藤本健のDigital Audio Laboratory

第799回

ベルリン・フィルを4K+ハイレゾで日本でもライブ鑑賞実現へ。配信の舞台裏

2月28日、インターネットイニシアティブ(IIJ)がプレス向けに「4K映像xハイレゾ音源 ライブ中継」と題した発表会を行なった。ここではドイツでゲネプロ中のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を生中継し、4Kの映像+96kHz/24bitのオーディオという構成でライブ・ストリーミング配信。

ベルリン・フィル「4K映像xハイレゾ音源 ライブ中継」

今回の取り組みがどんな意味を持つのか、一般ユーザーはこうしたコンテンツを見ることが可能なのか、実際どんな機材やソフトを揃えればいいのかなど、今回の仕組みを取材してきた。

発表会が2月28日に行なわれた

IIJとベルリン・フィル協力の背景

IIJはインターネットを利用した映像、音声の配信と品質向上について、1995年から取り組んでいるという。2015年からはコンサートや楽曲コンテンツをハイレゾでストリーミングするPrimeSeatというサービスを展開している。

映像/音声配信への取り組み
PrimeSeat

これはWindowsおよびMac用にPrimeSeatという無料のソフトウェアをインストールすると、オンデマンドで各種コンテンツを再生できるほか、ときどき生放送で配信されるコンテンツも登場するというユニークなものとなっていた。ここではPCMのほか、DSDでの配信も行なわれ、ベルリン・フィルの公演をDSD 11.2MHzでライブ配信したこともあるなど、かなり実験的ながら未来を感じさせてくれるサービスをこれまでも展開させてきた。

今回の「4K映像xハイレゾ音源」は、PrimeSeatとはまったく別のものとして発表されたもので、PrimeSeatのようにIIJが主体的にサービスを展開するというわけではないようだ。技術的に、またシステム的にもすぐ実現が可能になったので、IIJが実際の内容を披露したいということで行なわれた発表会だった。

IIJの代表取締役会長の鈴木幸一氏は「3、4年前からハイレゾの実験を繰り返してきました。元来、放送と通信の技術はまったく異なるものですが、融合していくのは必然だと考えてきました。そして新しい技術によって、これまでとはまったく違う世界が作れるはずと模索してきたのです。そして今回、4Kとハイレゾを組み合わせたライブ中継という、世界でも初めてのストリーミングにこぎつけました。当初はもう少し早く実現するつもりでしたが、ようやくここまで来ました」と語る。

IIJの鈴木幸一会長

今回の取り組みについては「この高精細な映像とサウンドで、実際にコンサートホールにいるような感覚を味わえるようにしています。将来的には8Kなど、さらにリアリティーを増していくことになると思いますが、今回の実験をメルクマールとして、さらに鋭意努力していきたいと考えています」と話していた。

大のクラシック音楽ファンとして知られ、現在の「東京・春・音楽祭」の前身である「東京のオペラの森」の2005年の立ち上げから携わり、長年実行委員長を務めてきた鈴木氏。だからこそ、ベルリン・フィルという強力なコンテンツを引っ張ってくることができたのだと思うが、ベルリン・フィル側も、IIJと長年実験を繰り返しているのは、IIJとの思惑が合致していることがあるようだ。

今回の発表会にはベルリン・フィル・メディアの取締役、ローベルト・ツインマーマン氏も出席。同社はベルリン・フィルの子会社であり、ベルリン・フィルの活動を、メディアで広めることを目標に活動している。「2008年より配信サービスのデジタル・コンサートホールを展開しており、2009年には自主レーベルを作るなどの活動もしています。そうした中、IIJとはストリーミングパートナーとしてストリーミング技術でサポートしてもらってきました。ご存知の通り、ベルリン・フィルは世界最高峰の楽団の一つですが、ほかの楽団とは少し異なり、常に最新の技術に高い関心を持ってきたことが挙げられます」と説明。

ベルリン・フィル・メディアのローベルト・ツインマーマン取締役

その内容としては「1940年代、磁気テープをいち早く使ってレコーディングを行なうようになり、カラヤンとともに数百枚のレコーディングもしています。また、CDの規格が74分になったのは、カラヤンの親友であった、ソニーの大賀典雄にカラヤンが進言したからだ、と言われています。このようにベルリン・フィルは技術のDNAを引き継いできており、常に新しい挑戦をしているのです。10年以上続くデジタル・コンサートホールでは年間50回以上のライブ中継を行なうとともに、数多くの演奏をオンデマンド再生できるようにもしています。我々としても可能な限り最高の音質、最高の画質で届けていきたいと考えています」とツインマーマン氏は語る。

そのデジタル・コンサートホール、当初は720pだったのがフルHDになり、さらに2017年にはパナソニックのプロ用技術を用いることで4K/HDRに進化していったとのこと。一方で、ベルリン・フィル側はハイレゾ化にもかなりこだわっていることもあり、今回のテスト配信へとつながったようだ。

4K映像と96kHz/24bitでリアルなコンサート体験。対応機器も拡大へ

IIJの経営企画本部 配信事業推進部 担当部長の冨米野孝徳氏は、今回の4Kxハイレゾのライブ・ストリーミングについて「形的には1:1の接続となってはいますが、そのまま全国のご家庭への配信も可能になっているので、決して特別な環境での視聴というわけではありません。ネット回線さえあれば、だれでも視聴可能なライブ・ストリーミング配信がいよいよスタートとなったのです」と説明する。

IIJの冨米野孝徳氏

今回は約20Mbpsでのストリーミングとなっているが、冨米野氏によると、20Mbpsの内訳としては映像が15Mbps、サウンドが2~3Mbps、オーバーヘッドを入れてトータル20Mbpsとのこと。映像は4K(HDR/HLG)H.265、サウンドはPCMの96kHz/24bitのMPEG-4 ALSつまりロスレス圧縮となっている。

配信概要

元となる映像およびサウンドは、ベルリン・フィル側からデジタル信号でもらい、それをIIJ側のシステムに流し込んで、ロンドンを経由して高速回線で東京へと伝送している。もう少し具体的に見ていくと、まずサウンドのほうは、会場の天井から吊り下げられている約60本の指向性の高いマイクを使用。前出のツインマーマン氏によると、その多くがSCHOEPSおよびNEUMANNのマイクとのこと。このマイクそれぞれにA/Dコンバータが取り付けられており、ここからMADIを通じてコンソールに送られ、エンジニアがリアルタイムにミックスしてステレオにし、AES/EBUでIIJ側に渡している。

配信構成図

一方、パナソニックの4Kカメラも10台以上投入されており、それをベルリン・フィル側の映像チームで画像を切り替えながら1つに集約。このビデオ信号とオーディオ信号ををエンベデッダと呼ばれる機材を用いて1つのビデオ信号にまとめる。そのエンベデッダには日本のメーカー、レゾネッツ・エアフォルクス社のSDI-AESという機器を用いている。ただし、この合わせる時点でビデオには遅延が出ているため、それに合わせるようにオーディオにディレイをかけているとのことだ。

この時点では13Gbpsもの転送レートとなり、インターネットにそのまま載せるのは不可能。そこでこの映像データをエンコーダを用いて圧縮する。これにはNTTエレクトロニクスのHEVCリアルタイムエンコーダー、HC11000というものが用いられている。これによって前述の20Mbpsとなり、ストリーミング可能な転送レートになる。この20Mbpsの信号をいったんロンドンにあるIIJの設備へと伝送。ロンドンと東京間はIIJの超高速回線があるので、これを通して東京へと信号が送られてくる。それをCDN(コンテンツ・デリバリ・ネットワーク)へと送り、会場へ配信されてきたのだ。

最終的には、この送られてきた信号をデコードし、映像は大型4Kディスプレイへ、またオーディオはアンプを通じてスピーカーを鳴らすわけだが、会場ではこのデコード用にパナソニックの小さなセットトップボックス(STB)が用いられていた。ここには伝送されてきた信号を受け取るイーサネットの端子があるほか、ディスプレイへ接続するためのHDMI出力、およびUSB-DACに接続するためのUSB端子がある。USB端子のほうは、下に置かれていたTechnics(テクニクス)のネットワークオーディオプレーヤーへと接続され、それが同じくTechnicsのスピーカーへ出力されていたのだ。

パナソニックのSTBを使用
Technicsのネットワークオーディオプレーヤーで再生

今回使われていたのはパナソニックのSTBだったが、同じく会場で展示されていたNTTぷららの機材でも同様のことができるという。ただ、このSTBも必ず要るというわけでもないようだ。冨米野氏によると、WindowsおよびMac用にNeSTREAM(ラディウス製)というアプリが開発されており、これをインストールして使えば、STB不要で4K+ハイレゾ音源という信号を再生することができるようだ。さらにはAndroid TVなどでも同様のことができるので、再生環境はより幅広くなるようだ。

NTTぷららの機材も対応
ストリーミングアプリなども開発
視聴環境の例

そうした説明がある途中で、画面はベルリンからの映像に切り替わり、演奏が聴こえてきた。確かに4Kでハイレゾ、しかもパナソニックの大画面ディスプレイとTechnicsの高級なスピーカーを鳴らしているだけあって、非常に臨場感あるものとなっている。

ベルリンからの映像と音声がライブストリーミングで届いた
今回体験したシステム

イメージしていたのと違って面白かったのは、ベルリン・フィルの演奏者が全員ラフな私服であり、指揮者であるズービン・メータ氏も私服で座りながら。ゲネプロとはいえ、カメラワークは完璧だし、演奏もずば抜けている。

指揮者であるズービン・メータ氏

ちなみに、そのときの演目はニコライ・リムスキー=コルサコフの交響曲・シェヘラザードの第1楽章~第2楽章の途中、約10分間。短時間ではあったが、そのリアリティーは存分に味わうことができた。

「現在、ベルリン・フィルでの定期演奏会は必ずデジタル・コンサートホールで流していますが、それは2回の通常演奏を終えた3回目であり、演奏者側も映像スタッフ、サウンドスタッフも、完璧に調整した状態で届けています。それに対して、今回のは実際の演奏の前のゲネプロであり、すべてが調整しきれている状態ではありません。ですので、まだラフな状態であることをご承知おきください」(ツインマーマン氏)とのこと。これでも、完璧なものではない、という言葉にちょっと驚いたが、プロの仕事というのは、やはり非常に完成度の高いものなのだということを改めて思い知らされた。

なお、今回のようなストリーミング放送が、近いうちに始まる予定とまだ決まっているわけではない。あくまでもIIJが行なったのは、実現できる段階になったというデモであり、配信プラットフォームをソリューション化して4月1日より提供するという発表。これを実際にサービスインするには、IIJがコンテンツホルダーと組む必要がある。

配信ソリューション提供イメージ

冨米野氏は「ライブコンサートなどはもちろん、スポーツや舞台など、自宅にいながら臨場感の高いコンテンツはいろいろあります。またマルチチャンネルやマルチアングルといった手法も可能ですので、ぜひ様々なコンテンツホルダーさんからのお声がけもお待ちしております」と語っており、実際にユーザーが体験できるようになるには、もう少し時間もかかるかもしれない。とはいえ、こんなコンテンツが自宅で視聴できるようになると、エンターテインメントの楽しみ方も大きく変わってきそうだ。

藤本健

 リクルートに15年勤務した後、2004年に有限会社フラクタル・デザインを設立。リクルート在籍時代からMIDI、オーディオ、レコーディング関連の記事を中心に執筆している。以前にはシーケンスソフトの開発やMIDIインターフェイス、パソコン用音源の開発に携わったこともあるため、現在でも、システム周りの知識は深い。  著書に「コンプリートDTMガイドブック」(リットーミュージック)、「できる初音ミク&鏡音リン・レン 」(インプレスジャパン)、「MASTER OF SONAR」(BNN新社)などがある。またブログ型ニュースサイトDTMステーションを運営するほか、All AboutではDTM・デジタルレコーディング担当ガイドも務めている。Twitterは@kenfujimoto