『ターミネーター:ニューフェイト』公開を前に『T2』に想いを馳せる。1991年、11歳だった僕は『T2』をみたくて必死だった

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  • author Germain Lussier - io9
  • [原文]
  • 中川真知子
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『ターミネーター:ニューフェイト』公開を前に『T2』に想いを馳せる。1991年、11歳だった僕は『T2』をみたくて必死だった
Photo: Distrub Films US

みなさんは11月8日公開の『ターミネーター:ニューフェイト』をどれくらい楽しみにしているでしょうか。あの名作中の名作、名作中の名作(大事なので2回言った)『ターミネーター2』の正統なる続編で、「ジャッジメント・デイ」を食い止めた後の話なんですよね。

『ニューフェイト』には『T2』のオリジナルキャストであるシュワ様(大好き!)とリンダ・ハミルトンエドワード・ファーロングが夢のカムバックするとあって期待しかないわけです。私同様ワクワクが止まらない人たちは、『T2』にも思い入れがあることでしょう。

io9のGermain Lussierもその一人。彼は『T2』公開時の1991年に11才だったそうですが、いろいろ苦労して鑑賞したみたいですよ。


『ターミネーター2』が公開されたのは、1991年の夏でした。僕はまだ11歳でしたが、すでに映画狂でした。『スター・ウォーズ』なんて何万回も見たし、フレディもジェイソンも鑑賞済み、R指定の『ロボコップ』すら鑑賞済みというレベルでした。

だから『T2』の広告を目にした時には、ヤバいと思いましたね。絶対見るっきゃナイって。オリジナルの『ターミネーター』を未見だったにも関わらず、ですよ。でも、当時の僕はアーノルド・シュワルツェネッガーもロボットも大好きでした。それだけで見る価値は十分にあるって思ったんですよ。だから、もう親に向けてターゲットキャンペーン速攻開始状態。売り込みましたね、本当に。

少年の苦労

今の便利な時代しか知らない人たちには想像もつかないかもしれませんが、1991年当時、11歳の子供が好きな映画に連れて行ってもらうってハードルが超高いわけです。なにせ、これだけのことをクリアしないといけないのですから。

まず、親を説得する必要があります。 PG13とかR指定とかだったらハードルが上がりますね。なにせ、暴力的な言葉や行動が含まれているので、自分がそれら映像に耐えうるかをプレゼンしないといけない。親には映画館まで運転してもらって、チケット代を払ってもらわないといけないので慎重に。11歳だと自由になるお小遣いなんてわずかですから。

ここまでできたら、次は上映映画館を調べます、新聞で! 1991年にインターネットや映画館のサイトなんてないし、オンラインチケット販売だってありません。だから、新聞で映画館と上映時間を調べてマーカーで印をつけるんですよ。でも、これだけで終わりではありません。オンラインチケット販売がないと書きましたよね。つまり、事前にチケットを押さえておくことができないんです。劇場のチケットカウンターに「チケットが残っていますように」と祈りながら並ぶしかないんです。

これをやるわけですから、映画1本見るのに必死。僕は、朝食、昼食、夕食の時にひたすら映画のことを語り、新聞を開いて印をつけ、買い物について行けば目についた『T2』関連の雑誌やポスター、広告全てを指差してアピールしました。僕が『T2』を見たがっているということを両親に伝えるためにできることはすべてやりました。

『T2』の米国公開は7月3日だったのですが、僕は当時学校が終わったら地元のサマーキャンプに参加していたんですね。7月3日は1日中キャンプに参加する日で、朝送ってもらったらピックアップは夕方でした。大人ならナイトショーという選択肢もありますが、11歳なんて4時に帰宅したら夕飯→シャワ→10時前に就寝ですよ。公開日に見る望みは低い。

少年の涙

その日も普段通りのキャンプでした。友達とゲームをして過ごしたりして。でも、キャンプの途中で親が来たんです。こんなことって誰かが死んだ時くらい。ヤバいと思いましたね。何か悪いことが起こったんだって。

親は僕を引き取り、行き先も告げずに車を走らせました。そして、ある駐車場で車を止めました。僕は状況を把握して涙を流しました。そこは映画館の駐車場だったんです。でも涙の理由は嬉しさからじゃない。

この映画館の『ターミネーター2』の上映時間は今じゃない!!!!!

僕が新聞で映画館と上映時間をチェックしていたことはすでに書きました。だからしっかり記憶していたんです。この映画館の上映時間はすでに過ぎている。映画、始まってるじゃん…! もう肝心な部分をいろいろ見逃してるじゃん…!

少年と1991年

僕の複雑な心境を前に両親は戸惑っているようでした。お前が見たがっていた映画を見るんだよ、と両親は言いました。でも上映時間は過ぎているわけです。僕はそのことを両親に伝えました。すると「そんなことはないよ」というんです。もう、キョトンですよね。

僕は見落としていたんです。1991年当時、映画館は上映時間をしょっちゅう変更していました。毎日同じ時間に上映するわけではなかったんです。

そんなこんなで、僕は肝心の映画を見れたわけですが、不思議なことに映画の内容をそんなに覚えていないんですね。でも、後日『ターミネーター』をビデオ屋で借りて見た後に『T2』の不明だった点を補完できて、内容を完全に理解することができました。それからは『T2』の虜ですよ。ポスターを買い、おもちゃを買い、目に付くものはすべて手に入れてきました。

今も『T2』は僕のお気に入りです。ジェームズ・キャメロン監督の手腕が素晴らしいからというのは言わずもがなですが、両親の演出も作品をスペシャルなものにしてくれたんですよね。


Lussierはずいぶん努力して鑑賞したみたいですね。一方、当時日本に住んでいた私(Lussierと同世代です)は、劇場で『T2』を見るなんてことはできず、ビデオリリースを待ちました。当時からシュワ様が好きだったので、大人になってからシュワ様を追いかけてLAに留学してから『T2』の聖地巡礼をしました。

今は映画の舞台裏情報が簡単に手に入りますが、この当時は雑誌や本を読んで掘り下げるのが主流だったし、その情報もドンピシャで欲しいものだったわけではない。だから、映画ってなんか魔法の世界みたいなミステリアスさがありました。それでも『T2』って他の作品と比べて出回っている情報が多かったし、撮影現場もLA近郊に集中していたから車で回れたんですよね。初めて見たサンタモニカ・プレイスやSan Fernando Valleyの放水路を見たときは感動で震えそうでしたよ。

おそらく『T2』ファンはいろんな思い出があると思います。きっと『ニューフェイト』を前に、当時を懐かしんでノスタルジックな気持ちになっていることでしょう。あなたは『T2』にどんな感情を持っていますか?