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「京アニ被害者実名報道」で復活した「マスゴミ」という言葉

境治コピーライター/メディアコンサルタント
グラフ:データセクション社Insight Intelligence Q より

京アニ事件被害者の実名報道は想像以上に非難の渦

8月27日、京アニ事件の被害者の実名を京都府警が記者クラブに対し公表し、それを受けて新聞テレビなど大手メディアの多くがニュースや記事で報道した。

筆者個人は実名報道は遺族が拒むのならすべきではないと考えている。一般にはどう受け止められたのだろうか。27日にツイッターで検索してみたときは、想像した以上に批判的なツイートだらけだった。かなり強い語調で公表すべきではないし報道したマスコミは酷い、と非難するツイートが多い。ツイート=批判、と受け止めて捉えていいだろう。

そこでどれくらいの批判が巻き起こっているのかを、この週末にデータセクション社のSNS分析ツールInsight Intelligence Qで調べてみた。その結果が冒頭のグラフだ。やはり驚くほどの量だった。

8月25日から31日までの一週間で、1日あたり5.6万ツイート。参考に「韓国 暴行」「香港 デモ」の結果と並べた。ソウルで韓国人男性が日本人女性に暴行したことが映像とともに伝わり大きな話題になった。香港でのデモが続きリーダーの若者たちが逮捕された。それらと同等もしくはそれ以上にツイート数が多い。

いかに多くの人びとが今回の「実名報道」に怒っているかがわかる。筆者が推測した数値よりずっと多かったことには、驚くしかない。

批判はツイッター上で拡散され、増幅していく。とくにこのメンタリストDaigo氏のツイートはリツイートされコメントもたくさんついて、大きな影響を与えたようだ。

本人も認めている通り感情的な発言だが、だからこそ共感されて広がった。

ツイートの中で浮上した言葉「マスゴミ」

分析ツールInsight Intelligence Q では「共起ワード」を抽出することもできる。「京アニ 実名」とともにどんな言葉がツイートの中に出てくるか、多く登場する言葉をマッピングして見せてくれるのだ。そのワードマップを見ていて、気づいたことがある。

Insight Intelligence Q 「共起ワード」画面より
Insight Intelligence Q 「共起ワード」画面より

「マスゴミ」という言葉が中央で大きめに表示されている。多く出てきた言葉ほど中央に近く大きく表示される。つまり「マスゴミ」という言葉が非常に多くツイートに入っていたということだ。

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ランキングを表示してみると、7位で32.9%となっている。「京アニ 実名」が入ったツイートの中で3分の1近くに「マスゴミ」も入っていたのだ。

ネット上でマスコミが批判される際の常套句が「マスゴミ」。だが、筆者はかなり久しぶりにこの言葉を見た気がした。

2010年代前半、ツイッターの普及とともにマスコミ批判も大きくなり、「マスゴミ」と蔑まれることが増えた。ところが2016年あたりからはフェイクニュースの問題が出てきて、既存マスメディアの信頼性が回復していた。数年間かけて、ちゃんとしたニュースを報じる存在として新聞やテレビが再び認められつつあったと思う。それに伴って、「マスゴミ」という言葉があまり使われなくなっていた。

グラフ:Insight Intelligence Q より
グラフ:Insight Intelligence Q より

ためしにこの一年(2018年9月1日〜2019年8月31日)で「マスゴミ」が含まれるツイートを抽出したグラフを見てみた。一目でわかる通り、今年の春まではほとんど浮上していなかった。

5月に山ができているのは、大津市で起こった交通事故で保育園児が亡くなった時だ。会見した保育園長を追及するような質問が出た時に「マスゴミ」が久々に浮上した。だがこの時のマスコミ批判はさっと終わったように思う。

今回はその時の倍以上のツイートが飛び交った。この一年間、大津の一件以外ほとんどなかった「マスゴミ批判」が完全に復活を果たしてしまったのだ。フェイクニュース問題が出て以降、取り戻しかけていた信頼を今回の件で一気に失ってしまったのではないだろうか。

「報道の常識」は本当に肯定できるのか、見直す時

筆者もこうして記事を発信する立場でもあるので、報じる内容に事実をできるだけ入れたい気持ちはわかる。ただ、このような悲惨な事件の被害者の名前を、とくに遺族が公表したくないと言っている時に報じるのは人間として間違っていると考える。そして似たことがある時、いつも感じるのが「それでも報じる」とメディア側の言う「理由」の説得力のなさだ。

今回も出たのは「事件の全貌を伝えるには実名が必要」との言い分だが、実名がなくても全貌は伝わると私は思う。京アニの事件もこれまでですでに事件の全貌は大まかにわかっている。実名が報じられて「やっと全貌がわかった」と感じた人はいるのだろうか?それに、お盆の時期に大きな話題になった「あおり運転暴行男」では被害者が殴られる場面が何度もニュースで流れたが、被害者の氏名はどのメディアも報じなかった。それについて「事件の全貌が明らかにならない」と感じた視聴者読者はいなかっただろう。この件では被害者の名前を報じようとするメディアはいなかったのに、なぜ京アニ事件では明かすべきと言うのだろう?

「被害に遭った方には名前があって人生があった、それが"Aさん"では生きた証にならない」とも理由として言われる。筆者は、これをメディア側が言うのは本当に無神経だと思う。今回はある遺族が会見で息子さんの名前を公表し、生きた証を示すためにそうしたかったと言っていた。この方はそう考えたということだ。一方で公表を望まない遺族からすると、生きた証は家族の胸の中にしっかり刻まれると考えているだろう。つまり、「生きた証」とは極めて感覚的で個人的、主観的な問題だ。報道すれば「生きた証を示せる」ということにはなんら客観性はない。だから遺族それぞれの考えに従うしかないのだ。「公表すべきかは本人が決めることで遺族に決める権利はない」とまで言う記者もいるが、そんなことを遺族に対して言うことがどれだけ失礼なことか、よくよく考えてほしい。遺族に権利がないなら、マスコミに決める権利はまったくないだろう。その矛盾に気づかないのかと思う。気づかないのは、自分がその立場だったら、という視点で捉えられていないのだ。

個人情報保護の概念が出てきて以来、氏名や住所などは簡単に明かさないことになっている。もし突然、新聞やテレビが私の子どもたちの名前や学校名などを載せたら私は即刻抗議するだろう。それほど守らねばならない個人情報が、事件の被害者になった途端、なぜ「全貌を知るには公表せよ」と言われなければならないのか。何もない時には守られるプライバシーが、ひどい目に遭ったら守られなくなるのはあまりにも不条理だ。

こんな風に、実名報道の理由にはツッコミどころが満載なのだ。それなのに、各メディアは「私たち〇〇テレビは実名報道を原則としています」と添えながら報じた。その原則が視聴者読者から疑われているのに、原則だと主張することにどんな意義があっただろう。

「事件の全貌を社会が共有する」ために実名報道が必要だとある新聞社は書いていた。ところが少なくともツイッターでは逆に非難轟々だ。社会の側が共有を拒否しているのだ。「共有」できると考えたことが何ら共感されず、逆に非難されていることを受け止めるべきだと思う。

自分たちのメディアで実名を報道したら、生きた証になるとか、社会と共有できると言うのは、マスコミの完全な奢りだ。そして無神経なことをできてしまうのは、組織に依存して報じているからだ。ひとりのジャーナリストとして、「公表するな」と言っている遺族と向き合っていたら公表できないのではないか。遺族の目の前で「事件の全貌を共有するためにあなたのお子さんの名前を公表します」と、ひとりの人間として言えるか、よくよく想像してみるべきだ。

そしてこれを機に、本当に「実名報道の原則」が正しくて時代に合っているのかを議論してみてほしい。とくに、若い記者の意見も率直に聞いて受け止める必要がある。ベテラン記者が若い頃より、今の方がずっと世間の風当たりは強い。実は新人記者の感覚の方が一般市民と感覚が近いかもしれない、という前提で彼らの意見にも聞く耳を持つといい。

「マスゴミ」という言葉が再び当たり前になってほしくなければ、新聞テレビ各社は議論すべき時だ。必要なのは、原則を持ち出すことではない。あらためて議論することだ。本当に実名報道は当然のことなのか、もう一度みんなで考えてみるべきだ。それを怠ると、また7〜8年前のようにマスゴミ呼ばわりされ続けるだけだと思う。

コピーライター/メディアコンサルタント

1962年福岡市生まれ。東京大学卒業後、広告会社I&Sに入社しコピーライターになり、93年からフリーランスとして活動。その後、映像制作会社ロボット、ビデオプロモーションに勤務したのち、2013年から再びフリーランスとなり、メディアコンサルタントとして活動中。有料マガジン「テレビとネットの横断業界誌 MediaBorder」発行。著書「拡張するテレビ-広告と動画とコンテンツビジネスの未来」宣伝会議社刊 「爆発的ヒットは”想い”から生まれる」大和書房刊 新著「嫌われモノの広告は再生するか」イーストプレス刊 TVメタデータを作成する株式会社エム・データ顧問研究員

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