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官房長官の会見をめぐる東京新聞・望月記者排斥問題で何が問われているのか

篠田博之月刊『創』編集長
東京新聞2月20日付「検証と見解」(筆者撮影)

 東京新聞の望月衣塑子記者の官房長官会見での厳しい突っ込みと、それを排斥しようとする官邸との攻防がいまだに続いている。これは、会見とは何なのか、記者クラブとは何なのかという、ジャーナリズムにとって極めて大事な問題を提起している。何が問題なのか整理しておこうと思う。

 この1年余の望月さんの官房長官会見での突っ込みについては、彼女を救世主のようにもちあげる人もいる一方で、ジャーナリズムについてそれなりに見解を持っている人の中に彼女のやり方を「パフォーマンスだ」と冷ややかに言う人もいる。私はどちらにも違和感を持っているのだが、後者についていうと、もちろん望月さんのやっていることはある種のパフォーマンスという面はあると思う。

 私の編集する月刊『創』(つくる)はこの間、この問題を何度も取り上げ、望月さんにもインタビューしてきたが、例えば彼女は2017年12月号で、今のように官房長官会見に足を運ぶようになった経緯をこう語っていた。

「私は社会部ですが、菅官房長官の会見をニュースで見ていて、告発文書を怪文書と言ってみたり、ご指摘には当たらないと煙に巻いてしまったりする様子を見て、ありえないでしょう、と思ったんです。しかも、それに対して記者が追及しないのも不思議でした。それで政治部の部長に出席させてほしいと申し出たら、あっさり了解してもらえたんです」

 森加計問題での前川文書を怪文書扱いするなどの官房長官のあまりにひどい発言に憤りを持ったというのが大きな理由だが、もうひとつ、それを記者が追及しない記者会見って何なのだ、という疑問だった。つまり彼女の官房長官会見への乗り込みは、会見のあり方に一石を投じようという問題意識にも基づいていたわけだ。だからその意味ではパフォーマンスの面を持っていることは織り込み済みだ。

 以前から指摘されてきたが、日本においては、他社も同席する記者会見では大事な情報は明かさず、夜討ち朝駆けで聞き出せという考えがまかり通ってきた。それによって記者会見は形骸化の一途をたどってきた。官房長官が一方的な見解を語るのに対して、さしたる反論もせずにひたすらパソコンを打ち続けている記者のあり方が問題なのは明らかだろう。

 彼女のやっていることはある意味で、現在の会見、あるいは記者クラブへの問題提起でもあり、それゆえに官邸側は、内閣記者会と望月記者の間にくさびを打ち込み、彼女を孤立化させようとしてきたのだった。問題になっている昨年12月28日付の官邸側の文書にはこう書かれていた。

《東京新聞の当該記者による度重なる問題行為については、総理大臣官邸・内閣広報室として深刻なものと捉えており、貴記者会に対して、このような問題意識の共有をお願い申し上げるとともに、問題提起させていただく次第です。》

 「問題意識の共有」というのは、一緒になって望月記者を排斥してほしいという露骨な要請で、内閣記者会もさすがにこれには困惑し、受け取りを保留して文書をクラブの掲示板に貼ったままで放置したらしい。

2月5日の新聞労連声明まで「問題にならなかった」という問題

 それが今年の2月になって急に問題になったのは、新聞労連が5日に正式に抗議声明を発したからだ。それを機に、野党が政権を追及したり、19日には学者や弁護士らが抗議声明を発したりと、一気に争点になった。

 新聞労連が気が付いて抗議するまで1カ月以上経っていることをジャーナリズムの機能が弱っていることの現れだという指摘も少なくない。なぜこんなひどい圧力めいた要請文を1カ月以上も問題にしなかったのか、という批判だ。

 実を言えば、この文書の存在を当初から認識していた内閣記者会の加盟各社の中で、これをいち早く取り上げた社もあったのである。

 産経新聞だ。同紙は12月29日付で「『誤認』の再発防止を 官邸が記者会に要請」という見出しで、経緯を報じている。といっても、2月以降問題になったのとはむしろ逆の問題意識からで、この見出しではまるで望月さんの質問が「事実誤認」だったと言わんばかりの報道だ。それゆえに他社がそれを黙殺し、問題は棚上げになってしまった。

 2月5日の新聞労連の抗議声明はこう書かれている。

《首相官邸が昨年12月28日、東京新聞の特定記者の質問行為について、「事実誤認」「度重なる問題行為」と断定し、「官房長官記者会見の意義が損なわれることを懸念」、「このような問題意識の共有をお願い申し上げる」と官邸報道室長名で内閣記者会に申し入れたことが明らかになりました。

 記者会見において様々な角度から質問をぶつけ、為政者の見解を問いただすことは、記者としての責務であり、こうした営みを通じて、国民の「知る権利」は保障されています。政府との間に圧倒的な情報量の差があるなか、国民を代表する記者が事実関係を一つも間違えることなく質問することは不可能で、本来は官房長官が間違いを正し、理解を求めていくべきです。官邸の意に沿わない記者を排除するような今回の申し入れは、明らかに記者の質問の権利を制限し、国民の「知る権利」を狭めるもので、決して容認することはできません。厳重に抗議します。》

 よくまとまった声明だが、新聞労連の南彰委員長によると、問題の官邸側の要請文に気が付いたのは、雑誌『選択』が2月1日にウェブで「首相官邸が東京新聞・望月記者を牽制 記者クラブに異様な『申し入れ書』」と題してアップした記事だったらしい。実はこの前後に、ネットでも「リテラ」が同様の指摘を行っていたし、2月7日発売の『創』3月号でもフリーライターの横田一さんが沖縄報道をめぐる原稿でそれについて言及していた。

 産経新聞が記事にしてもいるのに1カ月以上経ってからこんなふうに問題になったという経緯にも、今のジャーナリズムの問題点が含まれている気がする。本当なら、昨年末の時点で内閣記者会できちんとした議論が行われるべきだったことは明らかだろう。

2月20日付けの東京新聞の「検証と見解」に現れた決意

 ただ、いったん争点化してからのジャーナリズム側の対応は、それなりのものだったとは思う。労連委員長の南さんはもともと朝日新聞政治部記者で、昨年まではまさに渦中の内閣記者会に属して、望月さんの問題提起を受け止めて官邸への追及を行っていたジャーナリストだ。それゆえ、朝日新聞は労連の声明以降、割と紙面をさいてこの問題を報じてきた。

 当の東京新聞も、経緯についてはずっと記事にしており、加古報道局次長がコメントをしていた。しかし、東京新聞報道局として見解を全面展開したのは2月20日の1ページを丸々使った「検証と見解/官邸側の本誌記者質問制限と申し入れ」だ。いやあ、これはなかなかすごい記事だ。東京新聞の並々ならぬ決意が紙面から伝わってくる。東京新聞はwebでも同記事を全面掲載しているから未読の人には読むことを勧めたい。

https://www.tokyo-np.co.jp/hold/2019/kanbou-kaiken/list/19022001.html

検証と見解/官邸側の本紙記者質問制限と申し入れ

 この記事では、まず「『辺野古工事で赤土』は事実誤認か」という見出しのもとに、辺野古の現状を示し、「官邸側の『事実誤認』との指摘は当たらない」と結論。次に「内閣広報官名で文書 17年から9件」という見出しで、官邸が「表現の自由」に矛先を向けている現実を示した。また「1分半の質疑中 計7回遮られる」と題して、明らかに望月記者が会見で質問を妨害されている事実を具体的に指摘した。

 記事には臼田信行編集局長の「会見は国民のためにある」という見解が書かれていた。末尾はこうだ。

《記者会見はだれのためにあるのか。権力者のためでもなければメディアのためでもなく、それは国民のためにあります。記者会見は民主主義の根幹である国民の『知る権利』に応えるための重要な機会です。

 だからこそ、権力が記者の質問を妨げたり規制したりすることなどあってはならない。私たちは、これまで同様、可能な限り事実に基づいて質問と取材を続けていきます》

 東京新聞がそんなふうに毅然とした姿勢を示したこと自体が新聞界に波紋を広げた。例えば毎日新聞がそれを機に大きな報道を行うようになった。2月21日付紙面で「官邸記者質問対応要求 取材の権利制限か」と大きな記事を掲げ、サブタイトルで「専門家『批判者を排除』」、中見出しで「東京新聞『事実誤認当たらず』」と、政権に批判的な見方を示した。続いて24日には「菅官房長官の記者会見 自由な質問を阻む異様さ」と、社説でこの問題を取りあげた。

日本ペンクラブも会長名で声明

 私が言論表現委員会副委員長を務める日本ペンクラブ言論表現委員会も22日にこの問題を議論し、日本ペンクラブでも声明を出すことになった。やはりそこでも当事者である東京新聞が明確な姿勢を打ち出したことが声明を出すひとつの後押しになった。このペンクラブの声明は、3月1日に吉岡忍会長名で発せられた。まさに吉岡節とも言うべき文体で、ここに全文を引用しよう。

《いったい何を大人げないことをやっているのか。内閣官房長官と首相官邸報道室のことである。両者は昨年末、内閣記者会に対し、東京新聞記者の質問が「事実誤認」「問題行為」であるとして「問題意識の共有」を申し入れたのを手始めに、2ヵ月が経ったいまも、同記者の質問に対し、「あなたに答える必要はない」と高飛車に応じている。

 官房長官の記者会見は、記者がさまざまな角度から政府の政策を問い質す場である。その背後に国民の「知る権利」があることは言うまでもない。質問に誤解や誤りがあれば、それを正し、説明を尽くすことが官房長官の仕事ではないか。「答える必要はない」とは、まるで有権者・納税者に対する問答無用の啖呵である。

 そもそもこの問題には最初から認識の混乱がある。官邸報道室長が内閣記者会に申し入れた文書(昨年12月28日付)には、会見はインターネットで配信されているため、「視聴者に誤った事実認識を拡散させることになりかねない」とあった。

 ちょっと待ってほしい。政府は国会答弁や首相会見から各種広報や白書の発行まで、政策を広める膨大なルートを持っている。問題の官房長官記者会見も「政府インターネットテレビ」が放送している。仮に「誤った事実認識」が散見されたとしても、政府には修正する方法がいくらでもあるではないか。それを「拡散」などとムキになること自体、大人げないというべきである。

 私たちは今回の一連の出来事に対する政府側の対応を、なかば呆れながら見守ってきた。この硬直した姿勢は、特定秘密保護法、安保法制審議、いわゆるモリカケ問題から、最近の毎月勤労統計不正、沖縄県民投票結果への対応までほぼ一貫し、政府の資質を疑わせるまでになっている。

 私たちが懸念するのは、これらに見られた異論や批判をはねつけ、はぐらかす姿勢が、ものごとをさまざまな角度から検討し、多様な見方を提示し、豊かな言葉や音楽や映像等で表現しようとする意欲を社会全体から奪っているのではないか、ということである。これは一記者会見のあり方を超え、社会や文化の活力を左右する問題でもある。

 私たちは官房長官と官邸報道室が、先の申し入れ書を撤回し、国民の知る権利を背負った記者の質問に意を尽くした説明をするよう求めるとともに、報道各社の記者がジャーナリストとしての役割と矜持に基づき、ともに連携し、粘り強い活動をつづけることを期待する。 

2019年3月1日    一般社団法人日本ペンクラブ会長 吉岡忍》

http://japanpen.or.jp/statement20190301/

そもそも記者会見とは何なのか、何であるべきなのか

 官邸の記者会見に対する対応を批判するとともに、そもそも記者会見とはどういうものなのか、その持つ意味を改めて考えてみようと提起した声明だ。その中でも指摘しているが、昨年12月28日の官邸側の文書にはこう書かれていた。

《改めて指摘するまでもなく、菅官房長官は、官邸ホームページ上のインターネット動画配信のみならず、他のメディアを通じたライブ配信等も行われており、そこでのやりとりは、官房長官の発言のみならず、記者の質問も、国内外で直ちに閲覧可能になります。そのような場で、正確でない質問に起因するやりとりが行われる場合、内外の幅広い層の視聴者に誤った事実認識を拡散させることになりかねず、その結果、官房長官記者会見の意義が損なわれることを懸念いたします。》

 会見がネットなどでライブ配信されている現状に鑑みて、官邸が事実と認めないような質問は控えるようにという露骨な要請だ。12月26日の会見で望月さんが突っ込み、菅官房長官が事実誤認と非難したのは、沖縄辺野古埋め立てをめぐる「赤土」問題だった。これはいまだに事実はどうなのか決着はついていない。

 東京新聞は2月22日の社会面トップで「赤土疑惑論点ずらす」と題して、赤土問題を含め、辺野古埋め立て強行を追及する記事を掲載した。望月さんの関わっている「税を追う」という長期取材のチームの署名記事だが、事実を検証することをもって政権の見解が誤りかどうか明らかにしようというジャーナリズムならではの手法だ。

  

 今回の問題は、東京新聞が官邸と異なる見解を正面から掲げたことで新たな局面に入ったともいえる。ぜひお願いしたいのは、これが一東京新聞、ないし望月記者一個人の問題ではないことをマスコミ界全体が認識してほしいということだ。

 テレビに対して揺さぶりをかけ続け、今度は新聞に対してもくさびを打ち込んで揺さぶりをかけようとしている安倍政権の意図が貫かれてしまうなら、マスメディアはどんどん萎縮していくことになるだろう。何しろ会見のような目立つ場で政権批判をやるようなことは許さないと政権側がアピールしたわけだ。

 メディアの側が、安倍政権に押されて萎縮への道を歩んでしまうのかどうかは、今回のような問題一つ一つについて、きちんと議論し検証することができるかどうかにかかっていると思う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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