素粒子物理学者とバードウォッチングしてきた

  • 12,856

  • author Ryan F. Mandelbaum - Gizmodo US
  • [原文]
  • 山田ちとら
  • X
  • Facebook
  • LINE
  • はてな
  • クリップボードにコピー
  • ×
素粒子物理学者とバードウォッチングしてきた
フェルミラボの上空を羽ばたくケアシノスリ Image: Ryan F. Mandelbaum via Gizmodo US

タカ科の鳥を見分けるの、すごくむずかしいんですよね。

はるか上空を飛ぶケアシノスリを一発で判別できちゃう米ギズモードのRyan Mandelbaum記者は、自他ともに認める愛鳥家。鳥が好きすぎて、最近ではGizmodoならぬBirdmodo(という名のタグ)をつくってしまったほどです。

以下、そのRyan記者がフェルミ国立加速器研究所にお邪魔して、サイエンス記事をレポートしてくる…と思いきや、全力でバードウォッチングしてきた話です。


完璧な円形の池には氷が張っていました。

ここはアメリカ・イリノイ州にあるフェルミ国立加速器研究所。池の下に設置されているのは、一連の粒子加速器のうち、陽子が二番目に通るブースターです。さらに先へと車を進めると、道はメインインジェクターの地下トンネルに沿った周長3.2kmのリングロード(画像左下)へと続いていました。

フェルミラボの全貌(グーグルアースより)
Image: Chitra Yamada

道沿いに細長くのびる冷却用の貯水池には氷が張っておらず、数百羽にもおよぶカナダガンが住みついていました。その群れのどこかにもっとめずらしいガンが紛れこんでいないか目をこらしていると、頭上を数羽のカラスが飛んでいきました。

「ウエストナイルウィルスのせいで、カラスの数が激減している」と行動を共にしているフェルミラボの物理学者、Peter Kasper氏は言います。カラスたちはこちらに向かって飛んできたもっと大きな鳥が気になるようで、見ればまぶしいくらいに白い腹と長い尾を持つオスのハイイロチュウヒでした。

陽子が加速される道すじに沿って車を進めると、かつてのテバトロン加速器(上の画像中央、一番大きな円)へ入射されるところまできました。そこで出会ったホオジロガモのつややかな緑色の頭部、黄色い虹彩と、白い体のコントラストがあまりにも美しいので、僕たちはすっかり見とれてしまいました。


鳥を愛する物理学者

メインインジェクター近くの池で見つけたホオジロガモ
Image: Ryan F. Mandelbaum via Gizmodo US

Kasperさんは現在フェルミラボの『Mu2e』実験に携わっており、素粒子物理学の基本であるスタンダードモデルの検証に挑んでいます。ミューオンという素粒子が電子に崩壊する頻度は現在非常に稀だと予測されているものの、もしこれよりも頻度が高いことがわかれば、未知の素粒子の存在を示しているのではないか――ひょっとしたらダークマターの謎さえも解き明かせるのではないかとさえ期待がかかっているプロジェクトです。

そんな重要な仕事に就いているのにもかかわらず、Kasperさんの名が本業以外でも世に知られているのは、彼がフェルミラボの加速器部門に配属された1986年以来ひたすらバードウォッチングに勤しんできた筋金入りの愛鳥家だから

オーストラリアで過ごした幼少期からすでに鳥に夢中だったKasperさん。小学4年生の時、友だちの鳥の卵コレクションに触発されて自身も卵の図鑑を買ったものの、次第に卵よりも鳥に心惹かれるようになり、野外で積極的にバードウォッチングするようになったとか。世界に1万種と言われている鳥類のうち、すでに4,500種をウォッチしている彼は、今ではフェルミラボの事実上の鳥博士です。

長身・長髪でいかにも「博士」の風貌を持ったKasperさんは、フェルミラボの26平方キロメートルにもおよぶ広大な敷地内で定期的に鳥類多様性調査の陣頭指揮をとり、仲間とともにこれまで291種を確認してきたそうです。

今回、僕は鳥とはまったく関係のない理由でフェルミラボを訪れていたものの、Kasperさんとおなじく僕も鳥狂いだと重々承知している広報担当者が、わざわざこうしてバードウォッチングのための時間を確保してくれたのでした。


素粒子加速器が残したもの

雪原を横切るコヨーテ
Image: Ryan F. Mandelbaum via Gizmodo US

Kasperさんと僕は、テバトロンの地下トンネルをなぞるようにして周長6.3kmの円を描くリングロードで観察を続けました。

フェルミラボにはかつて世界一強力だった衝突型加速器・テバトロンが設置されています。これまで水鳥を観察していたあたりの地中にはメインインジェクターがあり、超電導磁石とRF空洞によって加速された陽子がテバトロンに供給されていました。テバトロンに入った陽子はさらに加速され、反対方向に加速された反陽子と衝突を繰り返します。これらの衝突をモニターしていたCDFとDØ検出器により、素粒子のうち最も重いトップクォークボトムクォークが確認されたのはテバトロンが世界初。大事な役目を終え、もっと強力な大型ハドロン衝突型加速器がスイスのCERNで運転開始してからは、テバトロンは運転終了となりました。

その停止しているテバトロンの上に、今は見渡すかぎりの大草原と、アシが生い茂る池が広がっています。夏場は水鳥に加えて湿地を好む鳥たち、そして雨が少ない年にはシギ科の鳥たちにとっても絶好の生息地となっています。

イリノイ州の厳しい冬のあいだは湖が凍りつくので、開けた草原を好むハイイロチュウヒオオモズを観察するのには好都合です。モズは決して大きくはないものの、捕えた獲物を木の枝やトゲや有刺鉄線に突きさしておく、いわゆる「モズのはやにえ」で有名。あいにく見かけなかったものの、かわりにアメリカチョウゲンポウという小型のハヤブサが車の上を横切っていったのを見られたので満足でした。テバトロンのまわりを一周し、さらに外縁に広がる草原へ続く道に車を進めました。


大草原の小さな鳥たち

フェルミラボ在住のアメリカバイソン。さすがに放し飼いというわけではないようです
Image: Ryan F. Mandelbaum via Gizmodo US

イリノイ州にはかつて9万平方キロメートル近い大草原が広がっていましたが、現存しているのはその0.01%にも満たないそうです。1950~1960年代にこの生態系の保全に尽力したのがノースイースタン・イリノイ大学の生物学者、Robert F. Betz教授でした。

フェルミラボの設計者であり、マンハッタン・プロジェクトの物理学者でもあったRobert R. Wilson氏がフェルミの広大な土地の活用方法を模索していると聞きつけたBetz教授は、すぐさまWilsonに会いにいったそうです。そして、大草原が織りなす生態系とその保全の重要性を熱弁した上で、「ただし、保全が完了するには40年かかります」と釘を刺しました。するとWilsonは「ならば今日の午後にでも始めましょう」と返したと文献には残されています。

その当時、Wilsonはすでにフェルミラボの独特な環境づくりにおいて一目置かれていた、とフェルミラボのアーキビスト・Valerie Higginsから教わりました。大草原を引き立たせるために1969年からアメリカバイソンを飼い始めたのも彼の大胆な発想のひとつ。現在では草原に営巣するマキバドリボボリンクや、珍しいヘンスローヒメドリなども遊びにやってくる豊かな生態系になりつつあります。


遅刻するにはもってこい

日没直後の空に舞うコミミズク。背後に見えるのがウィルソン・ホール
Image: Ryan F. Mandelbaum via Gizmodo US

バードウォッチングは続きました。北極圏で巣作りし、冬には北米の草原までエサを探しにくるケアシノスリを一目見たくて、僕もKasperさんも目を皿にして探し続けました。

そうこうしているうちに時間が過ぎていき、Kasperさんが日没後にコミミズクを観察できる場所があると教えてくれたのですが、残念ながら次のアポが迫ってきていました。あいにく僕はフェルミラボの物理学者と会うので戻らないと、と一応断ってはみたものの、ついツメナガホオジロを見たことがないと打ち明けてしまいました。それは遅刻するにはもってこいの言い訳だ、とすかさずKasperさん。

僕たちはWilsonがデザインしたという遊び心いっぱいの「π(パイ)」の形をした電柱を通り過ぎ、農地を隔てた道へと車を進ませました。Kasperさんはつい先週末、ここでツメナガホオジロを見たのだとか。

道ばたには黄色い頭をしたハマヒバリが砂塵にまみれながら種子をついばんでいました。茶色い小さな体にバイカラーのくちばしと赤い帽子が印象的なムナフヒメドリもいました。

ひらけた草原の上を風がわたり、外気は氷点下なのにもかかわらずコートを羽織っていなかった僕たちの体を芯から冷やしていきました。ドライブ中には残念ながらツメナガホオジロは姿を見せなかったけど、そのかわりにフェルミラボ在住のコヨーテが車の前をすり抜けていったのにはびっくりしました。


短時間でこれだけの鳥を見られるとは

ハマヒバリ
Image: Ryan F. Mandelbaum via Gizmodo US

僕たちはやっと回れ右をして、草原にたったひとつそびえ立つコンクリートの要塞のようなウィルソン・ホールへと車を向かわせました。駐車場に入る際、木立で休んでいたアカオノスリを驚かせてしまったりも。

しかし、結果として45分間で13種の鳥を確認できました。これは冬場のバードウォッチングにしてはなかなかいい結果だと思います。その日のうちにもう一度、そしてその次の日もまたもう一度、同じルートをたどってひとりでバードウォッチングしてみたら、コミミズクが草原で狩りを展開している様子や、アメリカホシハジロという名のカモ、そしてやっとのことで念願のツメナガホオジロの群れにも会うことができました。

もちろん、これは広報担当さんがフェルミラボの警備員に無害な20代の望遠鏡を携えた男が「関係者以外立入禁止」と書かれたエリア内で車をゆっくり走らせているけど気にしないで、と事前に声をかけてくれたおかげなのですが。


失われた鳥たち

Kasperさん自身、フェルミラボで確認されている291種のうち6種以外はぜんぶ見たそうです。イリノイ州に珍しいナンベイヒメウはまだ、シロフクロウもまだ。十数年前にシマアジ(という名のカモ)を目撃した先輩バードウォッチャーがいまでも羨ましいそうです。

他のバードウォッチャー同様、Kasperさんもフェルミラボ内の鳥の数が減少したと感じています。同地区で毎年クリスマスに行われるバードカウント調査では、毎年観測される鳥の数が減ってきているそう。昔なら大群で押し寄せた鳥たちの層が薄くなり、春に渡ってくる鳴き鳥たちがかつて20種はいたのに、最近では一日に10種を数えるのがやっとなのだとか。

アメリカでは1970年代から推定30億羽の鳥が失われており、その喪失は全鳥類の29%にも及びます。ベテランバードウォッチャーがその喪失に気づかないはずはありません。

「データの酷さに打ちのめされている」とKasperさんは言います。そのデータを裏付けるかのように、フェルミラボの森を散歩しても、一度も鳥のさえずりを聞かない日が平常になりつつあるそうです。「初めて鳥の声を聞かなかった日はショックだったよ。なんだ、鳥たちはどこに行っちゃったんだ?って。ここの森はいつもにぎやかだったからね。」


環境保全の大切さ

やっと出会えたね。ツメナガホオジロのペア
Image: Ryan F. Mandelbaum via Gizmodo US

フェルミラボにやってくる鳥たちは、環境保全活動がいかに健康な生態系を維持するのに不可欠かを物語っています。森林・小川・池・大草原と、多種多様な環境がそろっているフェルミラボには、何百種という鳥たちが集まってきます。

長年の努力が高じて、フェルミラボの鳥たちを追い続けているKasperさんは世界的に有名になりました。彼の野鳥観察ログをネットで見たバードウォッチャーたちが、こぞってフェルミラボの近郊に鳥を見に来るようになっているそうです。これは愛鳥家の間では「パタゴニア・ピクニックテーブル効果」と呼ばれているそうで、一見なんの変哲もない土地で珍しい鳥が一羽でも発見されたら、そこには後からわやわやとバードウォッチャーが集まってくるんだとか。そしてさらに珍しい鳥が発見され、さらに…というように、その環境や生態系の大切さが浮き彫りになっていくわけですね。

「ここよりもっとバードウォッチングに適した土地はシカゴ方面にもいっぱいあるよ」とKasperさんは言います。「でも、僕はここで探し続けるんだ。」