KADOKAWA Technology Review
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「スポンジ都市」の発明で
洪水と仲良くなった建築家
Turenscape
気候変動/エネルギー Insider Online限定
The architect making friends with flooding

「スポンジ都市」の発明で
洪水と仲良くなった建築家

水をコントロールするのではなく、水と協調する――。中国のランドスケープ・アーキテクトが切り開いてきた新たなアプローチは、気候変動で今後ますます増加するであろう災害を防ぐのに役立つかもしれない。 by Erica Gies2021.12.27

北京のランドスケープ・アーキテクトである兪 孔堅(ユー・コンジエン)は、長年にわたって国内で時代錯誤的だと揶揄されてきた。中には米国のスパイと呼ぶ者までいた。これは、兪がハーバード大学デザイン大学院で博士号を取得し、現代中国で権威と進歩の象徴とされるダムに反対していることを指して言ったものだ。

脱炭素イノベーション
この記事はマガジン「脱炭素イノベーション」に収録されています。 マガジンの紹介

兪の罪状、それは水をコントロールするのではなく、水と協調するように勧告したことだ。

兪は、都市環境に水の満ち引きを取り戻すことを目指したムーブメントの最前線にいる。兪が1998年に共同創業したランドスケープ設計会社のトゥレンスケープ(Turenscape)は、柔軟性のある空間を作って水を拡散したり、地下に浸透させたりすることにより、洪水を防ぐとともに、後に水を利用できるように留めている。私たちは、堤防によって川を狭く閉じ込めたり、かつては水があった場所にビルや駐車場を建設したり、ダムを建設して揚子江地域にあったさまざまな深度の333の河川を枯渇させたりすることで、自然の水文学を混乱させてきた。兪は、その修復を目指している。

「こうした灰色の建造物は、私たちが持続可能な未来のために依存するべき自然システムを、実際には破壊しています」と兪は述べる。20世紀の水の管理においては、一度にひとつの問題を、例えばある場所では洪水を、他の場所では水不足を解決しようとしてきた。そうすることが水源自体の弱体化につながった。「排水は給水から切り離され、洪水対策は渇水耐性から切り離されています」。兪は、2016年にハーバード大学のシンポジウムで発表した論文でそう記している。

1700年代以降、人類は世界中の湿地(本来、柔軟に水を吸収したり放出できる土地)の87%を埋め立てたり、干拓したりしてきた。このことが、世界中で都市の洪水が増えている主な理由となっている。人口が増え、都市が拡大するにつれて、建設会社は氾濫原や農地を舗装し、森林を伐採し、川の形を変えた。それにより、かつては地面に染み込んだ雨水の行き場がなくなったのだ。都市から失われた土壌の面積は、1992年以降、世界全体で倍増している。都市で道路や歩道、または駐車場の面積が1%増えるごとに、付近の水路における雨水流出による洪水の規模は、年間で3.3%増加する。

人口の密集した都市では、実際に土壌に浸透する雨は、わずか20%程度にすぎない。その代わりに、排水路やパイプが雨水を運び去ってしまう。水が不足している地域では「狂気の沙汰」だと兪は考えている。

2000年代初頭、兪と研究チームは、洪水の危険性が高い地域を示した北京の地図を作成し、これを「生態学的セキュリティパターン」と呼んだ。リスクの高い土地は未開発のまま放置し、雨水を吸収するために使われるべきだと兪は勧告した。

政府当局者らは、兪の主張を無視した。しかしその後、2012年7月に災害が起こった。北京において、ここ60年間で最大規模となった嵐は、場所によっては約450ミリもの雨を降らせ、道路は1メートルほど冠水し、地下道は水で満たされた。兪は、職場からかろうじて家にたどり着いた。「私は幸運でした」と兪は話す。「多くの人が車を置き去りにするのを目にしました」。車の中で溺死または感電死したり、倒壊した建物に押し潰されたりすることで約80人が死亡した。被害は1万4000平方キロメートルに及び、被害総額は約20億ドルにのぼった。

「2012年の洪水は、生態学的セキュリティパターンが生死にかかわる問題だという教訓を残しました」と兪は話す。

気候変動は、水の問題をさらに悪化させた。気温が1°C上昇するごとに、大気は7%多くの水蒸気を保持する。そのため、曇りから雨になると、土砂降りになる。一方、乾燥地域は、温暖化した大気が土壌や植物からより多くの水分を蒸発させるため、さらに乾燥する。

現在、私たちは水循環への影響を目の当たりにし始めている。2021年の夏と秋には、ニューヨーク、ニュージャージー、テネシー、アラバマ、ドイツ、ベルギー、インド、タイ、フィリピンに大規模な洪水が発生した。同時に干ばつや、作物の不作、山火事が米国西部、シリア、グアテマラ、ギリシャ、シベリアを襲った。洪水による世界経済の損失は、1980年代の年間平均5億ドルから、2020年には760億ドルに増加した。干ばつに関しては、世界中で20億人以上がすでに危機的な、または重度の水に関する不安を抱えて暮らしている。研究者たちは、地球温暖化が進んだ場合、世界人口の3分の2(52億5000万人以上)の生活環境が次第に悪化し、より頻繁に干ばつ状態を経験すると予測している。

これらの最近起こった災害は、気候科学者らが何年ものあいだ語ってきた「気候変動は水の変動」が真実だったと多くの人々に痛感させた。

2012年の暴風雨から1年も経たないうちに、習近平国家主席は「スポンジ都市(海綿城市)」と呼ばれる全国的な計画を発表した(この名称は、スポンジが水を吸収して、ゆっくりと放出することに由来している)。こうして、水のための空間を設けるというアイデアは、非主流派の思想から国家的ミッションへと引き上げられた。中央政府は2015年、16の都市で実証プロジェクトを開始し、2016年にはさらに14の都市を追加した。各プロジェクトは13平方キロメートル以上を対象とし、一部はそれよりも広範囲に及んだ。目標は、2020年までに対象区域において年間平均降雨量の70%を吸収することだった。

2020年11月、国営放送局の中国中央電視台は、30の実証プロジェクトが完了したことを報じた。それによって都市災害が防止または軽減され、水路における環境上のメリットが向上し、水質汚染は減少していると伝えられた。さらに、2016年から2020年の間に、スポンジ都市のコンセプトが省レベルの90都市で導入され、さらには538都市の基本計画に含まれたことも報じられた。新たな目標は、100万人以上の人口を抱える100都市が、2030年までに70%の雨水を吸収することだ。

「もちろん、これは成功談です」。そう語るのは、オランダのIHEデルフト水教育研究所(IHE Delft Institute for Water Education)の都市洪水リスク管理の専門家であり、中国の南東大学の客員教授であるクリス・ゼヴェンベルゲンだ。中国政府の報告は懐疑的に捉えたほうが良いが、ゼヴェンベルゲン教授は良好な評価で裏付けされるであろうことを、慎重ながらも楽観視していると話す。

スポンジ都市のような運動は、別の名を冠して世界各地で実施されている。欧州ではグリーンインフラストラクチャ、米国では低影響開発、オーストラリアでは水循環に配慮した都市設計、ペルーでは自然インフラストラクチャ、カナダ …

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