2021年に『マトリックス』を観たら「メタバースと身体」がつながった

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  • author かみやまたくみ
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2021年に『マトリックス』を観たら「メタバースと身体」がつながった
Photo: Victor Nomoto(METACRAFT)

今でも新しい見方ができる作品。

2021年12月17日に映画『マトリックス レザレクションズ』が公開になります。それに先立って関わりの深いシリーズ第1作『マトリックス』が映画館で上映されることに。

『マトリックス』といえば仮想空間を舞台に、各方面に多大な影響を与えたSF映画。ならば、メタバースが関心事となっている2021年に観ることで、新たな刺激が得られるのではないか。時代的にも再見するにはいい機会。

そこで今回は、テクノロジーやVR/XRに詳しいメンバー3人で『マトリックス』を改めて試聴。何を感じたかを語ってもらいました。

メタバースは現実世界の延長にある

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西條鉄太郎:メディア作家 / メタクラフト代表。http://metacraft.jp

── 『マトリックス』を再見して、みんなメタバースに行きたいのかな?と思ったんです。まずはそこをうかがいたいなと。

『マトリックス』は、現実がディストピアで、みんなが囚われている仮想空間には日常的な幸福があるという世界観。現実に帰ることをいいこととして描く物語作品が多いですが、マトリックスの世界だと帰るべき現実が地獄という点が重い。でも、それでもリアルに還りたいかなぁと。今リアルに回帰したい欲が強くてアウトドアなんかもよくしてるので、そういう気分ってのはあると思うんですが。

西條鉄太郎(以下、西條):俺の場合は楽しいと感じられる方であればメタバース でも現実でも構わない。例えば『マトリックス』という作品世界の中においては、わざわざ現実に目覚めず、メタバースに留まっていた方が良いでしょうね(笑)。

2021年現在の、実際の現実世界における気分としては、コロナ疲れもあってアウトドアしたいよねって俺も思います。

ただ『マトリックス』では、現実世界と変わらないメタバースの究極系が描かれていると思ってます。リアルそのもののメタバースですね。だからそこでは「アウトドアしたい」って気分も、そして遊びに行く先の山や海すら、仮想空間内のリアリティ。リアルよりリアリティの方が大事だと個人的には思います。

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西谷茂リチャード:ギズモード編集部。最新テクノロジーに造詣が深く、SF作品も好む。

西谷茂リチャード(以下、リチャード):メタバースに行くと物理法則から解放されて自由になると思ってしまうんですが、人間の世界って物理法則だけではないです。法律のような人間が作ったルールに従って生活しているし、インフラも人が作り上げたもの。人工的なものに囲まれて生きるという点はメタバースと変わりません

僕も最近アウトドアによく行くんですが、寒くて凍え死ぬとかリアルに思えてしまう。戻ってくると、夜になってもスイッチをつければ電気つくとかに改めて感動してしまったりするんです。

ある意味そういった身近なテクノロジーもメタバースなのではないかと。

明かりをつけないと何も見えないし、食べ物が足りないと空腹がしんどいし。僕らは体に縛られていて、それを通じて世界を感じている。その中で戦ってきた人類がろうそくを作り、電気を利用し始めました。原始人から見たら、鶏肉がパックされて売っている、なんて超異世界だと思うんです。「なんだこれ?」ってなるんじゃないでしょうか。いろいろなものを作るのも、ある種のメタバース化なのではと。

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God Scorpion:メディアアーティスト。VR/MR領域を「現代魔術」と標榜し、独特な世界観の作品を発表している。

── テクノロジーが生まれた結果、新しい世界(環境)に行ける、みたいな話ですね。

西條:リチャードはメタバースを文明の同義語として捉えてる?

リチャード:メタバースって誰かの主観で世界を切り抜いて活動できるようにしたものではないでしょうか。今されてる議論って、要するに3D空間としてどこまで具現化できるか否かの話でしかないというか。

God Scorpion(以下、ゴスピ):今話題になっているメタバースは「仮想的な足場がある空間」みたいな定義だと思うんだけど、自分は「自分を中心に世界がいっぱいある 」のがメタバースなんじゃないかと思ってる。

その中では、宗教的に異なる立場の人認識にもなれたりするはず。メソジストにもなれるし、イスラム教徒にもなれたりする。自分の意識状態を切り替える、みたいなことも今後可能になっていくんじゃないか、と。

物理的な象徴になっているかどうか。光がある=電球がある、みたいに対象を同じ記号としてイメージできる、とかそういうことですよね。

リチャード:感覚的に見れるかどうかでしょう。バーチャルな世界となると、イメージのスケールが大きくなって、マトリックスみたいに壮大なイメージになっていく。でもイメージのスケールが変わるだけで、やってることはこれまでと本質的には変わらない気がします。

エージェントに身体をのっとられるのは悪いことじゃない

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西條:『マトリックス』では現実世界で普段我々ができる発想の限界も描かれていたと思う。肉体や物理法則に基づいた発想に限界があるからこそ現実を超越したイマジネーションに可能性があるといったような。

『マトリックス』が影響を受けたと言われている『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』では、電脳世界でも自我を保てるのか?という問題提起がされていた。

リチャード:脳に由来するのでは? 宗教も信じている人の中で、過激だったり、穏やかに信仰したりと個人個人でスタンスが異なります。それに触れて自分がどう変化するか=各自の脳が体験をどう情報処理して自らをどう変えるか。脳がどう変わったかによって個の変化が決まる、その連続でしかないのかなと。

西條:リチャードの脳をイルカの身体に移植して海に放ったらさ、リチャードはリチャードのままでいられる?

リチャード:古典的/人間的な意味での個は保てないかもしれないです。でも、時間をかけて“僕”はイルカの感覚器官とシンクロしていくんじゃないでしょうか。その過程で“僕”は大きく変わるかもしれないけれど、「僕が僕であった過程」はあるから「僕」が続くと思います。

西條:単純に脳だけで自分が決まるって話ではないと思う。脳以外の器官や身体性が自己認識に影響してると俺は思う。

ゴスピ:『攻殻機動隊』ではそれがテーマだった。身体性が自らのゴーストの外核を作っているから、ゴーストがネットの海に飛ばされたときに、自分がその輪郭を保てるか、みたいな話になってくる。

バーチャルでいろんな見方(体験)ができるとなっていくと、どんどん“自我がズレていく”んじゃないかと。

リチャード:それは人次第な気がします。昔は人と人とのコミュニケーションは直接に限られ、自分の周りの人にしか影響を及ぼせませんでした。今はインフルエンサーのような影響力の強い個体が多くの人を感化させられるようになっています。フォロワーはインフルエンサーの判断に影響される。そういうときって自我が薄れてるとも言えるのではないかと。

メタバースで情報を摂取しても個を保てる人は、メタバースでのしあがれたりすると思います。自分の情報処理能力の強度がモノをいうというか。

ゴスピ:今の話を聞いてて、マクルーハン(文明批評家)あたりが言ってた、我々人間は情報を伝達するメッセンジャーに過ぎないのだ、みたいな話を思い出した。情報を中心とした世界だと人間は媒介者でしかなくて、強度を持ってる情報をいかに次へ次へ伝達していくかどうか。それを継承してナレッジ(知識)が形成されていく…みたいな話につながるかなと。これはさっき『マトリックス』を見ているときにも思ったんですよね。

『マトリックス』にはカンフーをインストールして使いこなせるようになるシーンがある

── どのシーンで思われたんです?

ゴスピ:アプリケーションで卓越した拳法技術をぜんぶインストールするシーンがありましたよね。あれを見ていて、もし自分が拳法マスターの側だったとしたら、まあ嬉しいことでもあるよね、と。自分のカンフーの到達点を他の人にインストール(伝達)させられて、それがアプリケーションとして使われて、流通している。このアプリでいいよ、カンフーの奥義/秘伝とはこれ、くらいなところまでいっている。1個の情報としてやりきった、みたいな気持ちになれるところまでいってる

西條:あのシーン、見るたびに不思議なんだけどさ、もし現実に出来たとしたらどういう感覚なんだろう? 仮想世界でキックの練習を繰り返すことで、脳内でキックの感覚だけ再現できるように…はあるかもしれないし、つまり物凄く効率の良い高速イメージトレーニングなんだと思う。

でも、現実においてはそれだけじゃ肉体側が追いつかなくないか? なんか酔いそう。筋肉や神経系の物理的なアップデートなしで、反射とかだけであそこまでぶっとんだ動きを肉体が再現できないよね、きっと。マトリックスというメタバース世界だからできることだと思います。が、もし現実でもナノマシンやケミカルで肉体ごとアップデートできたら、ありえるのかも知れませんね。やってみたい。

── スキルチップを埋め込んで新しいスキルを得るといった描写はSFにはよくありますが、それに相当する技術って実現はされてないですよね?

ゴスピ:MR(複合現実)を使った軍事シュミレーションはそれに近いかも。画像認識で銃の照準が自動的にターゲットに合わさり兵士はトリガーだけを引く、みたいなことはできるんですよ。

人間が判断するというよりは、外部の装置をまとうことでより想定された環境に最適化された動きができるようになる感じ。人間のほうがロボットのようになる。『マトリックス』だと人間がエージェントになってしまうシーンがあって、それが近いかもしれない。

── 人間のほうがプログラムを再生する機械になるって感じですよね。

ゴスピ:あるノウハウがシミュレーションできるようになって、ある状況下でまったく同じ動きができるようになったら、人間って生きてるの?みたいな話がさっき出たけど、そうなったら人間が立ち会うことが重要で、その場で判断すること以外はやることがなくなる気がする。

リチャード:人間が判断するときって3つの基準があるなと。種の長い時間の中で判断が蓄積されていって形成された本能に、理性的な判断。最後のひとつがロジックで判断し続けた結果、蓄積されて自分の身体に染みこんだ“反射神経”。

たとえば、拳法は反射神経。拳法をインストールするときに脳がやっているのは、何年もクンフーを重ねた経験のシミュレート。ネオの脳は「理性的な判断を繰り返して反射神経として定着させる」ということをあの5秒間で済ませている。何年単位のタイムトリップ的なことをして、脳を変えてるという。さっきのスキルとノウハウのシミュレーションの実現と、そのエミュレータとして人間が機能するみたいな話も、それに似てるように思います。

とりあえず、うらやましい時代です(笑)。

ゴスピ:エージェントに身体を乗っ取られて操作されるのは良くなさそうなイメージがあるけど、時代が進んで宇宙船に乗って誰かが事故で怪我をした、でも医者がいない、みたいなときを考えたらめっちゃいいじゃんって思う。身体をのっとられても誰かが救われるならいいことだよね。

リチャード:そうそう、“誰でもエージェントになれる”ってなったら、それはめちゃくちゃいいい世界。

自分を中心に展開するメタバース

卓越した能力はバレット・タイムで表現される

西條:モーフィアスが「イメージしろ」って言ってたのは、現実世界における身体性の固定観念から離れろということだと俺は思ってます、つまりは格闘ゲームをするみたいな感覚なのかもしれません。マトリックス空間内における身体操作に「集中しろ」と言っているんだな、というのは今回理解が深まったところ(注:マトリックスは作中の仮想空間なので、ここでいう身体操作も物理的な身体の操作ではなく、仮想空間上の肉体の操作、の意)。

でも、ネオはマトリックスから現実世界に戻ってきたときにはあの拳法はできないはず。肉体はタンパク質などでフィジカルに構成されているから、現実世界の身体にあの拳法をインストールするとなったら、筋肉や神経も強化しないといけない。

── ふと思ったんですが、「身体と精神」の話に収束していきますね。

『マトリックス』を改めて見て、心身二元論と身体一元論のどちらでも成立するような話になっている気がしました。どっちが答えかはこちらに投げられているような。

リチャード:答えは出してると思いました。『マトリックス』の人間は、マトリックスという仮想空間に囚われているから精神だけの話にも見えてしまいますが、肉体は残っているんですよね。身体をノードとしてネットワークに入ってるから、身体論的な話にならざるを得ない。

作中でそうなっている理由はロボットが覇権をとって自分たちの活動のために人間を電源として使いたいからですけど、もしロボットの目的が人間を幸せにしたい、だったら人間の身体を捨てて心をシミュレーションするプログラムを作って、完全に仮想化する気がします。

── 個人的にはメルロ・ポンティという哲学者がしている身体論の話(ざっくり言うと、身体と精神は不可分で、人間の意識は身体によって定まってくるといった話)が近いとも思って。そのあたりは哲学に明るいゴスピさんにうかがってみたいなと。

ゴスピ:『マトリックス』の人間って電源として育ってられてるけど、もっといい発電方法はいくらでもあると思う。だから「大気汚染された世界ではみんな生きられないし、ポッドに入ってマトリックスの中で生きていこうよ」みたいな遷移をした世界線があってもおかしくないなと。そうなったときに、人間ってロボットにどう管理されたいのかな?というのはすごく思ったんですよね。

リチャード:その場合にマトリックス以上の解があるかってことですよね。

ゴスピ:ポッドの中で人間は何を目指すのか。そう考えると、ひとつの通過点として「最高のカンフーをインストールできるソフトウェアを作りたい」っていうモチベーションはわかる自分もそれは作りたいそれだったらポットの中でもいいよって思えるだってひとつの技術を頂点まで考えるんだから。そういう「情報を中心としたユートピア」を目指す展開に全体が走る可能性はあってもいいと思う。

── それは確かにありかなって思ってしまう。

ゴスピ:メタバースって特定の場所を想定してる人が多い気がするけど、メルロ・ポンティやフッサール(哲学者)が言ってる間主観性に絡めて言うと、「自分を中心とした曼荼羅(仏の世界や悟りの境地)をいかに作るか、みたいな話かなと。

「メタバースの中に自分が入る」ではなく「自分を中心にメタバースを展開する」といったイメージ。今はディズニーランドに行くみたいに「どっかに行く」って話が中心になってるけど、おそらくMRグラスやVRデバイスが発達したときに実現される体験は、自分を中心に展開される、が近い。

自分は、暗いからライトをつけようとか、空腹だからUber EATSをたのもうとかも、ぜんぶ自分を中心としたメタバースを周囲に展開してる、みたいな感覚。今は手元のアプリアイコンをタップして機能を呼び出していろんな体験をする。海に潜るときにどのルートで行けばいいのかを外部カメラを使ったAIに提案してもらうとかも、メタバースなのではないかと。

だから、誰でもカンフーの頂点を自分に憑依させられるっていうさっきから上がってる話も、メタバースなんじゃないのかなって。本来だったらできない行動があるけど、それができるようになる。そういうメタバースもあるんじゃないかって。

リチャード:アプリケーションを通してみることで、先人たちの知恵によってあみだされた最適なルートを見つけ方を、自分の能力を使わずに活用できるわけです。「自分の身体にあっているルート」が表示され、そのルートで実際に山を上まで登っていけるというのがスキルのメタバース化。インストールなしでも使える形態で、過渡期的なあり方なのかなとは思います。

ゴスピ:それはすごい近い。『デスストランディング』だとユーザーが危険なポイントにタグを打てて、ここで何かが起きるかを示す空間のヒートマップを作れる。経験の蓄積を空間に堆積させる、みたいな。そういうのもメタバースに近いのかな。

リチャード:確かに確かに。

個が信じることで具現化される世界

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── 本題に入る前に「『マトリックス』って異世界転生ものやVRMMOものっぽい」って話をしてましたが、先ほど出たのはそういったアナザーワールド的メタバースとはまた異なるメタバース観です。西條さんはそういうのに興味を持たれたり、興奮したりされますか?

西條:メタバースそれ自体に興奮なんてしないよ。ちなみにVRMMOもののなろう系は大っ嫌いだ。現実世界のクズは仮想世界でもクズなんだよ。

『マトリックス』的なメタバースって現実世界と地続きで変わらないと思う。『マトリックス』もそうだったけど、どっちに行っても身体性と感覚は一体化している。仮に今僕らが話をしているこの場所がメタバースで、さっきいた『マトリックス』の試写室は現実だったんだよって言われても分からない。それくらい『マトリックス』的なメタバースって地続きなもの。「現実の切り替わり」になんて興奮なんかしない。興奮するのはうまいもの食ったとか、かわいい人と喋ってるとか、そういうとき。

リチャード:不動産に対する感覚と似ていますか?

西條:ちょっと違うかな。人間は生まれたときから自分だけの身体を持っていて、それが自己認識の拠りどころとなっている。その自己認識、精神の外殻があったうえで電脳世界に飛んでいったら、もしかしたら自分をイメージとして保つことができるのかもしれない。でも、シミュレーションとしての身体すら持たない、生まれたままの人間の精神の種だけをそのまま電脳世界へ送ったら「人間」は芽吹かないのではないか

肉体という拠り所が無ければ思考の向かう先も無限に完結しない。そもそも死や時間という概念すらなく、無限にフレーム問題(注:人工知能にありとあらゆる状況を想定しなければならない問題を与えると、処理能力の限界に突き当たってうまく処理できないという問題)を繰り返すことになる。それでは精神が外殻を保てず、それはつまり無と等しい。

『呪術廻戦』(注:異能バトルもののマンガ作品)で五条悟は無量空処って領域展開するけど(注:五条悟は無限を扱える異能者。無量空処はある種の必殺技)、攻撃された側はそれで何が起こったかわからず混乱するでしょ?無と無限は表裏一体。五条悟曰く「全てを与えられると何もできない」んだよ。

何が言いたいかというと、いくらメタバースと言えども、人間の精神は「人間」である以上人間の身体から離れられない。身体ありきでできあがっているものだから

人間はいつまで経ったってキャンプや釣りが好きなまま。最近みんながアウトドアをやっているというのは、ナラティブな世の中になって、取捨すべき選択肢が増え、より「自分」という判断の拠り所が大事になっているから、無意識にみんなフィジカルに向かってるんだと思う。

ゴスピが言っていたように、技術や経験もいつしかダウンロードできるようになる。そうなったときにも唯一の自己を信じることで人間性が保たれる。自己と他己があるから、人に対してのリスペクトと愛が生まれて、それが人間社会を回している。哲学っぽい話だけど、この世界を信じる上では自己が必要。

── 『マトリックス』はそれを言っている気がしますね。

ゴスピ:トーマス・アンダーソンとして1回死んで、トリニティーが私が愛した人間こそが「救世主」であるって認識を信じ、愛したことで、トーマス・アンダーソンは初めて「救世主ネオ」になったよね。

西條:あれは美しいシーン。

リチャード:みんなコードネーム使ってるじゃないですか。それもメタバース的な文脈で美しいと思いました。自分が信じてる自分の名前っていうのがみんなにリスペクトされて、それで呼称される世界。

西條:人は1人では成立し得ないってこと。誰かが認知して当事者になる。トリニティーがネオを信じて運命を共にしようとしたところから、ネオという概念がネオ本人だけでなく、世界に広がった。それによって「救世主ネオ」が現実になったっていう話なんだよね。


たぶんこれから人間の身体に基づいたメタバースが次々と登場し、徐々に『マトリックス』の仮想空間に近づいていくことでしょう。ただ、メタバースあるいは仮想世界と現実は、単なる「あちら」「こちら」ではないかもしれません。身体というひとつの根を共有するふたつの世界であるとともに、現実世界で自らの周囲に展開されるといったイメージになっていくのかも。とりあえず、『マトリックス』や『マトリックス レザレクションズ』から読み取りつつ、待つことにしましょう。

映画『マトリックス』は12月16日までリバイバルでIMAX上映中。シリーズ最新作『マトリックス レザレクションズ』は2021年12月17日日本公開になります。

Photo: Victor Nomoto(METACRAFT)
Source: ワーナー・ブラザーズ映画
Reference: 人工知能学会

2021年12月17日:誤字・脱字を修正しております。