2019-09-08

デカすぎる父の絵が当たり前になってしまった社会

みんなの家にもきっと飾ってあるとおもうが、父の絵がデカい。

うちでは夫婦の寝室と居間子供部屋、洗面所ガレージにそれぞれ一枚ずつ掲げてあって、

メシを食うときなどはいつも慈愛に満ちた父の視線を一身に受けながら共和国の発展と父の健康を祈らずにはいられないのだが、

それはそれとして、ともかくデカすぎる。

特に居間のやつ。

居間の父の絵は故郷に住む私の父(いつも思うがややこしいな)から入党祝いにもらったものだ。

この絵にはちょっとした曰くがある。

元々実家トイレにとりつけていたのだけれど、

地域指導委員から「さすがにちょっとトイレにかざるのは……」と物言いがついた。

父を敬愛しすぎて家中に父の絵をかざるほど父マニアな私の父は指導に対してかなりゴネたらしいのだが、

最後には愛国協会から新しくてより立派な父の絵をもらうということで落着した。

それからトイレ以外には置けるスペースがなかったので、それから長らく実家倉庫に眠っていたのを、

父が「新居にどうぞ」ということでこちらの了承もとらずに勝手に送りつけてきたのだった。

うちでもこのサイズの絵を取り付けられる場所居間の壁しかなかった。

頭ほどのサイズの父の眼球に見つめられながら、朝夕のメシを食う。テレビを見る。こどもをあやす

なんとも奇妙な心地だが、一時期の父はこんなデカい父を前にうんこをたれていたわけで、

本当にデカかったのは父の肝っ玉だったのではないかな、などと今更考える。

  • 党も後退すれば反体制派の誹りを受けるからエスカレートするよな

  • 北朝鮮の将軍様ね、って思いながら読んでたんだけど、確認したら俺が思い浮かべたのは毛沢東だった

  • 文鮮明

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