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DMMをだいぶ前に退職しました

昨年7月末に4年半ほど勤めたDMMを退職しました。
その後はずっと長い夏休みを満喫してたんだけど、元同僚にあやしい取材をされて、記事が出るから宣伝のために退職ブログを書け、とか言われたのですよ。
結局取材記事↓の公開には全然間に合わなかったんだけど、記念に書いたのを公開しときます。

「大いにやらかし、飽きたら逃げよ」ー元DMM・個性派おっさんエンジニア 佐々木健のITジョブホッパー道

それと、そろそろちゃんと働かなきゃなあ、とも思うので、何をやってたのか等を含めてまとめておくのも大事よね。

そして、以下に書くことはあくまで個人の感想です。
人によっては同じできごとでも捉え方が全然違ったりするはずなので、書いてあることは全部信じることはせずに、取捨選択をしつつ、裏取りしつつ、用法・用量を守ってお使いください。


なぜDMMに入社したのか?

DMMに入社する前は、24時間365日システムを監視運用するMSP(マネジメントサービスプロバイダー)チームのマネージャーをしていました。
そこには3年半ほど在籍し、そこでDMMのシステムの監視運用も業務として行なっていたので、その期間を含めるとDMMのサービスと関わっていたのは、8年ほどになりますね。
DMMの前職の話も割と面白いんだけど長くなるのでとりあえず割愛。

ちょうどその頃、DMMはどんどん新規事業が増え、ユーザー数も増え、サーバの台数も増え、システムも複雑化し、トラフィックも増加し、まさにイケイケドンドンな時期でした。
そうすると障害数もそれなりに増え、運用負荷も上がってくるんですよ。
前向きに先手を打っていくためにどうしようか、と毎週DMMのインフラチームの責任者と定例ミーティングで相談をしてたら、「とりあえずDMMで運用も巻きとる感じでなんとかする方向で、まずはお前が来いよ」ということになり、DMMに入社することに。

楽しそうだからDMMに転職した、ってわけじゃなくて、実はわりと真面目な転職理由だったりする。

入社にあたってはこんなことを言われましたよ。

- とりあえず、いてくれるだけでいいよ
- 大人なんだし仕事は自分で見付けてね
- なにかあればいろいろ頼むからね
- 外の情報をどんどん集めて欲しい
- 情報共有だけしっかりして欲しい

こっちは、真面目に運用を改善せねば、とか考えてるのに、このユルサはなんだ?、と思いつつも、私の返答はこんな感じ。

- まあなんでもしますよー
- でも積みすぎるとパンクするのでタスクキューのコントロールはさせて
- 具体的には、お腹いっぱい、って言うので、そのぐらいの分量のタスクで
- とりあえず3年はDMMで働きますわー

当時はインフラチーム(当時の名前はネットワーク部)は20人ほど、DMMもグループ全体で500人ぐらいの規模だった頃でしょうか。


DMMで何をしたのか?(初年度)

上司(通称ツチノコの親分、以下親分)の無茶振りがハンパないんですわ。
しかも、このぐらいできるよね、という微妙に頑張ればできるラインでの注文が多いので、断われないし、サボることもできない。
さらに、うっかり、こういうネタがありますよ、とか言うと、いついつまでによろしく、と絶妙にグイグイ背中を押してくる。
そのへんの話は入社1ヶ月後にツチノコブログに書いたりもしています。
いてくれるだけでいいよ、と言われてたはずなのに、おかしいな、騙されたか、でもまあ楽しかったから良いのかなあ。

最初のミッションは部門計画作成のネタ出しだったかな。
3年後のビジョン策定なんかをしたんだけど、今振り返ってもそんなにズレてはいないような気はする。
ピアリングの推進、オンプレミスクラウド構築、データセンター移行、部内勉強会の開催、コミュニティ活動コミット、業務システム移行、等々盛り沢山。
適当にネタを出すと、採用、と言われちゃうので、どんどん膨らむのを調整しつつ、アグレッシブすぎずに現実的な路線でやっていくという感じにまとめた。

業務ツールの入れ換えなんかもやった。
テストで、Atlassian の、JIRA、Confluence、HipChatをセットアップして親分に見せたら、「これいいね、明日からこれで」、とか突然言うのよね。
「え、まだテスト中でノウハウもなんもないんすけど」、と言うと、「ダメだったら戻せばいいじゃん、みんなで覚えていけば良い」、みたいな流れで強行切り替え。
次の日から普通に全員で使い始める展開には正直シビれた。
こういう無茶振りが日常茶飯事で現場は慣れてるんだろうなあ、と思った。

DMMの技術について喋って欲しい、という天から降ってきた依頼に応えて資料を作ったりもした。
最初の資料はツチノコブログに上げてあるけど、今見るとプレゼン資料作りがまだ慣れてない感があるねえ。
技術情報発信をする文化が社内にはまったくなかったので、どこまで何を出して良いか、というようなノウハウもなく、担当者っぽい人を探して、権利関係の確認や交渉をしたり、当時社内的にホットだった3Dプリントのサンプルを借りて展示したり、意外と大変だったんだけど、いろいろな人に助けてもらいつつ乗りきった。

技術イベントへの協賛なんかも始めてみた。
人事の予算の中から協賛費用を出してもらう形にしてもらったこともあり、人事や総務の方々には大変お世話になりましたよ。
ここでも親分は、「DMMかき氷配ったらいいじゃん!!」、とか余計なことを言うんだよね。
エンジニアに焼きそばを作らせる話は昔どこかでバズったこともあったけど、かき氷も実は相当つらいのよ。
現地のドライアイス業者を探してドライアイスの追加発注、巨大なクーラーボックスの手配、掃除用具の現地調達、廃棄事業者の確保、余ったドライアイスの処分に悩んだり、売れ残ったかき氷の引き取り先を急遽探しまくったり、貴重なノウハウは得られたけど多分二度と使わないノウハウだよなあ。

CONBUを通じて技術イベントの会場ネットワーク作りなんかも始めた。
CONBUは、COnference Network BUilders の略称で、大規模なカンファレンスや勉強会が行われる会場において、会場ネットワークを構築するエンジニアコミュニティなんだけど、設立のタイミングで絡んでしまったこともあり、初期のCONBUのネットワークとサーバはDMMから提供していたのだ。
いろいろなイベントでネットワーク協賛という形でDMMのロゴが出ていたのはそういうことだ。
ちなみに親分から「余ってる機材を使うならお金はかからないし、名前も出るし、ファンも増えるし、どんどんやればいい」と言われたのは真面目に感謝している。

部内の勉強会も突然はじまった。
親分から「最新のWebの技術はまず何を勉強すれば良い?」と言われて、「とりあえず、DOMじゃないっすか?」みたいなことをうっかり言ったのが、勉強会をすることになったきっかけ。
そのへんの話はツチノコブログ:DOMの勉強会にも書いた。
その年の振り返りはこのへんに書いたけど、結構いろいろな勉強会をやっている。

ツチノコブログもいつの間にか面倒を見る感じになった気がする。
そのへんの話は、ツチノコブログの思い出、に書いた。

初年度はこんな感じにいろいろ新しいことをやったこともあり、その年度の社員総会で個人賞10万円をもらって、awabarでその日に使いきった、というのも楽しい思い出だ。
表彰の文言が「沢山かき氷を配ってエライ」という感じだったので、たまたま隣に座ってた新卒女子に変な目で見られたが。

でも、運用の改善とか、やりたいのにやれなかったことも結構あったんだよねえ。
人手がまだまだ足りなかった。


当時のDMMの良かったところ

その頃のチームの掟はこんな感じ。

- 嘘はついちゃ駄目、絶対!!
- 腹に落として自分で考えてから動くこと
- その時々で、最善を尽くすこと
- 同じ失敗を2回するのはバカ、転んでもタダでは起きないのが大事

この掟を守らないと、全力で怒られるんだけど、これを守ってれば失敗しても大丈夫。
「これこれこういう理由でこうしましたが、こういう理由で失敗しました、次はこう改善します」、みたいなことをちゃんと言えれば、「なら、しゃーない、次は頑張れ」、と言われて終わり。
失敗が許容されるので、ある意味心理的安全性が高いのよね。
そして最善を尽くす、ということも徹底的に言われるので、なんだかわからないけどありとあらゆることが超速で進んでいく。
速度はとても大事、必要ならお金で買うという姿勢もあったので、この勉強が必要、ということになれば有料の勉強会も普通に申請すればどこにでも行けた。
必要な機材も本当に必要だったら何でも買えた。
もちろん業務に必要じゃないものは絶対に買えなかったけどね。

こういう、正直に自分の頭で考えて真面目に全力を尽くす、という文化は、ネットワークチームに限らず、社内の古めの人達にはわりと普通のことで、それがDMMの成長の原動力なんだろうなと思っている。

また石川県という地方出身の企業のせいかどうかはわからないけど、やたらと親切な人が多かった気がする。
全然違うチームに変なお願いに行っても、嫌な顔せずに対応してくれるだけじゃなく、こっちが恐縮するほど積極的に協力してくれたりもした。
おせっかいなおばちゃん、おじちゃんが沢山いる感じ。
そもそも働き者が多いよなあ、とも思った。


そして、DMMの決定的に良いところは、お金がちゃんとあること。
お金がないと何もできない、なら稼ぐしかない、どうせ稼ぐなら楽しいことをして稼ごう、という掛け声で現場は動いてたけど、それだけでは会社は潰れちゃう。
締めるところをちゃんと亀山会長をはじめとする経営陣が締めている、というのがDMMの強みなんだろうなあ、と思う。
独自の会計手法を用いたり、独自の評価判断基準を持っていたり、なかなか面白い経営手法だと思うので、誰かがちゃんと本とかにまとめたほうが良いとは思うんだよね。

いろいろな情報を元に最終的に判断するのは亀山さんなわけなんだけど、おそらく、経営は楽しいゲーム、という感覚で行動してるんじゃないかなあ。
亀山さんが麻雀に凝ってたときはとても強かった、という話を社内の麻雀部のメンバーから聞いたことがある。
麻雀やポーカーのようなゲームでは勝負をするときと降りるときの判断がとても大事なんだけど、亀山さんの経営上の判断を見てると、「賭ける」「降りる」という判断がとても優れてるよなあ、と本当に思う。
おそらく経営が楽しすぎるので、麻雀は飽きてやらなくなったんじゃないか?、というようなことも言われていた。

DMMで何をしたのか?(2年目〜)

そうこうするうちに2年目に突入。
メンバーも増えて、やれることも増えるし、いろいろやってくぞ!!

と思ったんだけど、メンバーが増えると面倒ごとも増えるのよねえ。
そして、面倒見ろと言われたチームメンバーは、まあ本当に言うことを聞かないのよ。
しかも余計な社内ハレーションを発生させたり。
「あいつら何なんなんですか!!」とか言われて「優秀なエンジニアだよ」と答えてさらにハレーションが拡大したり。
それは私も悪いのかもしれないが。

いやー、でもまあ、いろいろあったけど実に実に楽しかったよ。
楽しい優秀なメンバーと働くのは良いことだ。
あ、うん、の呼吸でお互い動けるのはなかなか面白かったけど、大規模障害発生時に「おじさん、ベテランだからしばらく夜勤よろしく、適当にうまくやってくれ」みたいな雑な依頼を、入社して1ヶ月目の新人に言われたのはわりと衝撃的だったぞ。
やったけどな。

そんなこんなでバタバタしたおかげで、個人的な追加実績はあまりないんだけど、パターンランゲージの勉強ができたのは良かったかな。
井庭先生のワークショップに半年通って勉強して、エンジニアの良い行動のパターンを抽出したり、良いネットワークアーキテクトのパターン抽出をしたり、とても有意義で楽しかった。

成果物はこのへん↓

- インフラエンジニアのスキルパターンを作ってみた話
JANOG37 Pattern BoF 2 - Pattern Oriented Network Architecture

とはいえ、エンジニアの良い行動のパターンは結局完成させることはしなかった。
パターンを査定に使うという話が出てきて、それは良くない、と直感的に思ったので人事評価時期に間に合わせないようにサボタージュしたのよね。
そもそもパターンはそういう風にも使えるかも、と説明しちゃってた私のミスでもあるんだけど、OKRを査定に使ってはいけない、というのと一緒で、良いコミュニケーションを生み出すためのツールを査定に使うのは悪影響しかないように思ったんだ。
理由を説明するのが難しかったので、意図的にサボってごめんなさい、というのはボスにしか言ってはいないが。


DMMの悪いところ

正直に真面目にやることで成長してきたDMMも、事業の幅が広がるにつれて、いろいろな人が増えてきた。
そして増えたメンバーはどうも民度低めの人が多かったように感じる。
承認欲求無駄に強め、他人の妬みや悪口が好物、みたいな。
そんな火種人材増加に加えて、数年前は科学の力も決定的に足りなかった。
科学の力が足りないと、技術で解決すべきことを別の手段で解決したりするんだよね。
根本原因を解決せずに、誰誰さんのせいでしたー、みたいな嘘やごまかしも発生。
そして、あいつのせい、あの部署が悪い、みたいな紛争に対して、みんな一緒の部署になって仲良くしましょー、みたいなトンチンカンなことを言う偉そうな人がさらに混乱に拍車をかけたり。
それでもまあみんな忖度しつつ、うまく立ち回ってた感はあるんだけど、私は嘘を付くのが下手だったなあ、とは思う。

個人的にも、民度低い方面から、良くわからん誹謗中傷を沢山受けたような気もするんだよなあ。
オレ達が必死に働いてるのに、イベントに遊びに行きやがって、みたいなことも良く言われたけど、イベントでかき氷を配るのとか仕事じゃなかったら誰がやるかよ!!。
フォワードがゴールキーパーに向かって、ゴール決めろよバーカ、って言ってるような感じだな。
他人のことは気にせず、みんな自分の仕事をちゃんとやろーぜー。
平均年齢が低い職場なので仕方ないのかもしれないけど、大人が少ないなあ、とは思った。

そんな心理的安全性が低い職場だと、ギスギスして、みんなストレスが溜まってくるんだよね。
ストレスの解消方法は、いろいろあるけど、ストレスの発生原因、メカニズムを考える、というのがエンジニア向けにはお勧め。
もし他人から理不尽なことを言われたりしても、なぜこの人はこういう行動をしたんだろうか、と考えて納得できる説明ができればストレスは半減するのよね。
仕事がうまくいかないときも、なぜうまくいかないか、という原因がわかればストレスはかなり減らすことができる。

ということで、作った勉強会の資料が以下の2点。

- プロジェクトの基本
- 老害について

こういう資料を作らなきゃいけなかった悲哀を感じて欲しい。


DMMで何をしたのか?(3年目〜)

突然の組織変更イベント発生。
トップダウンで組織を変える、というのは良くあることだとは思うんだけど、未だになんで組織変更がおこなわれたのかさっぱりわからない。
納得のいく説明がないまま、意味わからん、とか言ってたら、親分共々インフラチームから外れることに。
そして、インフラからは外されるけど、インフラを今後も助けて欲しい、とか言われたのも意味不明。
なんだそりゃ。

インフラから外れたとはいえ、JANOG39のホストは対外的に約束したものなので引き続き継続。
いろいろ嫌がらせを受けつつも、JANOG39は無事に大成功。いぇぃ!!
沢山の方々に協力してもらったのには感謝しかない。
嫌がらせは面白すぎてここには書けないので気になる人は個人的に聞いてくださいませ。

- JANOG39
- JANOG38: JANOGミーティングの振り返りとJANOG39へのお誘い

WiFiネットワーク構築も楽しかったね!!!

- 熊谷さんの発表資料: JANOG39会場ネットワークの裏話

DMMで何をしたのか?(4年目〜)

JANOG39も無事に終わって、「3年はいる」という約束も無事に満了。
次は何の仕事をしようかな〜、と思いつつ親分と雑談をしてたら、「もう3年経ったのでいつ辞めても良いけど、できればもう少しいて欲しい」と先手を打たれた。
そう言われちゃうと辞めにくいよね。
亀山さんもどこかのコラムで、良い社員は辞めない社員、とか言ってたし、不遇だけどもうちょっと残るかなあ、と。
親分との雑談タイムはいつも刺激的で楽しかったしね。

ということで、何をしようか親分と相談しつつ、こんな方向性で活動することにした。

- 気軽に1人で動く
- 大きなことはやらずに大人しくちょっと死んだふりをしとく
- まずは社内を助ける活動で徳を積みつつ、稼動分は社内に請求していく
- いつでも代打として打席に立てるように新しめの技術はそれなりにキャッチアップしておく

社内営業のためには、まずは顔を売らなければいけない。
最初にやったのは、社内のConfluence上での活動。
ツチノコブログ的なものをConfluence上で展開して社内ファンを増やしていこうかな、と最初は思ったんだけど、社内に面白人材(通称、コンフル芸人)が結構いることに気付いたので、まとめサイト的なものを作る方向にシフトした。
そのへんの話は、社内Confluenceのまとめページを作っていた話に書いたけど、社内コミュニケーションを活性化させたことで、スタッフの心理的安全性はかなり高まったんじゃないかと思うんだよねえ。
エライ人は誰も褒めてくれなかったけど、現場からは今でも褒められるので、いいことしたなあ、と思っている。

Mastodonが流行ったときには、ちゃんといじってみたりもした。
エライ人が「DMMでもなにかやれないか?」とか言ってたこともあり、いつでも打席に立てるように、という準備的な意図もあったんだけど、結局なにもDMMとしてのアクションはなく、個人的な成果としては、JANOGとかJPNICで発表したぐらい。

JANOG40でMastodonの話をしてきました

ただ、社内の有志が立ち上げたMastodonには、面白人材(通称、丼民)が沢山いて、そこでの交流は非常に面白かった。

コンフル芸人や丼民と交流してると、若者の力を思い知ることになる。
DMMに新卒で入ってこよう、なんて考える奴は、そもそも何かがオカシイんだけど、特に2017年卒の新卒は秀逸だった。
そういう若者に、ネットワークわかんないんですよー、おやつあげますから教えてくださいよー、みたいな挑発をされてやった社内勉強会がこれ。

パケット通信とInternet Protocol
プロトコル/NAT/HTTP通信の中身 〜 ネットワーク勉強会資料
TCP 〜 ネットワーク勉強会資料
各種ネットワーク機器と最近の技術動向 〜 ネットワーク勉強会
RFC 〜 ネットワーク勉強会

そして、とにかく社内のメンバーと交流しなきゃ、ということで、サークル活動にも積極的に参加するようにした。
ボードゲーム、ポーカー、麻雀、ビリヤード、人狼、等々沢山遊んでもらったような気がする。
本当に楽しかった。

ただ、こういう社内活動は残念ながら直接的にはお金を稼げないのよね。
なので、他部署を手伝ってお金をもらう、というような目的で、以下のようなお仕事も行なっている。

- Salesforceを用いた業務改善提案
- プロジェクトの引き継ぎ支援
- Zendeskを用いた社内情報システム支援ポータル作成

Zendeskを使った情シスポータル作成は、プロトタイプ作成、提案、スクラムへの参加、とガッツリ入って、わりと楽しく良いものが作れたかな、と思っている。
プロジェクトを承認してくれたり一緒に作り上げてくれた方々には大感謝!!
でもなぜか外部からの取材記事には名前も写真もなかったんだよねえ。
なんでだろうなあ、なんでだろうなあ。

請負型マインドからの「脱出」――DMM.comラボの情シスがスクラム開発に挑戦した理由

でもまあ、この取材記事の3ページ目のプランニングポーカーの写真の左下に写ってる手は私の手だ。

新規事業の調査ということで、いろいろな人に話を聞きに行ったりもした。
DMM Okanという家事代行サービスがあるなら、おっさんの派遣サービスもやれるんじゃないか、ということで、おっさんレンタルを調べてたら、なぜか自分でやることになったり
DMMでは副業は上長の許可があればOKだったんだけど、「見聞が広がるから是非やれ」、と背中を押されたよ。
やってみると意外と面白くて、CNNやNHKに取材されたりもした。
人生どこに落とし穴があるかわからない。

CNNの取材記事: Middle-aged men for rent in Japan
NHK Worldへの出演: Kawaii-for-Rent?! 〜Japan’s Unique Rental Services!

なぜDMMを辞めたのか

突然の組織変更イベント発生。
部署がなくなることに。
死んだふりしてたってのもあるけど、まあ部署として稼いでなかったのでしょうがない。

そのときに人事担当者に言われた言葉。

君と一緒に働きたいと言っている部署はありません。

はぁぁ??、と思ったけど、まあ、忖度できない悪い奴は辞めてください、ってことなんだと理解。
忖度しなくても良いのは、圧倒的な実力を持ってる人だけ、というのもまあわかるし、そこまでの実力もなかった。
実際に稼いでなかったしね。
死んだふりをせずに、がっつり新事業とかやっとけば良かったのかなあ、とも思うけど、一生懸命やっても稼げたかどうかは正直微妙だ。
むしろ仕事から干された状態の給料泥棒的ポジションでずっと雇ってくれてありがたかったなあ、という気持ちもある。

ただまあ、言われっぱなしだと悔しいので、人事担当者に詳細を聞くと、さらに、はぁぁ??、と思うことも沢山あった。
ちょっと暴れちゃおうかな、とも思ったんだけど、暴れるのも面倒臭いので、会社都合で退職させてもらうことにした。
若者達と交流していると、あまりにも若者がまぶしすぎて、老兵はさっさと引退して、全面的に若者達にまかせたほうがDMMとしては確実に良い方向に行くはずだ、と思ったのもある。
若者から「5年会社にいる奴は全部老害です」みたいなことを言われたこともあるしね。
極論な気もするけど、わりと正しい気もするんだ。

辞めますわ、と言ったときの、人事担当者の、安心したー、という顔があからさますぎてちょっと面白かった。
上から言われて仕事してるんだろうなあ、サラリーマンはつらいねえ、と思ったよ。

最終出社日には、送別会的なものに行った後、awabarに行って、亀山さんに「お世話になりました、DMMは楽しかったです」と挨拶。
「次は決まってるのか?」「いや、決まってないのでしばらくのんびりします」「おおそうか」みたいな会話をしてDMMを卒業しましたよ。

DMMに対して期待すること

新卒で入ってきた若者達がとにかく元気で優秀で頭がおかしいんだよねえ。
彼等がDMMという会社を、そして社会全体をドライブしていければ、どんどん面白くなると思うんだ。
DMMの中の人は、そういう元気な若者を邪魔しないように、むしろ背中を押すように、もっと言うと背中を蹴飛ばすように、支援しまくって欲しい。
そして、おかしな若者は卒業して行くし、新しく入社もしてくれるだろう。
DMMが、そういうおかしな若者達が循環するハブ、となってくれれば良いんだろうな。
そういう価値を作れる会社だと思っている。

ただし、面白いことをするだけじゃなくて、会社である以上、もちろん、儲けるのが何よりも一番大事。
お金を儲けるのは悪ではないし、儲けないと何も始まらない。
儲け方、については、亀山さんがとても詳しいので、亀山さんのロジックをなんとか共有して、普遍的に儲け続けられるような仕組みを作って欲しいと思う。
お金は本当に大事だ。

そして、DMMが創業以来持っている、正直に自分の頭で考えて真面目に全力を尽くす、という文化は、絶対なくして欲しくないなあとも思う。

DMMを辞めてもDMMのことは結構好きなので、ずっと応援はするつもりではいる。

DMMでやりたかったけどできなかったこと

こんなことをやりたかったなあ、ということをせっかくなのでタイトルだけいくつか書いてみる。
やれなかったのは環境作りも含めて力が足りなかったってことなんだけど、面白そうだと思ったら誰か代わりにやってくれれば良いなあ、と思う。
やりたいと思った理由や詳細については興味があれば直接聞いてみてくださいませ。

- コンテンツ事業者向けのIX、CDN、クラウド
- 全国のケーブルテレビ会社が持っているコンテンツの大規模世界配信
- イベント向けWiFiネットワーク提供事業
- Wikipedia等の有用コンテンツへのリソース提供
- ネットワーク機器、サーバ機器等のテストルーム開設

今後の予定

5月で失業給付金が切れてしまったので、長い夏休みもそろそろ終わりにして真面目に働かなきゃなあ、とは思っているんだけど「いてくれるだけでいいよ」と言ってくれる会社は、まだないんだよね。
やさしくない社会だ。
さらに「おやつもあげるよ」と言ってくれれば満点なんだけどね。

ということで、しばらくは業務委託やアルバイトやおっさんレンタルをしながら過ごす感じかな、と思うけど、なにか面白い話があればいつでも誘ってくださいませ〜。

夏休み中もわりと楽しかったので、気が向いたらどこかに書くかもしれない。
失業ハックとか貧乏旅行記とかね。
お金を稼ぐということを頭から追い出すと発想がどんどん自由になるので、みんなももっと夏休みを取るべきだと思うよ!!

アフターフォロー

2019/5/28
DMMこわい、とかそういうコメントがあったけど、新陳代謝もあるし、そんなことないよー、中には面白い人も沢山いるよー、というような記事を書いてみた。

アフターフォロー その2

2019/11/14
このエントリをかいたおかげ?で、AbemaPrimeの「退職エントリって何」という番組に出ることになりました。

ちなみに最近は何をしてるかは、別のエントリにも書いてて

- CROSSというイベントでバタバタしたり
- 槓の光という任意麻雀宗教団体の教祖をしたり(信者募集中)

まあ、他にもいろいろバタバタしつつも無事に生きています。

そしてお仕事ですが、気がついたらヤバイプロジェクトに捕獲されたような気がします。
明日はどうなる?
そんな先のことはわからないよー。

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