南の島の人たちの生き方から「しない」をテーマに切り取るコラム『南の島の幸福論』。サモアに住む酋長ツイアビさんの言葉から生まれるコペルニクス的転回とは?


サモアの酋長ツイアビさんは怒っています。

ヨーロッパ人は南の島の人たちを「君たちは貧しく不幸せだ。君たちには、多くの援助と同情が必要だ。君たちは何も物を持っていないではないか」と見下すことに対して。

ヨーロッパ人がいう「物」とは何なのだろうか。

そして、南の島の人たちは、本当に「物」を持っていないのだろうか。

ツイアビさんの考えはこうです。

物には二つの種類がある。

ひとつはヤシの実や、貝や、バナナのように、私たち人間が何の苦労も労働もせず、あの大いなる心(神)が造り出す物である。いまひとつは、指環(ゆびわ)や、食事の皿や、ハエたたきのように、たくさんの人間が苦労し、労働して作り出す物である。

パパラギがいう物とは、人間が作った物のことであり、私たちが何も持っていないと言われるのは、こうした物のことである。見回してみなさい、遠く、空と海とがひとつになる所まで。

すべては大いなる物に満ちあふれているではないか。どうしてこれらの物のうえに、愚かにも、なおそれ以上の物を作らねばならぬのか

「パパラギ」より引用

物を2種類に分ける発想は、ユニークだと感じました。

持ち物を減らす「ミニマリズム」的な発想とも違うし、「足るを知る」とも違う。

「物」自体を再定義(広義化)し、「すでに膨大な物に囲まれているのだから、これ以上はどう考えても必要ないよね」というメッセージ。

私は、2007年にサモアのお隣のフィジー共和国という南の島国に移住しました。日本でサラリーマンをしていた頃と比べ、年収は大幅にダウン。ただ、移住したての当時、こんな風に考えていました。

常夏の国で1年中この太陽の光を浴びていられる価値は「年収200万円」くらい。すれ違う見知らぬ人たちと交わす気持ちのいい挨拶の価値は「1回あたり500円」くらい。生活エリアにおける緑視率(視界に入る自然の緑の割合)の高さは「年収100万円」くらい…など。

本来、お金に換算できないものです。

ただ、あまりの価値の大きさに感動して換算してみたくなりました。そして、その換算額を積み上げていくと、日本のサラリーマン時代の年収をはるかに超えていました。

誘惑がないから、満たされる

フィジーにいると、(人間が作った物に対する)物欲が減退しながらも、満たされている感覚になります。

「誘惑がない」ことも大きな理由の1つです。

欲しくなるような魅力的な商品がないし、商品を魅力的に見せる広告もない。木に生っているマンゴーがいちばん魅力的にみえたりします。

たまに日本に一時帰国すると、「どこもかしこも広告だらけ」という環境におののきます。目を開いて街を散歩しているだけででも、マーケティングされまくり。ただ移動するために乗る電車の中でも、「吊り広告」や「テレビ画面みたいな広告(デジタルサイネージ)」などで誘惑されてしまいます。

健康食品や金融商品、レジャー系、ファッション系など、多岐にわたる広告のオンパレード。それらに共通するメッセージは、

「今のあなたでは不完全だよ」

だから、お金を使ってねと。

「ありのままのあなたでいいよ」という広告はほぼ皆無です。ビジネスになりませんから。

「あなたは足りていない」

そんなメッセージに四六時中囲まれていたら、そりゃあ自己肯定感も下がります。幸福感を下げられないように、電車内では目を閉じていたほうがいいかもしれません。

地球の目でみてみる

ツイアビさんはこう続けます。

パパラギ(ヨーロッパ人)は、行く先々で大いなる心(神)が作った物を壊してしまうから、自分が殺したものをもう一度自分の力で生き返らせようとするのだ

森林を伐採しては、植林をする。

海洋を汚染しては、ビーチクリーン活動をする。

私たちは、本当に「らせん状」に階段を上っているのだろうか。

たまにこんなことを考えます。

「世界がもし全員、南の島の人たちだったら」

スマホなんて誕生していないだろうし、飛行機もなかったかもしれない。そうすると、私の人生も大きく変わります。

100カ国を旅するなんてできなかっただろうし、フィジーという国に出会うこともなかっただろう。

本を出版することもなかっただろうし、こんな記事を書くこともなかっただろう。

いま、エキサイティングな人生を送れているのは、先人たちがいろんな「物」を発明してくれたから。私はその恩恵をめちゃくちゃに受けています。

ただ、「地球」自身にとってはどうでしょう?

世界がもし全員、南の島の人たちだったら、いろんな発明はなかったかもしれないが、森がこんなに減ったり、海がこんなに汚れたり、温暖化がこんなに深刻になったりもしてなかったかもしれない。

ツバルやキリバス、フィジーなどの南の島国が沈みそうだという話なんかもなかったかもしれない。

どの視点でみるかで、善と悪は変化します。ツイアビさんの視点は、地球の視点と近いように感じるのです。


次回は、いよいよ最終回!

1920年に出版されてから100年経った「パパラギ」から、いまも色褪せないツイアビさんのメッセージ。令和に生きる私たちはどう活かしていけば良いのか、考えてみたいと思います。お楽しみに。

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永崎裕麻

「旅・教育・自由・幸せ」を人生のキーワードとして生きる旅幸家。2年2カ月間の世界一周後、世界幸福度ランキング1位(2016/2017)のフィジー共和国へ2007年から移住し、現在13年目。ライフスタイルをアップデートする英語学校カラーズ校長。100カ国を旅し、14カ国で留学した経験を活かし、内閣府国際交流事業「世界青年の船」「東南アジア青年の船」に日本ナショナル・リーダー/教育ファシリテーターとして参画。ライター、教育企画の立案、「幸せに気づくコーチング」、「40歳定年」などの活動もしており、フィジーと日本を行き来するデュアル・ライフを実践。2019年からは「幸福先進国」であるデンマークも加えたトリプル・ライフに挑戦中。大阪府生まれ。神戸大学経営学部卒業。二児の父。

永崎裕麻

著書に「世界でいちばん幸せな国フィジーの世界でいちばん非常識な幸福論」(いろは出版)。

Photo: 永崎裕麻