2018-06-04

東大を出て大企業」は「負け組」と実感した話

東大卒アラサー業界トップメーカー勤務サラリーマン

学生の頃は東大トップ層ではないが、落ちこぼれでもない程度。

最近仕事プライベートの両面で精神が滅入ることがあり療養中。

先日、妻から宝飾店主催ツアーを勧められ、気分転換も兼ねて参加した。

催事チケットと高級ホテルランチパッケージにしたバスツアーで、有閑マダムを集めて比較的安く開催しているもの

安い代わりに宝飾品のセールスセミナーが組み込まれていて、商品の素晴らしさを解説される。

このネックレスは編んで使っても綺麗ですよとか、色々なお洋服に合いますよとか、はっきり言って自分感覚からすればくだらないとしか思えない内容だった。

それでもマダム達はあら素敵とばかりにセールストークに乗り、俺の月収以上の値段のする商品を大して悩みもせずお買い上げ。

俺がメンタル壊して長時間労働に耐えながら1ヶ月働いてやっと手に入れる額を、たかが綺麗な石ころにホイホイと払う人たちがいる。

どう見ても俺より努力もしていなさそうだし、聞こえてくる会話からもあまり教養を感じない。平日の昼間からこんな時間のかかるツアーに参加しているあたり、仕事もしていそうに見えない。

不労所得階級、恐らくは地主家系、あるいは高給取りの奥様だろう。妻も地主の娘なのでそのあたりはわかる。

自分東大から大企業に入ったものの、所詮時間と体力と精神力を引き換えにすることでしかお金を手に入れられない身分仕事はそれなりにやっているので最近社長役員と関わる機会も増えてきたが、彼らもレベルが違うだけで本質は同じ。

改めて、どう努力しても超えられない壁存在をまざまざと見せつけられた気分だった。

正確に言えば起業なり投資なりの方法階級を超えることは可能かもしれないが、労働者階級にいるものがそこに辿り着くためにはリスクを背負わなければならない。

今までやってきた努力所詮労働者階級内で「使える奴隷」になるための努力に過ぎないのだなと思った。

しかランチの間近くから聞こえてきた会話の内容は、マダム達の熱意もない子女予備校や塾で矯正していい大学に行かせるというもの

階級は超えないとはいえ「勉強」は持たざるものが持てる者に勝つ数少ない手段として導入されたもの(古くは科挙明治維新など)だったはずが、その席すら持てる者がステータス感や見栄え、いわばファッション感覚で持っていってしまっている。

自分は幸い労働者階級のかなり上の方にいられたし、不労所得階級と繋がりも持てた。今の自分境遇が嫌だというつもりはない。お金のある人がお金を使うのは良いことだということも理解している。

辛かったのは「自分努力で」誰にも負けないよう登っていくことは不可能であること、最初から決められてしまっていたんだということを見せつけられたこと。

バスビジネス街を通ったあたりで、窓の外にいる疲れた顔をしたサラリーマン(とは言っても大企業本社が多いエリア、いわゆるエリートサラリーマンであろう)とマダム達の顔を見比べて、涙が出てしまった。

おれたちは勝ち組なんかじゃない。所詮プロレタリアートだ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん