…「裏切られ男織田信長」というイメージがなんか定着してしまってるが織田家中からの謀叛は明智光秀が空前絶後だったし、それを信長の油断とかウッカリ属性でまとめようというのはミスリードなんじゃない?
2020-02-05 05:41:15「裏切られ信長」関連
羽柴秀吉も生前は家臣の裏切りは起きなかったし、右肩上がりの成長共同体というのは敢えて裏切ろうとするメンバーはそうそう出ないものよ。 逆に徳川家康が武田に押さえ込まれて拡大停止してる時期に大賀弥四郎事件が起きとるわな。
2020-02-05 05:41:15@urakkun26 F先生の話だと、織田政権の地方統治って織田本宗家からは何も無しで、各地遠征軍の将に丸投げなので独立心が芽生えやすいのかも。その割には突然信長は白紙にしますし。村重も播磨コツコツ頑張ってたのに梯子外されて離反してますし。
2020-02-05 09:51:18@yamamoto_zombie どうも織田信長の戦略見てると、上洛戦当初の京畿の主は足利将軍という方針が義昭追放辺りから迷走し始めて及び腰の印象が有ります。松永や荒木はそれに振り回された上で織田を見限ったんじゃないですかねぇ。
2020-02-05 10:05:04@urakkun26 義昭を抱えてからは一気に拡大したので、何もかもおっつかなかったんでしょうかね。
2020-02-05 10:09:23@yamamoto_zombie 明智羽柴というおそらく傭兵上がりの家臣を京都奉行に取り立てて大名にせざるを得なかったというのも、織田分国と京都の治安維持の両面作戦を維持する為に家臣団を応急的に拡大する必要があったからでは…と思います。
2020-02-05 10:16:53@urakkun26 強大であると同時に本宗家が脆弱になりやすい構造ですね><。信長のいない席で、雑談したり飲んでる時は、遠征軍各将も日頃から「あの鼻デカ、いつか絶対しばく!」とか愚痴り合ってそうですw。
2020-02-05 10:29:30そういえば小牧合戦で羽柴に押さえ込まれて進退に窮した時に石川数正が徳川から離反してますな。徳川武士団が特異的に忠誠心の強い集団というのは江戸時代に出来た「そういう話」であって、まあ当時的には普通ですわ。 twitter.com/urakkun26/stat…
2020-02-05 10:32:58@yamamoto_zombie んで「说曹操曹操就到」で、俺に足向けて寝るなよみたいな書き付けを送り付けられたり、お前の女房からプライベートまで筒抜けやぞみたいな話を耳にする事になる訳ですね。
2020-02-05 10:38:01@urakkun26 となると・・・やっぱり本能寺の変決行するしかないのですね!苦笑
2020-02-05 10:42:04@yamamoto_zombie 一旦信長の寵を失ったら末路哀れという認識が明智を謀叛に追い込んだとしても不思議では無いですね。
2020-02-05 10:52:49@urakkun26 史実的にはかえって疑わしいようですが、伝承では祖父清康も父弘忠も三河武士に暗殺されてる上に、家康自身も幼少期に家臣の手引きで織田に売られと、裏切りの伝承だらけで逆にどこから三河武士の忠義などという与太話が出たのだと思いましたね。
2020-02-05 13:33:08@Sz73B やはり儒教的な忠義を武士の徳目として江戸時代に採用した事で遡及して「三河武士」が創作され、普代や旗本達はその子孫という歴史物語に結実したのでしょう。
2020-02-05 13:44:52@urakkun26 まあ、自分なんかは逆に「こんな反覆常ない、全然信用できない三河武士(まあどこにでもいる地侍)をともかくも統率できた徳川家康すごい」になったんですが。
2020-02-05 13:48:15@Sz73B 駿府で育った家康は三河武士にとっての旧主であり貴種であったという求心力が働いた事と、武田と激突するまでは清州同盟を背景に順調に領土を増やす事で家臣の期待に背かなかったという所までが戦国大名としての徳川家康を成功者にしたのだろうと見ています。
2020-02-05 14:22:04@urakkun26 @Sz73B あと、国衆や一門には、惣旗本先手衆という家康側近上がりが形成する軍団が抑止力として機能してますね。
2020-02-05 14:49:27@saemonhiguchi @Sz73B おそらく大名直属の軍団を形成する組織デザインの有利さを今川時代に会得したんでしょうね。
2020-02-05 14:52:11@saemonhiguchi @Sz73B なるほど…織田が母衣衆を充実させたのも今川の馬廻衆の影響で、その今川の軍制は伊勢新九郎が足利奉公衆を参考にして導入したものなのでは…と想像しています。
2020-02-05 15:00:23@urakkun26 @Sz73B 比較的規模の大きい当主直轄部隊としては、後北条氏の諸足軽衆と、武田氏の上意ノ足衆が有名ですね。
2020-02-05 15:16:43@saemonhiguchi @Sz73B 直轄部隊を形成するリソースを持ってた領主が「強い」戦国大名だったのではないかと思います。
2020-02-05 15:24:04@urakkun26 松平家が家臣の逆心が多いですな、それこそ三河武士という神話を作らないと纏まらなかったせいなんじゃないかと思えるぐらいに
2020-02-05 15:36:12@urakkun26 @saemonhiguchi @Sz73B それだとほとんどヨーロッパの絶対君主制への歩みとパラレルですね
2020-02-06 06:04:31