「どうぶつの森」ブームにいまいち乗れない「ゲーム落ちこぼれ」の悲哀

嗚呼、こんなに現実が苦手だったとは…

『あつ森』に心惹かれてはいるが…

高木です。近頃よく人から『あつまれ どうぶつの森』なるゲームを勧められます。「何それ? ズーキーパーみたいなやつ?」と聞いたら全然違いました。

なんでも、動物たちと一緒に無人島をどんどん開発・発展させていくゲームだそうです。キャッチコピーの『何もないから、なんでもできる』の通り、色々なアイテムを駆使してDIY感覚で島を自分色に染めていき、やって来る動物たちと楽しく暮らす。

時には友達のプレーヤーが自分の島に遊びに来てくれたりもする。ゲームというよりは、バーチャルな空間での日常を楽しむツールのようです。「セカンドライフみたいなやつ?」と聞いたら怒られました。

『あつまれ どうぶつの森』ゲーム画面(画像は任天堂公式サイトより)

ともあれこの『あつ森』に、心惹かれたのは事実です。しかし今のところ手を出すことに二の足を踏んでいます。というのも、私はこういったいわゆるテレビゲームの類をほとんどやりません。

過去を振り返れば、小学生時代はファミコンとゲームボーイ、中学生ではスーパーファミコン、高校ではプレステにセガサターンにNINTENDO64など、それなりにゲームと共に子供時代を過ごしてきました。しかし現在ほとんどやらない。その理由は極めて単純で、ゲームがヘタクソだからです。

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というわけで今回は、テレビゲームがヘタクソな人間によるテレビゲームの思い出……という何か禅問答みたいなやつです。

全然パンチが当たらない

自分のゲーム遍歴をおさらいすると、有名なゲームではスーパーマリオシリーズとか、マリオカートとか、ドクターマリオとか、そういうのはやったことがあります。理由は忘れましたが、マリオと名のつくものは無条件で良いものだ、みたいな、強いマリオ信仰を抱いておりました。

2Dの格闘ゲームのブームがちょうど高校時代だったので、ストリートファイターIIは好きでした。使っていたのはエドモンド本田です。他にも餓狼伝説とかワールドヒーローズとか、SNK系のやつもよくやっていました。

一方で、あまりRPG系のゲームはやっていません。意識して避けていたわけではありませんが、ドラゴンクエストをやったことがありません。初めてやったRPGは「ファミコンジャンプ英雄列伝」でした。ピッコロ大魔王に支配されているジャンプワールドを、「北斗の拳」のケンシロウや「シティーハンター」の冴羽獠など、16人のジャンプヒーローと共に戦い救うゲームでしたが、抜作先生を仲間にするところより先に進んだ記憶がありません。

ファイナルファンタジーはIIIだけやったことがありますが、クリアはしていません。当時の私の家はゲームが一日一時間までだったからです。最後のダンジョンはセーブ出来ない上にメチャクチャ長くて複雑で、絶対一時間ではボスまで辿り着けず、事実上攻略が不可能だったのです。

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ほかには、漫画の『ヒカルの碁』が流行ったときに囲碁のゲームを買った思い出があるくらいです。それなりにやりこみましたが、コンピューターのレベルを上げると一手ごとに長考が続くし、いきなり投了されて自分が何で勝ったのかわからないまま終わるしで、結局放り投げてしまいました。囲碁のルールは覚えたものの、どこでどうして勝敗が決まるのか未だによくわかりません。

とまあ、多少の偏りはあったものの、昔は自分なりにゲームを楽しんでいました。では、どこで自分が「ヘタクソ」だと気づいたのか。これはゲームの世界に3Dが入りこんできた頃でした。

格闘ゲームの世界に鉄拳やバーチャファイターが生まれたとき、格闘ゲーム好きとして一応手を出してみたんです。でも全然パンチが当たらない。相手の背後でひたすら踊ってる。格闘ゲーム以外でも、メタルギア・ソリッドではボス戦でボスを見失う。バイオハザードに至ってはドアもロクに開けられないし階段も下りられない始末。

ゲームの主戦場が3D空間になったことで、私の中に「あれ、ひょっとしてゲーム苦手かも」という意識が芽生えました。そしてある日、決定的にゲームと別れを告げる瞬間が訪れたのです。

電源入れたらできるんじゃないの?

今から10年近く前に『スカイリム』というゲームが流行りました。当時よく飲んでいた友人がテレビゲーム好きで、その彼が興奮して私に勧めてきたのです。あれはゲームを超えた。何でも出来る。現実と一緒だ。この楽しみを誰かと共有したい。

『The Elder Scrolls V : Skyrim』のゲーム画面

そのソフトはパソコン版も出ているようでしたが、私の遊んだのはプレイステーション3……PS3版です。元々プレステ自体持っていませんでしたが、ちょうどブルーレイディスクのプレーヤーを買おうと思っていたところで、ゲームも出来る再生機と考えれば良いかと思ったのです。数日の内に、荻窪のタウンセブンで買いました。

買ったことを伝えると友人はたいそう喜び、週末に感想を聞かせろと言ってきました。しかし私は、彼に満足する感想を伝えることが出来ませんでした。

このゲームについて少し説明しますと、ゲーム内にだだっ広い世界が広がっていて、国があって、街があって、様々な人や種族が住んでいて、同時進行で色んなイベントが起きています。いわゆるオープンワールドです。

私はゲームの素人ですので細かい箇所は間違っているかもしれませんが、狩りをするでも結婚するでも強盗するでも冒険するでも、のんべんだらりと暮らすでもよし。ゲーム内で「生きる」ことが出来るというわけです。

じゃあ自分は何をしようかな。とりあえず砂の出てくる映画とか好きだし、砂漠に行ってみよう。そんなことを考えてPS3の電源を入れました。

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Wi-Fiに繋ぎ、アカウントを作り、ゲームを起動させます。最初はキャラクター作成です。細部まで様々な変更が可能で、キャラクターの容姿は如何様にでもできました。そして、自分の分身を作り終わるといよいよゲームの開幕です。……と思いきや、もう一つありました。チュートリアルです。

ゲームの操作方法や世界観の説明などを、物語の導入部に合わせて説明していくアレです。ちなみにこの世界では最初、主人公は囚人です。馬車で連行され、処刑場で斬首されるかというところに突然ドラゴンが現れ、街が破壊されます。この混乱に乗じて主人公は自由となり、脱出を図ります。

さあ、今度こそゲームが始まる――私は期待に胸を膨らませます。炎上する家屋、逃げ惑う人々、そんな中、「こっちだ」と叫ぶ男がいました。なるほど、こいつに着いていくんだな。画面の中の私の分身は、そいつを目指して走り出します。煙の合間をくぐって、教会のような建物に入って、声のする方へ向かいます。

しかし、ほどなく行き詰まりました。「こっちだ」と叫び続ける彼と私との間には巨大な柱が倒れていて、これ以上まっすぐ進もうと思っても無理なのです。

迂回路があるはずだ、とぐるりと振り向く、道を探す。周囲は変わらず燃えている。どこに何があるのか分からない。見えない。行けない――。

Photo by iStock
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ここで白状しておきますと、私は「やるべきことをこつこつと」みたいなのが苦手な人間です。こつこつ続けること自体は苦ではありませんが、それはあくまで「やりたいことをこつこつと」です。

やりたくないことはただひたすらめんどくさいから後回しにしたり逃げまくったりして、どうしてもやらなくちゃいけないことだけをやって生きてきました。だからめんどくさいものを目の前にすると一気に心のエネルギーが減って、今日はもう何もしたくないなって状態になります。

先ほどさらりと書きましたが、私はPS3の電源を入れたらすぐにゲームが出来るんだと思い込んでおりました。ところが最初にWi-Fiの接続方法を聞かれて「めんどくさ」となり、その日はそれで終わりました。

翌日「アカウントを作れ」と言われて、また「めんどくさ」となりました。

そして三日目、ようやくゲームを始められると思いきやキャラクターエディットです。デフォルトでいいやとも思いましたが、ここで楽をすると後々の没入感の妨げになると思い直し、検討に検討を重ねてこれだという奴を作りました。この日はこれで終わりました。

そして四日目にしてようやくゲーム開始だと思ったところに立ちはだかったのが、最大の壁——チュートリアルだったのです。

気づけば友人との約束の週末まで残り三日です。さすがに三日くらいは集中してゲームをやりこまないと、友人との会話に花を咲かすことも出来ません。そう意気込んだところからのチュートリアル、そして迷子。

Photo by iStock

くそ、何が、何でも出来るだ。柱を乗り越えることが出来ないじゃないか。これがもし現実なら、何らかの手段で柱をよじ登れる。できなくても、向こうにいる物知り顔の奴がなんか「あの隙間をくぐってこい」とか具体的なアドバイスをくれるだろう。

この際「ボタンを押せばマップが出るからその通りに歩けば良いぞ」とかメタ視点のことでもいいから何か言えよ。と憤りながら、柱の周囲を右往左往して二時間。私は電源を切りました。結局一度も自由を得ることなく、スカイリムでの冒険は終わったのです。

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週末、友人にその話をしたところ、彼は悲しそうな顔をして「それはゲームが悪いんじゃなくてお前が悪いんだろうが」と言いました。それで私は気づいたのです。これは「ゲームがちょっと苦手かも」どころじゃない。もっと根本的な話——私がヘタクソなのは、ゲームではなく現実なのではないか?

ゲームの中で道に迷い

もともと私は極度の方向音痴です。加えて空間把握能力が著しく欠けています。バッティングセンターでボールにバットを当てたことがありませんし、家のドアを開けるとき、未だにメガネのフチをぶつけます。私というハードウェアは私にとってなんか操作性がイマイチなのです。

現実の操作も覚束ないのですから、ゲームが進化して現実に近づけば、当然ゲームの操作もままなりません。現実下手はゲーム下手、これはこの世の道理です。ですので最近やっているゲームといえばもっぱらズーキーパーです。リリース当初からやり続けているから、割とガチ勢だと思っています。

という話を長々としたところ、先の『あつ森』を紹介してきた友人は下記のように言いました。

<このゲームはデフォルメされているから迷子になったりしない。
島という決められた枠組みの中での話だ。しかも現実世界と時間の流れがリンクしているから、日々折々のイベントがある。

さらに友人とのコミュニケーションツールとしても楽しめ、服や家も好きなときに気に入ったデザインを自作できる。
だから高木さんみたいな、複雑なゲームが苦手な人間にこそ楽しめる>

なるほど、うまいプレゼンです。毎日少しずつ続けられて、みんなと楽しさを共有出来て、カスタマイズ機能が充実している。魅力的で、無意識に「じゃあどんな島を作ろうかな。砂の出てくる映画とか好きだから不思議惑星キン・ザ・ザみたいにしたいな」とか夢想します。しかし、そのときはたと気づきました。

継続・協調・選択。この三つの要素により成り立っているものを私はよく知っています。そう、現実です。

思えば子供の頃から部活や習い事は全て長続きしませんでした。私は継続が苦手です。学級新聞を作るときも、班長になったもののみんなに指示を出すのが面倒で自分一人で勝手に作りました。そう、協調が苦手です。

加えて、さっきはさらりと流しましたが、PS3を買ったとき黒を買うか白をかうか散々迷った挙げ句パソコンとFAXに合わせて白を買ったけれど、そのあとすぐにパソコン買い換えたしFAXは廃棄したしで、現在黒いテレビと黒いルーターに並ぶ白いPS3を見るたびに後悔しています。当然のように選択も苦手です。

そんな人間には『あつ森』は眩しすぎるゲームなのです。きっと手を出したところですぐ手に余ることでしょう。

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さて、なんて主張をダラダラと垂れ流して、本当はここで「現実の得意な人は『あつ森』が楽しめていいですね」と言って今回の話を終わるつもりでした。が、書いている途中で「ゲームと現実を混同するな。お前は頭までヘタクソかよ」という心の声が聞こえました。だから思ったんです。ここはちょっと、一念発起してやってやろうじゃないか、と。

でも任天堂のサイトを調べたらまず「コントローラーの色を選べ」と言われて、やっと考えて最高の組み合わせを決めたら「品切れ」の表示。しかも小売店での販売は抽選だそうで、心が折れました。

知らなかったんですが、今のゲームって荻窪のタウンセブンに行ったら気軽に買えるようなものではなくなってしまったんですね。目当てのゲームタイトルを始める前のハードルが、気づけば超えられないくらいの高さになっていました。もはや「最近のゲームは難しい」とスネてみせるのも白々しいほど、現実に完敗です。

しょうがないから諦めて、今日のところはズーキーパーをやります。まあ、ヘタクソなんですけどね。

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