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顔出し会見 共感よぶ 教員の過労問題

内田良名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授

 「恥ずかしいことは、いっさいありません。顔と名前を出して、正々堂々と闘おうと決意しました」――今年の2月、大阪府立の高校に勤務する現役の若手教員が、実名・顔出しで記者会見に臨んだ。

 覚悟の訴えをおこなったのは、西本武史さん。長時間労働により適応障害を発症したとして、損害賠償を求めて、府を提訴した。

 西本先生は休職を経て、いまは職場に復帰して2年目である。現役の教員が実名・顔出しで裁判報道に応じるのは、異例といえる。

 じつは、記者会見の数日前に先行報道があった時点では、西本先生は匿名で対応していた。ではなぜ、実名・顔出しを決断したのか。先月23日に第1回の口頭弁論を終えた西本先生に、その覚悟に至った思いを取材した。その語りからは、生徒の前に立つ「教師」としての思いが見えてくる。

(事案の概要)

 訴状によると、西本先生は2017年度に入ってから、教科担当、学級担任、運動部顧問等の業務に加えて、生徒の国際交流の企画・引率を担当し、業務過多となった。過労死ラインを超える時間外労働がつづき、同年7月に適応障害を発症し、同年度内に2度にわたって休職した(2018年度からは職場復帰)。当時の校長が勤務時間ならびに勤務内容を軽減・是正する措置をとらなかった結果、適応障害が発症したとされる。なお、産経新聞の取材(下記)に対して大阪府の教育長は「訴状が届いていないのでコメントは差し控えたい」と回答している。

▼記者会見の報道(2/25~2/26)

大阪府立高教諭「長時間労働で適応障害」 府を提訴(朝日新聞、会見の動画あり)

「長時間労働で適応障害」大阪府立高校教諭が府を提訴(産経新聞)

▼先行報道(2/21)

「長時間労働で適応障害」休職の高校教諭が大阪府提訴へ(朝日新聞)

<インタビュー なぜ、実名・顔出しに踏み切ったのか>

西本先生(左)と筆者(右) ※5/2の取材時に撮影
西本先生(左)と筆者(右) ※5/2の取材時に撮影

 インタビュー取材は、2019年4月30日と5月2日に、大阪市内で計3時間半にわたっておこなった。本記事の発表に合わせて、5月2日のインタビューの一部を動画にて公開している(動画の詳細は、本記事下部を参照)。

■直前まで匿名報道

内田:今日はお時間をとっていただき、ありがとうございます。2月の、西本先生の実名・顔出しでの訴えには、驚かされると同時に、とても感銘を受けました。ただそれ以降、西本先生がマスコミに登場することもなかったものですから、ぜひとも直接会って、もっとお話をうかがいたいと思っていました。まず、あの会見には、かなりの覚悟が必要でしたよね?

西本:さかのぼると、過労で2017年の7月には適応障害を発症していて、「自分は潰された」という感覚があったので、その年の9月頃から「裁判を起こしたほうがよいのでは」と考えるようになりました。そこから弁護士さんを独自に探し始めて、数名の弁護士さんを経て、2018年10月にいまの弁護士さんのところにたどり着きました。そのときにはじめて、名前や顔を出すかどうかということが話題にあがって、考え始めるようになりました。

 どちらがよいのだろうと思いつつ月日が過ぎて、今年の2月21日に朝日新聞の先行報道があったんです。その取材の段階で、現実的に考えるようになりました。

内田:先行報道の時点では、匿名でしたよね。

西本:はい。記者さんからは、メリットとデメリットを聞きました。社会的な影響力を考えれば、名前と顔を出したほうがよい、と。家族に相談をしたところ、家族はやはり「出さないほうがよい」という意見でした。なので、先行報道の段階では、匿名でした。

■個人の問題ではなく、社会全体の問題

画像はイメージ ※「無料写真素材 写真AC」より
画像はイメージ ※「無料写真素材 写真AC」より

内田:先行報道のときの反響は?

西本:インターネット上では、「こんな先生に教わりたくない」とか「公務員ってすぐに訴える」という意見がいくつかありました。それを見たときに、自分のほうが正しいはずなのに、こんな評価はおかしいと感じました。それと、朝日新聞の先行報道のあとに、各社から問い合わせが入って、そのときにもまた名前と顔は出せないかと要望がありまして。

 そこで改めて考え直して、「やるからには正々堂々とやりたいな」という思いが強くなっていったんです。家族にも気持ちを伝えたところ、理解を示してくれました。それで、もう顔を出してやっていこう、と会見に臨みました。

内田:会見でもそう仰っていましたよね。「恥ずかしいことは、いっさいありません。顔と名前を出して、正々堂々と闘おうと決意しました」と。あのセリフに、心が震えました。

西本:そう言っていただけて、うれしいです。私が長時間労働で適応障害を発症したというのは、私個人の問題ではないと思ったんです。年間では5000人の学校の教員が、精神疾患で休職中です。これは社会全体の問題だと思ったので、正々堂々やることにしました。そのほうが、誠意もしっかりと伝わりやすいかな、と。

■午前に学校、午後に記者会見

内田:誠意と覚悟が、確実に直接に伝わってきました。ところで、あの会見は平日ですよね?

西本:そうですね。テスト期間中でした。午前中でその試験監督が終わるので。

内田:午前中は、学校に行ったんだ? 午前中に学校に行って、午後にテレビに出てる(笑) それは職場の人もびっくりですね。学校からは、すぐに連絡が来ましたか? 「何やってんだ!」みたいな?

西本:はい、連絡が来ました。でも、「何やってんだ!」という感じではなくて、「保護者の方々や学校関係者から問い合わせがあったときに、どんなふうに対応しましょうか」といった内容でした。それで、個人のことだから、学校がどうこうという問題ではないだろうということで、そっとしておいてくれることになりました。

内田:職場としても理解ある対応してくださったんですね。いまのところ実名・顔出しで、とくに大きな被害もない?

西本:はい、ないです。むしろ、周りからは応援の声をたくさんもらっています。

■人生を賭けた授業

西本先生(左)と筆者(右) ※5/2の取材時に撮影
西本先生(左)と筆者(右) ※5/2の取材時に撮影

内田:生徒への影響はどのように考えたうえで、実名と顔出しを決意なさったのでしょうか?

西本:今回の裁判っていうのは、子どもたちにとっても、何か自分の将来の働き方を考えれるような機会になればいいなと思っています。日本にはちゃんと法律というものがあって、働いていて心身を壊したときに、法律はどれだけ守ってくれるのか。社会科の教員としてそれも見せたいな、と。

内田:なるほど。先生の実際の姿から学んでもらうという意味でも、顔を出すことの意味があるわけですね。僕は心に残っている言葉があって、どなたかがツイッターで、西本先生の闘いを「人生を賭けた授業だ」と表現していたんです。西本先生自身、まさにそのような意識をもっていらっしゃったのですね。

西本:はい。実際に生徒は、会見の翌日、すごく応援してくれましてね。「先生頑張ってね」って、声かけてくれたので、とても救われました。ある保護者も、私の同僚に「『頑張ってください』と西本先生に伝えてほしい」と、励ましの言葉をくださいました。

 あと同僚からも、たくさん支えてもらっています。前向きな言葉をかけてくださる先生が多くて、本当に支えられているなと感じています。実際のところ、同僚もみんな長時間労働で疲弊しています。同僚からの応援をもらいつつ、少しでも教員の働き方をよい方向に変えていけたらと思っています。

■授業の質が落ちる

内田:今回の裁判の発端は、長時間労働ですからね。訴状を読むと、とくに国際交流の主担当を引き受けてから、猛烈に忙しくなって体調を崩すようになったということですよね。

西本:適応障害を発症した2017年7月中旬の直近一ヶ月の時間外労働が、127時間ありました。その前の一ヶ月が155時間、さらにその前が117時間です。国際交流も生徒のためには、やったほうがいい。けれども実際にどうやってやるかっていう議論が、欠けちゃってると思うんですよ。やったほうがいいんだけれども、そこに無理が生じている。国際交流の準備に時間を割かれて、たとえば授業の準備が疎かになっているならば本末転倒だと思います。

内田:実際に授業の準備時間は削らざるを得ない状況ですか?

西本:当時私が国際交流を担当していたときは、削ってました。準備が不十分なまま教壇に立つので、ストレスでした。苦しかったです。長時間労働というのは、授業の質にもかかわってきます。年間で5000人の先生が精神疾患で休職中です。この状況を放っておくと、たぶん国際的に見てカッコ悪いと思うんですよね。危機的な数字です。国として、しっかりと向き合ってほしいです。

内田:今回ね、西本先生のお話をすぐ隣で伺っていて、事実を淡々と話していらっしゃるときの穏やかな表情と、世の中を変えるぞと決意を表明していらっしゃるときの表情が、ぜんぜんちがうことに気づきました。これから裁判は長いと思いますけれども、どうかお身体を大事にしながら、頑張ってください。

【付記】

画像はイメージ ※「無料写真素材 写真AC」より
画像はイメージ ※「無料写真素材 写真AC」より

 部活動改革に始まる教員の働き方改革を支えてきたのは、教員による匿名のツイッターアカウントからの情報発信であった。

 「部活動を指導してこそ一人前」という教員文化のなかで「部活動がしんどい」と発言することは、「教員失格」のレッテルを貼られかねない。だからこそ職員室を離れて、ツイッターという匿名性の高いネット空間において、問題を提起してきたのであった(拙稿「ツイッターが生み出した部活動改革」)。

 私にはツイッター上でたくさんの教員アカウントとの出会いがあるけれども、そのなかで実名にて運用されているものはごく一部にすぎない。それは、部活動・働き方改革に限ったことではない。「友人から『教員でもSNS、やっていいの?』と聞かれました。公開を友人に限定したり、アカウントを仮名にするなどしていますが、まずいでしょうか」(時事通信出版局)という問いが真剣に議論されるほどに、教育界ではそもそも教員個人による情報発信自体が慎重に検討されている。

 長年にわたる教員バッシングの影響だろうか。すっかり先生たちは物言わぬ存在になってしまったように、私には感じられる。もちろん、無理をして実名・顔出しをする必要はない。それぞれの先生には、それぞれに置かれた状況がある。

 西本先生の実名・顔出し会見の後、ネット上では、たくさんの応援の声が飛び交った。西本先生の目の前には、生徒たちがいる。その背後には5000人の苦しんでいる先生たちがいる。西本先生の姿は、私にはとてもカッコよく見える。

【5/2のインタビュー取材動画(内田良チャンネルより)】

 西本先生の言葉に触れたい方は、3時間半にわたっておこなわれたインタビュー取材の要約版動画(60分)をご覧いただきたい。

名古屋大学大学院教育発達科学研究科・教授

学校リスク(校則、スポーツ傷害、組み体操事故、体罰、自殺、2分の1成人式、教員の部活動負担・長時間労働など)の事例やデータを収集し、隠れた実態を明らかにすべく、研究をおこなっています。また啓発活動として、教員研修等の場において直接に情報を提供しています。専門は教育社会学。博士(教育学)。ヤフーオーサーアワード2015受賞。消費者庁消費者安全調査委員会専門委員。著書に『ブラック部活動』(東洋館出版社)、『教育という病』(光文社新書)、『学校ハラスメント』(朝日新聞出版)など。■依頼等のご連絡はこちら:dada(at)dadala.net

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