その本は、長く出版禁止だった。語られなかった〈女たちの戦争〉を今マンガで届ける理由――『戦争は女の顔をしていない』インタビュー

    その苛烈な内容から、長く出版が許されなかった問題作『戦争は女の顔をしていない』がまさかのコミカライズ。いま、〈女たちの戦争〉を日本でコミカライズする意義とは。企画に込めた思いと覚悟を聞いた。

    マンガ『戦争は女の顔をしていない』の1巻が1月27日に発売される。連載が始まるやいなや、ネットには「まさか漫画化するとは」と驚きの声があふれた。

    その理由は、原作の硬派さ。作者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、2015年にノーベル文学賞を受賞したベラルーシ出身の女性ジャーナリストだ。

    彼女のデビュー作である『戦争は女の顔をしていない』は、第二次世界大戦時にソ連軍に従軍した500人以上の女性たちから戦争体験を聞き取った渾身の1冊。

    当時ソ連軍には100万人の女性たちが従軍し、軍医や看護婦としてはもちろん、多くが武器を手に戦った。

    歴史的には戦勝国であるソ連軍の負の側面。戦時中は貴重な戦力、労働力として大いに利用されながら、戦後は社会から白い目で見られた女性たちの、長く語られてこなかった記憶。

    その苛烈な内容から「祖国を中傷している」「表に出すべきものではない」と大きな非難を受け、何度も出版を拒まれた。祖国ベラルーシでは、長い間出版禁止にされてきた問題作だ。

    この歴史的大作のコミカライズに挑むのは『狼と香辛料』のコミカライズを務めた小梅けいとさん。

    ソ連やロシアの歴史風俗に詳しく、自身も漫画家、イラストレーターとして活躍する速水螺旋人(はやみ・らせんじん)さんの監修のもと、当時の様子を生き生きと描き出している。

    なぜ今、この作品のマンガ化に挑んだのか。誰もが驚いたこのプロジェクトに込めた思いを聞いた。

    日常と地続きに忍び寄る「戦争」

    『戦争は女の顔をしていない』は、従軍洗濯部隊を率いたワレンチーナ中尉のエピソードから始まる。

    前線の兵士たちがまとう大量の衣類を洗って干す、女性たちによる「洗濯部隊」。

    特別な石鹸の成分で爪は抜け落ち、連日の重労働に力尽きて倒れる人が続出する。洗濯というありふれた平和な響きの言葉とは不釣り合いに過酷な現場だ。

    以下の原文と読み比べるとよくわかるが、コミカライズ版はほとんど言い回しが変わっていない。

    重労働だった。洗濯機なんかまったく気配もなし。全部手だけ……女たちの手で…

    「K」という特別の石けんを使いました。凄まじい匂いの石けん。洗濯をして干すんですが、寝るのもそこでなんです。

    「最初に紹介する人物はほとんど迷いませんでした。兵士ではなく、日常と地続きの戦場にいたワレンチーナ中尉が、このマンガの水先案内人として最も相応しいと思ったからです」

    小梅さんと長くタッグを組んできた、編集者の荻野謙太郎さんはこう話す。

    作画の小梅さんに今回のコミカライズを提案したのも荻野さんだ。最も大きなきっかけは、2016年に公開された劇場アニメ版『この世界の片隅に』だったという。

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    映画『この世界の片隅に』予告編

    「悲惨な戦争とその被害者、ではなく、戦争の中の日常を描いたのが本当にすごい。日本における“戦争もの”の転換点になりうる作品だと思います」

    編集者という仕事柄、連載につながりそうなテーマや原作は常にストックしている。『この世界の片隅に』がヒットした今、多くの人に次に読んでほしいと頭に浮かんだのが『戦争は女の顔をしていない』だった。

    リアリティを追い求めて

    2017年夏、『狼と香辛料』の連載終了が見えてきた小梅さんに「次、これはどうでしょう」と原作を手渡した。小梅さんは当時のことをこう振り返る。

    「確かに歴史もの、戦争ものをやってみたいとは伝えていたのですが……もっと活劇的なものをイメージしていたので正直面食らいました」

    この重厚な物語を描ききるならば、考証が何よりも重要になる。小梅さんは「監修がきちんとつくなら」と条件を出した。

    監修候補として、初期から名前が上がっていた一人が速水螺旋人さんだった。

    速水さんは『大砲とスタンプ』『靴ずれ戦線』などの代表作を持つ漫画家。ソ連、ロシアへの深い愛、そして研究者並の知見で知られている。

    荻野さんの「大祖国戦争時代のソビエト連邦に詳しい協力者・相談相手を探している」というツイートに反応し、DMでおすすめの本を紹介するなどやりとりが生まれたのは2018年春のこと。

    「荻野さんから具体的な監修のお話をいただいたのは2018年の晩秋。まさか『戦争は女の顔をしていない』とはまったくの不意打ちで、心底驚きました」

    お話を頂いたときは腰を抜かし……というより悔しさが先でしたよ。なんてったって『戦争は女の顔をしていない』ですもの。ええーッ、ズルい! ともなります。しかししかし、小梅さんだからこそ描ける凄みがあるのですね。お読みいただければ僕も嬉しいです。

    「お話を頂いたときは腰を抜かし……というより悔しさが先でしたよ」連載開始時の速水さんのツイート

    原作者側の許諾、編集部との調整などを進め、正式に速水さんに監修をお願いすることが決まったのは2018年末のことだった。

    実在の人間を描くということ

    文庫版で約500ページにわたる分厚い1冊を、荻野さん、小梅さんがそれぞれ読み、気になったエピソードを共有する。エピソードには長短があるので、複数人を組み合わせ、各話ごとにテーマを浮かび上がらせる。

    文章で読むとたった1,2行の描写でも、マンガとして組み立てていくと数ページにおよぶ。言葉を忠実に拾いながら、現代の日本に生きる読者たちへの見せ方を考える。

    「本当に螺旋人先生の監修の手腕が素晴らしくて……。毎回、細かいところまで助けてもらっています、先生がいなかったらどうなっていたことやら」

    小梅さんのこの言葉どおり、同作の大きな魅力が緻密な描き込み。

    ソ連軍についてはもちろん、当時の生活習慣や景観にも詳しく、マンガとして「リアリティをもって描く」ポイントも抑えている速水さんの手腕だ。

    実際のやりとりを見ると、細かいところまでみっちりと、ときには手書きの解説付きで監修がなされている。

    「今回の主人公、2人とも検索したら記事が出てきました。顔など参考にしてください。マリヤさんはモスクワ近郊のヂヤコフスコエ出身。狙撃兵訓練所を経て1944年3月から前線に出ています」

    「1943年以降、軍服のスタイルが変わります。2人が前線に出たのは1944年以降なので、後期、立て襟のルバシカタイプで」

    「ロシア南部で白樺は少ないので杉や松がいいです」

    「ヨーロッパ・ロシア(編注:ロシア西部)に山はないので背景に留意してください」

    「日本人の感覚だと、なんとなく風景を描くとどうしても地平線に山を置いてしまうんですよね(笑)」(小梅さん)

    監修の文面にもあるように、語り手本人の写真が残っている場合は似せて描いているそうだ。フィクションとして再構成するのではなく、できるだけ現実に忠実に――という信念が伝わってくる。

    「企画段階ではまったく期待されていなかった」

    同作はTwitterの公式アカウントとWebサイト「コミックウォーカー」に掲載している。月1の連載といってもこれはイレギュラーな形式だ。

    『戦争は女の顔をしていない』コミック版は当アカウントにて全話公開しております。下記URLよりご覧ください。 第1話 https://t.co/6sqvNL6M8S 第2話 https://t.co/KydGbeCiT0 第3話前編 https://t.co/Qf87MREh6G 第3話後編 https://t.co/5POJl6oTQ6 第4話 https://t.co/uhIElCVKdn

    連載を引き受けた『電撃マオウ』編集部には、当初「採算を立てるのが非常に厳しい」と難色を示されたという。

    「他のテーマにしてくれないかという打診もあったのですが、私には勝算があったので。『いらないなら他のところに持っていきます』と断りました」(荻野さん)

    「企画段階では正直まったく期待されていなかったのですが、始めてみるといろいろなところから応援してくれる人が現れて助けられています。うれしい誤算でしたね」(荻野さん)

    不朽の名作を世界の読者へ

    世界中で読み続けられる名作だからこそ、コミカライズを世界に届けたい思いも強い。

    荻野さんは「翻訳のお話は、そう遠くないうちにオファーいただけると確信しています」と力強く話す。

    作中で語られた女性の声を、一人でも多く収録してお届けしたい。できれば日本にとどまらず、ロシアやベラルーシなど、旧ソ連の構成国をはじめとする多くの国の人に、できるだけ完全に近い形で読めるようお届けしたいと願っています。不躾ではありますが、連載継続のためご支援いただけますと幸いです。

    実際、第1話のWeb掲載後すぐにアレクシエーヴィチの故郷、ベラルーシに届いた。国立博物館職員のFacebookで紹介され、1週間を待たずに現地メディアから取材依頼が舞い込んだ。「私たちが想像したよりはるかに速い反響でした」(荻野さん)。

    作画の面でも、世界進出を見据えた工夫を加えている。横書きの言語に翻訳しやすいよう、ふきだしの横の余白を多めに取っているのだ。『狼と香辛料』が世界各国で翻訳された経験から得た知見だという。

    〈女たちの戦争〉とはなんだったのか?

    多くの反響を受け、単行本1巻発売を前に、2巻までは続くことが決まった。

    「打ち切りにならないように頑張ってください、という読者のみなさまの心配の声にはとりあえず応えられましたね」(荻野さん)

    1巻では、あらゆる職種で多くの女性が従軍していたことを群像劇のように見せてきた。2巻では、原作者であるスヴェトラーナさんの存在をより際立たせたいと小梅さんは考えているという。

    「僕は、この本の序章が結構好きなんです。スヴェトラーナさん自身が打ちのめされながら聞き続ける、書き続ける理由が詰まっていて、作品に背骨を通す部分だと思っています。可能ならここも丁寧にマンガにして伝えたい」

    わたしたちが戦争について知っていることは全て「男の言葉」で語られていた。わたしたちは「男の」戦争観、男の感覚にとらわれている。男の言葉の。女たちは黙っている。わたしをのぞいてだれもおばあちゃんやおかあさんにあれこれ問いただした者はいなかった。

    1巻のラストを飾るエピソードは、小梅さん自身が絶対に入れたいと選んだものだ。

    「女性が女性ものの下着をつける、そんな当たり前のことすら許されない時代があった……でもそれを語る女性は『嫌だった』と思い出しながらも、その気持ちの根源がわからない。目の前のジャーナリストがなんで泣いているのかわからない。スヴェトラーナさんは、戦争が人間性を剥奪していた現場を再発見して泣いているわけですよね」

    「彼女が500人以上の女性たちに話を聞いて回った。重い口を開いた人がいた。隠されていた〈女たちの戦争〉を明らかにした――戦時下で起きたこと自体の悲惨さだけでなく、彼女のその奮闘自体もとても大事だと思うので。スヴェトラーナさん自身の思いもマンガの中で伝えていければと思っています」

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    『戦争は女の顔をしていない』試し読みPV