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女性が考える「男女対等」の発想の狭さ

従前からの読者はご存知の通り、筆者はジェンダーギャップ指数を改善することを目的として、仕事への没入がどうしても要求されるリーダー職に女性が進出することを促進するため、女性稼ぎ手モデルの積極導入を提唱している。

リーダー職の滅私奉公性

私が女性稼ぎ手モデルを勧めるのは、ジェンダーギャップ指数の計測対象である社会的リーダー=政治家や管理職は、どうしても仕事への没入を求められがちだからである。

リーダー職は多くの人にとって重要な方針を決める権限を預かっているがゆえにリーダー職なのであり、職業倫理として「滅私奉公」(※ここでの「公」は有権者や部下)が求められ、私事を優先すればどうしても「身勝手」との誹りを受けやすい。例えば、直近では伝染病の流行が危機的状況にあり、厚生労働大臣ともなれば多くの人の命を預かっている状態だが、ここで大臣がゴルフにでも出ていれば政治的スキャンダルになるだろう。最近環境相が育休を取ったことが話題になったが(筆者も賛成である)、今このタイミングで厚労相が育休・産休を2~3か月取ったら?とアンケートしてみたところ、環境相の育休に賛成の人のうち4割程度が「厚労相がそれでは困る」と回答した。

「他者に責任を負うがゆえに私事を後回しにせよ」という傾向は管理職でも同じである。例えば下記のツイートでは、管理職(マネージャ)の心得として、直球で「滅私奉公」と書かれている(なおSalesforceはベイエリア企業)。「自分は24時間稼働のマインドで仕事するが、メンバーは定時で終わるようにする」といった事項はその最たるものだが、管理職のほうに決定権がある以上、メンバーが定時で帰れないのはマネジメントのミスであり、そのツケはマネージャーが支払う必要があるという考えである。

この傾向は医師でも同じようなものであり、彼らは直接的に患者の命を預かる立場にあるから、どうしても私事よりも患者の命を優先することが倫理規範となりやすい。例えば「医は仁術」といった言葉は(少なくとも医師側の視点で)そのことを示した言葉である。

この問題を性から切り離して考えるには、例えば資生堂ショックのような女性だけの職場を考えればよい(女性顧客の要望により女性だけの職場になっているところ珍しくない)。女性上司が時短勤務すると部下の女性複数名が残業を強いられるのと、女性上司が残業すると部下たちが定時で帰れるとき、どちらを「正当」と考えるかで言えば、後者である人が多かろう。

上記のように、女性のリーダー職への進出=ジェンダーギャップ指数の改善を考えると、女性稼ぎ手モデルを採用して女性が仕事に没入できたほうが良い。実際、国内外の多くの女性政治家は産休を2カ月程度で済ませ、夫に主夫になってもらい内助の功で政治家を続ける人が多い。近年の分かりやすい例はニュージーランドのアーダーン首相だが、彼女は産休中からメールでの執務は行っていた。元Yahoo CEOのマリッサ・メイヤーなどはもっとワーカホリック的であり、分娩室からメールを打っていたという伝説が残るほどである。

この点は出世を早めようとする場合も同じで、昇進は「空いたポジションにかかった募集を埋める」行動が基本となるが、場所を選ばず=転勤を厭わず空きポジションを探したほうが出世は早くなり、共働きでは不利になる。日本の雇用制度では会社に命じられて転勤となるが、アメリカのようなジョブハントでも事情は同じであり、筆者の知る限り共働きエリートは夫婦別居が多い。

女性やフェミニズムの考える「男女対等」

ここで問題になるのは、女性の考える「男女対等」像が、ジェンダーギャップ指数で要請されるものと大きくずれているということである。女性は一般に、「男女が稼ぎも家事分担も男女等しい夫婦像」を男女対等と考えており、女性が仕事に没入するケースを想定していないことが多い。

▼ 多くのフェミニズム文献において、「男性稼ぎ手モデル」の対義語は「共稼ぎモデル」であって、「女性稼ぎ手モデル」ではない。(Google scholarでも「男性稼ぎ手モデル」「共働きモデル」は見つかるが「女性稼ぎ手モデル」は見つからず、ほぼ私の造語である)
▼ スローター「仕事と家庭は両立できない?」で、女性の多くが仕事も家事も50:50の夫婦を想定している(ために責任の重い仕事に没入できない)
▼ 白河桃子「『専業主夫』になりたい男たち」では、夫婦の稼ぎは女7男3あたりまでが女性が許容できる限界であろう(専業主夫を許容できる女性はめったにいない)としている。
▼ 濱口桂一郎「働く女子の運命」では、そもそも仕事に没入することが間違いであり、仕事への没入を前提とした管理職トラックは減らし、所謂マミートラックを標準とすべきだと主張している。
▼ ニッセイ基礎研が女性を対象に希望の夫婦生活を訪ねた調査では、仕事と家庭の両立(DINKS含む)希望と兼業・専業主婦希望がそれぞれほぼ半分を占める一方、女性が主たる稼ぎ手となる選択肢は最初から用意されていないありさまである。

この傾向は「バリキャリ」と呼ばれる女性でもそうで、仕事人としては仕事に没入するモデルを、家庭・結婚では男性稼ぎ手・共働きモデルを想定した行動をとった結果、結婚後に詰んでしまう体験談がスローター「仕事と家庭は両立できない?」や中野円佳「『育休世代』のジレンマ」で描かれている。

筆者が直接話した範囲でも、上記事情を女性に説明すると、①女性が主たる家計支持者になるモデルを全く想定しておらず、その存在を理解するまでしばらく時間を要する、②リーダー職に滅私奉公性が存在することを拒否し、最悪他人がどうなってもいいとさえ言う、というくらいの極端な反応を示す方が一定割合いるというのが実情である

上記構造を理解してくださった方には下記の記事を案内しており、概ね多くの人は「機会平等が確保されていれば、女性の各々が自分の望む生き方をした結果、結果平等にならなくても仕方がない」的な反応を返す方が多い(女性も積極的に責任を負うべきだという方はあまり多くない)

フェミニズムはこの矛盾をどう解消するか

リーダー職は他者に影響する権限を預かるゆえ、どうしても(女性だけの世界でも、ジェンダーギャップ指数が良好な国でも)滅私奉公性が生じてしまう。従って、リーダー職の女性比率を指数化したジェンダーギャップ指数を上げよと主張することは、女性を滅私奉公性の高い職業に就かせよと主張するに等しい。

一方で、女性に対して理想の夫婦の役割分担や理想の働き方を質問すれば、滅私奉公的な働き方は間違っており、滅私奉公的な職は存在すべきではない、という回答になることが多い。

一方で滅私奉公性の高い職に就かせろと言い、一方で滅私奉公的職はなくせと言う。この相互矛盾は、男女共同参画を進めていく立場としては非常に厄介な矛盾であり、解けない難題を押し付けられているという状態である。

また、これは女性にとっても問題である。この矛盾を放置していれば、いつまでたっても男女格差はなくならないし、長期的には女性もリーダー職に就くため滅私奉公せよというスパルタ圧力が強まっていくだろう。女性自身が何を望んでいるのか考え、矛盾を回避できないのなら、何を捨てて何を取るか選ばなければならないのである。


また、政治家や管理職も楽にすればいいのでは……というご意見については、こちらを参照いただきたい。



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