼んでも良い? そういう宿なんでしょ? それともお兄さんが呼んでくれんの?」
男は私たちのことなどまるでお構い無しに、レジ・カウンターのお兄さんに絡んでいる。
まるで、この場を満たしていた心地いい空気を巨大な手でくしゃくしゃに丸めてしまうみたいに。
20代半ばのお兄さんは、40前後のその男をどう「いなそう」か迷っているといった風に、困り顔でニヤニヤ笑っている。
単なるモノとして見られ…
心臓がものすごい音でばくばくし始めた。
この場の空気を乱しているのは紛れもなくこの男の方なのに、なぜだか私の方がこの場に相応しくない、巨大な手でつまみ出されるべき存在で、この男の持ち込んだ雰囲気の方が正当であるかのような気がして来た。
「それともこの中から選んで良いの?」
男はそう言って、カフェスペースにいる私たちの方に視線を向けた。なんだかすごく嫌な予感がした。
レジのお兄さんが何かを言いかけたその瞬間、男は
「じゃあ、3番!」
と大きな声で叫んで私を指差した。
緑のハイネケンを持った、左手の中指で。
さあ、と顔が熱くなった。