どうしてSNSはこんなに中毒性があるのか? 専門家に訊いてみた

  • 15,833

  • X
  • Facebook
  • LINE
  • はてな
  • クリップボードにコピー
  • ×
どうしてSNSはこんなに中毒性があるのか? 専門家に訊いてみた
Illustration: Benjamin Currie (Gizmodo US)

止めたくても止められない。

ふと手があいた時、車で赤信号を待っている時、パッとスマホを取り出してソーシャルメディアをチェックする人はいくらでもいます。それだけでなく、運転中にまでチェックしたり、周りを見ないで歩きながら誰かとチャットしたり、周りを見渡せばみんなが携帯に目を落としていることも珍しくなくなりました。では、どうしてSNSはここまで中毒性があるのか? 米GizmodoのDaniel Kolitz氏が、専門家たちに訊いてみました。


ソーシャルメディアの利点と言えば、クスッとくる程度のミームを見られたり、仮初めのコミュニティや一体感を得られることですが、数々の立証された欠点は、そんなものを覆い隠してしまいます。SNSの心理的な影響が限度を越えると、ユーザがプラットフォームにそっぽを向き、個人情報をお金に変えることができなくなってしまいます。そうなってはソーシャルメディアサービスの持ち主たちは、ビジネスモデルを回している燃料を失い、常識的なプライバシや自己決定の概念を侵食することができなくなってしまいます。そこに至って初めて、影響に関心を持つ程度の興味しか彼らにはありません。

…というのが私の信じていることですが、正直これを書くことすら恥ずかしいです。ご想像の通り、私自身や周りのみんなもバッチリSNS漬けだからです。SNSとはそういう風になるようにデザインされているから、と言い訳すれば多少は安心できますが、では具体的にどうしてそうなってしまうのかを知りたくなります。そこで、米Gizmodoは専門家たちに、どうしてソーシャルメディアに中毒性があるのか訊いてみました。

Mark D. Griffiths

ノッティンガム・トレント大学、行動嗜癖特別教授

研究によると、少数の人たちはアルコールやギャンブルのように、本当にソーシャルメディア中毒になってしまうことが示唆されています。彼らにとって、ソーシャルメディアを使うことは人生で最も大切な行動であり、人間関係や学業、仕事などを放棄してまで使おうとします。

ソーシャルメディアのヘビーユーザは、中毒ユーザというよりは常習ユーザと呼ぶべきだと思います。常習ユーザの場合、ソーシャルメディアの使い方に多少難がある(仕事や勉強の効率が落ちる、家族などとの時間が減るなど)ものの、ソーシャルメディア中毒というカテゴリには入りません。

中毒というのは複雑で、原因にはさまざまな個人的要素(体質的、または遺伝子的な中毒への耐性、性格的な特徴など)や状況的特徴(広告やマーケティングの影響、ソーシャルメディアを使う機会やどれだけアクセスしやすいか)、それに構造的特徴(ソーシャルメディアの設計者が、繰り返しの使用を促すように意図的に導入している心理的な「フック」)があります。

常習的なソーシャルメディアの利用の大きな心理的特徴のひとつは、SNSプラットフォームにおける予測不可能性ランダム性です。報酬ーこれは生理的、心理的、あるいは社会的ーは頻繁に得られなくても、報酬を得られることを期待するだけでも心理的、そして生理的な快感となるのです。 報酬は、心理学者が言うところの「変動強化スケジュール」と言うもので、SNSユーザが頻繁にスクリーンをチェックする理由のひとつです。ソーシャルメディアサービスは、予測不可能な報酬がそこかしこに埋め込まれています。常習ユーザは、次にくるメッセージや通知が、自分を気持ち良くしてくれるものかどうか分かりません。手短に言うと、ランダムな報酬が人を長く引き止めているのです。

常習を促進させるもうひとつの材料は、「いいね」ボタンです。これは実にシンプルですが、SNSプラットフォームを随時チェックさせるのに非常に大きな役目を果たしており、同時に「承認欲求」を満たすのに役立っています。また、「相互いいね」と言うのもあり、自分をいいねしてくれた人に対していいねを返しやすい(「あなたが私を好きだから、私もあなたが好き」)傾向があります。例えば、AがBの投稿したセルフィーにいいねすると、BはAがセルフィーを投稿した際にいいねを返す可能性が高くなります。ソーシャルメディア企業は、この「相互いいね」の習性を利用し、ユーザの投稿が読まれたりコメントがついたりした際に通知を送ることで、それを返すように仕向けるのです。

人間の欲求には、他人と繋がりたい、やりとりしたいというだけでなく、社会的に競いたいと言うものもあります。これもまた、常習的なSNSの利用に繋がります。いいねが導入されたということは同時に、いいねがついた数を数えられるようになったということでした。いいねが数値化されることで、ユーザはこの統計を使って自分の自尊心を満たすのです。これによって、ユーザは定期的にSNSをチェックするクセがつくのです。

また、研究によると、SNSのエンゲージメントが高い理由のひとつには、FOMO(Fear of Missing Out、取り残される恐怖)が関係しているとされます。FOMOとは、自分がSNSを使っていない間に、他のSNSユーザが気持ちのいい体験をしているかもしれないという不安です。FOMOは、問題のあるSNS利用の兆候であり、ソーシャルメディア中毒に関わっています。

音も重要です。ほとんどの人は、携帯の通知音や振動を感じた時にどうするでしょう? 多くは携帯デバイスのスクリーンをみて、何が届いたのかを確認するでしょう。これはルーティンを行うトリガーとなり、ソーシャルメディアのクリエイターはまさにそれが狙いなのです。音や振動は、ユーザの注意を現実の世界からオンラインの世界へと引き戻すためにデザインされています。人間を「その瞬間の現実」から引き離すというのは、「説得技術」の一例です。

最後に、人は投資(時間でも、お金でも、労力でも)をすればするほど、そこから抜けるのが難しくなります。Snapchat(スナップチャット)のストリークがいい例です。ストリークはつまるところ、どこまで続けられるかを試すものです。ストリークのスコアが多ければ、それだけユーザは写真を相手に送り続けようとする可能性が高くなります。

Krista J. Howard

テキサス州立大学、健康科学および神経学准教授

ソーシャルメディア中毒とは、日常生活ー学校、仕事、人間関係、あるいは大まかな健康の維持ーに支障をきたすほどSNSに時間を費やすことを指します。私の研究チームは、ソーシャルメディア中毒のような、ソーシャルメディア行動の心理的ファクターを研究しています。最近、ジャーナルのHuman Behavior and Emerging Technologiesにて掲載が決定した論文があり、そのタイトルは「A Biopsychosocial Approach to Understanding Social Media Addiction(ソーシャルメディア中毒を理解するための生物心理社会アプローチ)」です。この研究では、大人数の学部生を対象に、ソーシャルメディア行動と心理的ファクターを測りました。その結果、ソーシャルメディア中毒と深く関係する、複数の心理的ファクターが浮かび上がってきました。それは他人に対する共感能力の低さ良心のなさ自覚ストレスの高さ、そして深刻なうつ病性障害です。

良心や共感能力のスコアが低い人にとって、SNSは荒らし行為に最高の場所です。私たちの研究では、下向きの社会的比較(自分より状況が悪いと思う人を探す)を行う人ほど、SNSで荒らし行為をしやすいことが分かりました。こういった人々は、他人にストレスを与えることで快楽を得ています。ストレスも鬱も、ネガティブな感情です。なので、ソーシャルメディアは気晴らしや逃避という意味でコーピングに使われているのではと考えました。私たちの研究では、深刻な鬱や不安障害を抱えている人は、上向きの社会的比較(自分より良い状況だと考える人と自分を比べる)をSNSプラットフォーム上で行なっていることが分かっています。

行動としては荒らしとコーピングでは大きく違いますが、どちらにせよ、ソーシャルメディアの利用によって、ユーザが実世界から自分をどんどん切り離してしまうのは問題です。ソーシャルメディアで時間を使いすぎているなと思っても、完全に止める必要はありません。しかし、時には休んで、通知をオフにし、実世界の人間と対話してみましょう。

Jenny Radesky

ミシガン大学、小児科准教授、研究の分野は家族でのデジタルメディア利用など

テクノロジーやソーシャルメディアを語る際、「中毒性が高い」とか「中毒」という言葉を頻繁に見ますが、いくつかの理由から私は使いません。

まず、「中毒性の行動」や「中毒」という言葉は、問題を「個人」と「メディアに対する個人の反応」に見出しています。しかし、問題は「メディアのデザインそのもの」です。個人に対して、そもそも魅力的に映るよう設計された製品を拒否するよう呼びかけるのではなく、デジタル環境のデザインそのものを変えたほうが簡単に解決するのだと強調することが重要だと思います。

また、デジタルデザインを説明する時、心理学的、あるいは医学的な「中毒性」という言葉を使うのは、大手ソーシャルメディア企業が、ユーザのためではなく自分たちの利益のために製品をデザインしているという事実をボカすために、ユーザの欠点のせいにしようとしているのではないかなとも思います。

Facebook(フェイスブック)がマイクロターゲティングされた政治広告を許可することで収益を得ているなどは良い例です。

私は研究者なので、行動の裏にあるメカニズムを正確に説明できる言葉を使うのが好きです。今回の場合、デザインに対して「中毒性が高い」という言葉ではなく、「エンゲージメントを促す」とか「データをより抽出する」といった言葉が良いと思います。FacebookやYouTube(ユーチューブ)などのSNSで時間を使えば使うほど、あるいは何度もエンゲージを繰り返すほど、プラットフォームも広告主も収益を得るのです。そしてユーザが、より多くいいねやシェアなどのソーシャルメディア行動を行うほど、より多くのデータが抽出されて、ユーザに対してマーケティングしやすくするプロファイルが構築されるのです。製品はベータテストされ、最もエンゲージメントが高いものが残ります。これらのプロセスをよりユーザに対して透明にできれば、ユーザも自分が弱いとか中毒者なのではなく、そもそも利益のためにデザインされたナッジや強化因子に反応しているだけなのだと理解できると思います。

最後に、私は親がテクノロジーを使う際に関わる社会的、感情的プロセスを研究していますが、これらの要素は「中毒」という比喩では表現できません。摩擦がなく、パーソナライズされたデジタル環境は、時に混沌とした現実世界での一時の休息となりえます。少なくとも、泣き言を言う子供や怒りっぽいパートナーから一時的にでも逃避したい人はいるでしょう。

そういったさまざまなエンゲージメントから利益を引き出すSNSプラットフォームやアプリ開発者、広告ネットワークやデータブローカーには本当に驚かされます。規制を強化するか、SNSプラットフォームが収益を減らしても良いと思わない限り、当面はユーザが自分でエンゲージメントを促すデザインに気づいて、自制するしかないでしょう。

Miriam Liss

メリーワシントン大学、心理学教授

ソーシャルメディアの中毒性が高いのは、人間を人間たらしめる根本的な要素を利用しているからです。つまり、私たちには社会的な繋がりが必要だと言うことです。私たちはSNSに投稿して、他の人がいいねをつけるか、コメントをつけてくれるのを待ちますよね。同時に、他の人の投稿にも相互でいいねやコメントをつけることで、あたかも他の人たちと繋がっているように感じられるのです。

報酬は断続的で予想不可能です。ログインするたび、どれくらいのいいね、コメント、フォロワーが新たに付いているかは全く予想できません。断続的で予想不可能な報酬が一番中毒性があると言うのはよく知られています。スロットマシーンなんかも良い例ですね。アプリがローディングされている間の期待が、興奮と中毒性を煽ります。Snapchatのストリークなどは、相手をがっかりさせたくない(と、ストリークを止めたくない)という欲求や、何かにお金や時間をつぎ込めばつぎ込む程(埋没費用と呼びます)、その行動を続けようとする習性を利用しています。

興味深いことに、ソーシャルな報酬への欲求は、その報酬の価値を損なうような行動を私たちに起こさせます。例えば、私たちは頻繁に投稿文や写真で事実を隠し、いいねやコメントがより多くつくように、自分たちを現実より良く見せようとします。しかし、そうすると折角もらったいいねやコメントも虚しくなり、罪悪感すら感じてしまいます。私たちが最近公開した研究では、Instagram(インスタグラム)上での写真加工と憂鬱な気分の関係性が浮かび上がってきました。これは、自分が投稿したことの現実とのギャップから生まれたものです。

Anna Lembke

スタンフォード大学、心理臨床学と行動科学准教授

ソーシャルメディアに中毒性があるのは、私たちが社交的な種族で、存続のために他人と繋がるようにプログラムされているからです。SNSは、社会的な繋がりを高速で、連続して、強烈な形で得る方法を提供しているのです。強烈なカナビスを吸引するのにダビング(高濃縮のオイルを溶かして吸い込む方法)するのと同じですね。

スタンフォードの私の同僚による最近の研究では、愛のホルモンであるオキシトシンは、脳の報酬系回路のドーパミンの量を増やすことがわかっています。愛に中毒性があるのは分かりきったことですが、Tinder(ティンダー)やGrindr(グラインダー)では一日20回以上恋に落ちることができ、やればやるほど中毒に陥ってしまいます。

ソーシャルメディアがポジティブなものになり得るのは、私も間違いないと思います。例えば、現実世界の人間関係を補強するように使う時です。しかし、現実世界の人間関係の代替として使う時、それはネガティブになってしまいます。

Ofir Turel

カリフォルニア州立大学の情報システムおよび決定科学の教授であり、南カリフォルニア大学の決定神経学プログラムの在学者

この質問は、「ソーシャルメディア中毒」なるものが存在すると仮定したうえでのものですが、まだ意見は一致していません。ただ、誰もが認めるのは、SNSは病みつきになり、なかにはやりすぎる人もいて、他の活動を阻害し、時間を浪費して没入感が高いことです。

しかし、SNSやビデオゲームのようなテクノロジーを介した行動に対して「中毒」と言う言葉を使うには、まだ議論されていることがあります。ある行動に中毒性があるかどうかは、それによって普通の行動に支障を大きくきたしていても、個人の意志力の強さに関わらず繰り返し行ってしまうかどうかです。他の中毒性のある行動もそうですが、一番の問題は、その「大きく」と「普通の行動」の定義です。「普通の行動」とは社会によって定義され、時間と共に変化していきます。例えば、100年後には顔を付き合わせての対話は異常だと思われるかもしれません。「大きく」の定義はもっと困難です。例えば、ソーシャルメディアを使っていたせいで宿題を忘れてしまうのは「大きい支障」でしょうか? 起きたのが一度だけだったら? それとも週に一回? オフラインの楽しみや付き合いを放置するのは「大きい支障」でしょうか? それとも、セルフィーを撮ろうとしてうっかり崖から落ちて死なないと「普通の行動に対する大きな支障」にならないのでしょうか? 答えは人それぞれだと思いますが、医科学の観点では非常に重要な問題で、まだハッキリとした答えは出ていません。

とはいえ、ソーシャルメディアが中毒のような症状(使わないと禁断症状のようになる、また使い始めるとスリルを感じる、他の生活行動の支障になる、自制しようとして失敗する)を作り出すという点は私も認めます。そして、普通の行動に支障をきたすような過度の使用は(より適切な表現が見つかるまでは)「中毒」と呼んでいいと思います。

この現象の原因は、企業の意向、その意向に従って彼らが提供している機能、そして私たち自身の脳の仕組みなどに関係しています。企業の視点から見てみると、SNSサービス(と、他のウェブサイトやアプリ)は「注目経済」のなかで競争するようにデザインされています。この経済のなかでは、人間の注目は有限の商品です。人間は労働、睡眠、学校以外にさける時間が限られており、テック企業(ビデオゲーム開発者、Gizmodoのようなウェブサイト、そしてSNSサイト)は私たちの自由な時間を取り合っており、それだけでなく労働、睡眠、学校など、重要な時間にまで影響が及んでいるのです。

これは彼らの生存のために必要なことです。結局のところ、彼らの収益はユーザがどれだけの時間サイトを見ているか、どれだけエンゲージしているかにかかっているからです。例を挙げると、ビデオゲームのゲーム内購入や、SNSサイトのネットワーク効果や広告収入などです。なので、ソーシャルメディアだけをあげて、他のサイトやアプリよりも中毒性があると言うのは公平ではありません。彼らはこの「注目経済」のなかで、自分たちが使えるものを使って利用時間やエンゲージメントを増やそうとしているだけなのです。彼らがユーザの注目と時間を集めないなら、他のサイトやアプリが同じことをするだけです。彼らがエンゲージメントを増やそうとしているのか、それともサイトを「中毒性が高いもの」にしようとしたのかは憶測でしか語れません。しかし、ユーザに見られる中毒のような症状は、SNSサービスがエンゲージメントを増やそうとした結果(願わくば、意図せず)生まれてしまった副産物のように見えます。

これが第二の要素に繋がります。上で述べた企業同士の競争に後押しされ、彼らは一般的な行動心理学のツールを使って、ユーザの注目を集め、彼らのサイト、あるいはアプリでより長い時間エンゲージさせようとしたのではないかということです。例えば、サイトを使いやすくし、簡単に、何度も、自動的に(ログインを省略し、無限スクロールし、ビデオは自動再生される)使えるようにしました。また、利用方法を魅力的にし(フィードに流れるトピックを選ぶことで、利用時間をより効率化し、エンゲージしやすくする)、いいねなどの報酬を即座に与えられるメカニズムを導入し、ランダムなスケジュールで提供し(行動科学者、バラス・スキナーがハトに行った変動報酬スケジュールに似ていますね)、Snapchatのストリークのように、サイトを使い続けたくなるモチベーションを作ったりしました。こういった機能はサイトを繰り返し使う強いモチベーションとなり、人間の意識を超えて植えつけられる(潜在意識になる)こともあります。この潜在意識/自動性の面を表す一例として、私たちの研究では、被験者は自分たちが実際にソーシャルメディアに使っていた時間の合計に驚いていました。彼らは実際よりも非常に短い時間しか使っていないと思ったのです。また、ユーザの脳内で、ソーシャルメディアの通知に対して潜在意識による自動アプローチが確認され、ソーシャルメディアの利用がかなりの部分潜在意識で行われており、それが予想以上の利用時間に繋がったと思われます。なので、上記のような機能は実にうまく自動利用に繋げることができ、無意識のうちにやっているので、ユーザは振り返ってみても、サイトを利用したことに理論的な理由を挙げることができません。こういった行動はしばしば非合理的にも見えます。例えば私たちの研究では、ユーザの40%が運転中にソーシャルメディアを過去一週間で最低一度はチェックしたと答え、5%は運転する度に必ずチェックすると答えました。こういった行動は、リスク(死)と利益(いいね、コメントなどの短期的な快感)を考慮してみれば非合理的です。

ここで第三の要素に繋がるのですが、私たちの脳がSNSサービスの提供する報酬を欲しなければ、企業の思惑や彼らの作った機能もうまくは行かなかったはずなのです。ソーシャルメディアは、人間に必要な多くのことを満たしてくれます:承認欲求、達成感、交流感覚など、他にも多くあります。なので、彼らの作り出した機能は非常に利用しがいがあると感じられるのです。この場合の「利用のしがい」とは、脳のドーパミン放出(気持ちよくなる脳内伝達物質)を意味します。特に留意すべきなのは、これらのサイトを使うと、脳の報酬系回路が活発になります(主に側坐核)。時間が経つと、回路はこの楽しい行動をもっとやりたいと思うようになり、ソーシャルメディアの通知に敏感になります。これにより、脳のこの部分に機能的鋭敏化が起き、構造的な変化も起こり得ます。例えば、複数の研究で、「いいね」が脳の報酬中枢を活発化させることがわかっていますが、私たちの研究では、脳のこの部分に変化が起き、その過剰な活発化は、SNS利用に関する中毒のような症状と関連性があることがわかりました。しかし、これは食事やショッピングなどの「報酬」行動でも同じです。脳の自制を司る部分に支障は見られなかったので、中毒症状のように見られるものは、報酬を処理する非常に敏感な脳のシステムと関係があり、ほとんどの(でも、決して全員ではない)ユーザが、十分なモチベーションさえあれば自制できると見ています。そういう意味で、「ソーシャルメディア中毒」と言われるものは、コカインのようなものを使うというよりは(コカインは神経毒であり、自制を司る部分に大きな支障をきたすことがわかっている)、軽いタバコの使用に近いと思います。いずれにせよ、自制するための大きなモチベーションがなしでは、なかには自制心が非常に弱い人もいるので、敏感な報酬系回路は幾らかの人を過剰なSNS利用に走らせ、普通の行動に支障をきたし、SNS利用に歯止めがかからなくなります。これは、現時点では「中毒」と言っていいでしょう。

まとめると、「注目経済」で競い合うソーシャルメディア企業の思惑、彼らの使えるツール/機能、そして私たちの脳が報酬(ドーパミン)をより多く求める傾向にあるため、SNSサービスはソーシャルメディアの過剰利用を招いてしまい、場合によっては中毒のような症状を伴い、普通の行動に支障をきたします。これが本当の「中毒」かどうかはまだ決定されていません。これらのサイトの利用を制限、あるいはより細かく管理されるべきかどうかは、興味深い話題で、簡単な答えはありません。利用時間を計測するツールや年齢制限、「いいね」の数を隠すなど、いくつかのSNSサービスは普通の行動を妨げるような利用を制限しようとしていますが、そういった方法が、制御不能で生活に支障をきたすような利用にどれだけ有効なのか、更なる研究が必要です。

Pierre Berthon

ベントレー大学、情報デザインと企業コミュニケーション科教授であり、情報デザインとマーケティング戦略の会長

大きく分けて3段階で答えられると思います:固有性質意図的な設計、そして新技術です。

まず、これはSNS固有の性質であるということ。ソーシャルメディアは、人間の基本的な欲求をふたつ満たしてくれます:他人と繋がる欲求と、自分を表現する欲求です。他人と繋がる欲求は、他人の重要性を示しています。私たちは他人の目を通して自分を見ます。他の人との関係性や、自分が所属しているグループは、私たち「自身」を構成する重要な一部です。表現する欲求は、繋がる欲求の裏返しです。私たちが自分を他人の目を通して見ているなら、自分がどう見られているかは重要な問題です。自分のイメージを作り出すことで、それが他人との関係性やグループを通じて自分に返ってくるわけです。

次に、固有の性質であるだけでなく、ギャンブル業界での教訓や行動心理学を使うことで、プログラマーたちはソーシャルメディア体験の中毒性が高くなるよう意図的に設計しました。使われているテクニックの例を挙げると、変動比率強化、社会操作、ツァイガルニク効果(終わりない期待と後回しにされる満足感)、超集中力と忍耐の誘発(ネガティブな「フロー」状態で、終わりなく繰り返される行動)などです。これらのテクニックと、開始するまでの障壁がない(ほぼすべてが「無料」)こと、さらに偏在性(いつ、どこでも常に利用可能)などで中毒性を最大限に高めています。SNSがいかにして中毒性に向けてエンジニアリングされているかの詳細を読みたい方は、Berthon at al 2019の論文を参照してください。

最後に、固有性質や意図的な設計だけでなく、少数の人しか気づいていない中毒性を高めるもうひとつの要素があります。それは、AI(人工知能)の台頭です。AlphaGOが囲碁の世界チャンピオンに対して見たこともない手で勝利したように、AIは心理学者や社会学者、ビジネスマンたちが想像もしないような手で人を操る方法を発見、開発しています。更に、そういったAIを作ったプログラマたちでさえ、自分たちが作ったものが開発しているものを理解できません。ニューラルネットワークはブラックボックスなのです。創造主の理解を超えているという意味で、こういったシステムは実に不気味です。また、これまで人間は自分たちが機械より上であると信じてきましたが、そういった信仰を大きく覆してしまいます。さらに、SNS企業同士の開発競争が激化する中、AIへの依存がより強くなっており、消費者を中毒にする製品を作って、それに自分たちも(ビジネスの成功という意味で)中毒になっているのです。