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魔球の正体、スパコンでここまでわかった。~俺のフォークは落ちている~

魔球の正体、スパコンでここまでわかった。~俺のフォークは落ちている~

2022.03.28

「野球のフォークボールが落ちるのに『負のマグヌス力』がかかっていることが、スーパーコンピューターの解析で初めて分かったんだって。これ、すごいことなの?」

 

ある日、科学技術の取材を担当する同僚記者が、ある大学のプレスリリースを片手に困惑した様子で、聞いてきた。

 

野球経験がない彼は、この研究の何がすごいのか分からない様子だ。

 

しかし、大学野球で投手をしていた私にとっては、あまりに衝撃的な知らせだった。

 

フォークボールは、回転を減らしたボールが重力の影響を強く受け、落ちるーーー。

 

それは野球人にとって揺るがない常識だった。

 

かつて変化球にこだわり、いや、今もこだわっている投手の1人として、この研究、どうしても追わざるを得ない。

 

まるで消えるように、鋭く落ちるフォークボール。

 

魔球とも呼ばれる、その正体が見えるかもしれないと、思った。

消える魔球「フォーク」

ホームベース付近で急激に落ちるフォークボール。

終戦直後のプロ野球の黎明期、元中日ドラゴンズのエース・杉下茂さんが日本で初めて投げたとされる。そして、元近鉄の野茂英雄さん、「ハマの大魔神」こと元横浜・佐々木主浩さんも、このボールを武器に海を渡り、大リーガーたちから三振の山を築いてきた。

大谷翔平選手 写真:AP/アフロ

最近では楽天の田中将大投手、そして昨シーズン、二刀流で活躍し、MVPを獲得した大リーグ・エンゼルスの大谷翔平投手も、このボールの使い手として知られる。 

筆者の自宅にある野球盤

フォークボールは「消える魔球」とも呼ばれ、子どものおもちゃの野球盤でもホームベースの手前に開け閉めできるフタで、ボールが落ちて消えるような様子が再現されている。
 

大学野球部時代の筆者

大学まで投手をしていた私は、「消える」ような魔球は投げられなかったが、それでも三振を奪える変化球として、このフォークボールを武器にしていた。

フォークが落ちる仕組み="重力"

そもそもなぜ、フォークボールは打者の手元の近くで急に落ちるのか。

フォークボールの握り

多くの投手が投げるフォークボールは、写真のように人差し指と中指でボールを挟み、回転を与えないようにボールを離す。上から振り下ろすように投げるため、ストレートと同じようにバックスピンがかかる。
 

マグヌス力のイメージ ※東京工業大学 青木尊之教授作成

投手の手から離れたボールが空中を飛んでいるとき、周りの空気はボールに沿って流れる。その途中でボール表面からはがれていくことで、後方の空気の流れを作る。

バックスピンがかかったボールの上側(空側)は、ボールの回転に空気の流れが引きずられ、ボール表面からはがれていく場所が後ろにずれていく。逆に、下側は前寄りにずれていく。

すると、ボール後方の空気の流れは下向きに偏り、その作用で、ボールには逆に上向きに押し出すような力が発生する。

つまり、バックスピンがかかったボールの場合、重力を打ち消すような揚力が生まれる。

この力は、原理を発見したドイツ人研究者の名前から「マグヌス力」と呼ばれている。

ボールは回転がかかるほど大きなマグヌス力を得る。

プロ野球の投手が投げるストレートがキャッチャーミットに向かって一直線に伸び、時には“ホップする”ようにも見えるのは、強烈なバックスピンによって大きなマグヌス力を得ているためだ。

一方、ボールに回転をできるだけ与えないようにするフォークボールはこのマグヌス力が小さくなり、重力の影響をより大きく受け、鋭く落ちるようになる。これが、フォークが鋭く落ちる原理だとされていた。

本当に重力だけ?感覚的に違うような気も

実は、大学時代、投手をしていた私は、このフォークボールの落ちる原理に微妙な違和感を覚えていた。

回転が少ないボールを投げるためには、人差し指と中指で挟んだボールを「抜く」ような感覚でボールを離すことが必要だが、指先でボールをひっかくようにして投げるストレートと感覚が大きく異なり、細かくコントロールするのは簡単ではない。

高校2年生から投手を始めた私は、投球の幅を広げるためフォークボールを投げたいと練習を続けていたが、試合ではなかなか使えなかった。
 
その後、大学4年生になった頃に思いついたのが「ボールを浅めに挟んで、ストレートと同じようにフォークボール投げてみよう」という考えだった。     

左はストレートの握り 右は筆者のフォークの握り

ストレートの握りは写真のように、人差し指と中指を4本の縫い目に対し直角に重ねるようにして握る。

それに対し、私のフォークボールの握りは、人差し指と中指を2本の縫い目に沿って重ねるようにかけ、バックスピンをかけるストレートと同じような感覚でボールを離す。

ストレートと比べて人差し指と中指の大きく間が空いているため、ボールに力がかかりにくくなる分、スピードや切れが落ち、多少は変化が出るだろうという苦し紛れの発想だ。
 
しかし、打者相手に投げてみると、バックスピンがかかっているのにホームベースの近くで鋭く落ちた。無回転を意識して投げるボールと比べても、落ち方にはあまり差がないように感じた。
 
ストレートに似た感覚で投げられたため、コースや高さをある程度狙ってコントロールできるようになり、試合で使えるようになった。

その結果、4年生秋のリーグで防御率のチームの歴代記録を18年ぶりに塗り替えることができた(その後すぐ、プロ野球に進んだ後輩に塗り替えられるのだが…)。

このボールがなぜ鋭く落ちるのか、大学野球を引退した後も分からなかった。

スパコンシミュレーション研究の第一人者

それから10数年間、ずっと胸の奥でくすぶっていた、極めて個人的なこの謎を解き明かしてくれたのが、冒頭で紹介した、同僚が教えてくれた研究だった。
 
私は、その研究チームを率いた東京・目黒区にある東京工業大学学術国際情報センターの青木尊之教授を訪ねた(あおき・たかゆき)。
 
青木教授は、津波や強風ではためく旗、イルカが尾びれを使ってどう速く泳ぐのか、といったユニークなものまで、自然界の気体や液体の動きをスーパーコンピューターで解析する流体力学の専門家だ。
 
30年以上にわたって研究実績を重ね、科学者の中でも競争率が非常に高い「科学研究費補助金の基盤研究(S)」を2回連続で獲得したという、この分野でトップレベルの研究者だ。

東京工業大学学術国際情報センター 青木尊之教授

フォークボールの解析は長年の悲願

そんなスパコン使いの第一人者の青木さんが、長年、研究テーマとして温めてきたのが、フォークボールが落ちる仕組みの解析だった。

青木さんは、野球をプレーした経験は中学校の頃までだったが、その頃はラジオで野球中継を聞いては、投手の配球を試合終了まで1球1球の球種とコースを記憶し、試合後にすべて思い出すことができたそうで、いまも忙しい研究の合間を縫ってプロ野球を観戦しているという筋金入りの野球好きだ。

青木教授
「広島の津田恒実、近鉄の野茂英雄、横浜の佐々木主浩…打者がフォークだと分かっていても打てない、一流投手たちが投げるフォークはなぜあんなに落ちるのか、重力以外にも落ちる要素が何かあるぞ、我々が知らないもっとすごいことが起きているんじゃないか。その動きをいつか解析したいとずっと思っていた」

野球のボールは、縫い目やくぼみがあり複雑な構造をしているため、ボールの動きを緻密に解析することは非常に難易度が高く、誰も取り組んでこなかったが、近年のスパコンの性能と計算技術の進歩でシミュレーションが可能になったという。

東京工業大学に設置されたスパコン「TSUBAME3.0」

青木教授
「野球のボールの小さな縫い目が、周りの空気の流れに大きな影響を与えていることは知られていたが、具体的にどれだけ大きな力が生まれ、ボールを動かす力になるのかは分かっていなかった。研究テーマとして関心はあったが、縫い目の位置が絶えず高速で回転するため計算が難しく、なかなか取り組めなかった。しかし、近年、スパコンの計算速度が格段に上がり、我々もさまざまな計算技術を発展させ、メジャーリーグでは投手が投げるボールの球速や回転数や落差といった非常に細かいデータも公表されるようになり、シミュレーション結果と答え合わせをすることもできようになった。まさに今、変化球研究の機が熟した」

フォーシームとツーシーム 縫い目に注目

「フォークがなぜあんなに落ちるのか。重力以外にも、我々が知らないもっとすごいことが起きているのではないか」

そう直感していた青木さんが、注目したのはボールの縫い目だ。

ストレートとフォークの回転

さきほど記したように、ストレートは4本の縫い目に人差し指と中指をかけるのに対し、フォークは2本の縫い目にかけ、バックスピンをかけるように投げる。

投手の手を離れたボールをバッター(キャッチャー)側の方から見ると、ストレートはボールが1回転するたびに縫い目が4回現れるのに対し、フォークボールは2回しか現れない。

そのためストレートの回転は「フォーシーム」、フォークの回転は「ツーシーム」とも呼ばれている。

分析のイメージ 

この2種類の縫い目の現れ方によってどう落ち方に差が出るのか、東工大のスパコンを使ってシミュレーションした。
 
シミュレーションでは、同じ球速で(151キロ)、同じ回転数(1分間に1100回転)のフォーシーム(ストレート)とツーシーム(フォーク)を投げる場面を設定した。

そして、ボールの周りの空間を約3億7000万個の格子に区切り、その中でどのような力が働いているのか、ボールの周りにどのような空気の流れができるのか、特に縫い目が空気の流れに及ぼす影響に注目し、2年間かけて分析した。

その結果を示したのが、以下の動画とグラフだ。

フォーシームの空気の流れ 

上の動画は、左の向きに放たれたフォーシームのボールを横から見ている。

ボールの上側を見ると、縫い目が上にくるたびに、ボールの表面から剥がれる空気の位置が後ろにずれ、後方の流れが下向きになっているのが確認できる。

逆に、下側では空気が剥がれる位置が縫い目の現れによって前寄りに引っ張られている。

高さわずか0点9ミリの縫い目の突起がボールの周りの空気の流れに大きな影響が及ぼしている様子が分かる。

フォーシームの揚力グラフ 

フォーシームは1回転するうちに、縫い目が4回、上にくる。

フォーシームのボールには後方に下向きの流れを作る力が継続的に働いていた。その結果、ボールにはマヌグス力、つまり揚力が常に発生していた。

ツーシームの空気の流れ 

一方、上の動画はツーシームの空気の流れだ。

同じように、左向きに放たれたボールを横から見ている。

ツーシームでは、ボールが1回転するうちに縫い目が2回、上に現れる。


動画では2本の縫い目が上に現れたとき、上側ではフォーシームと同じように空気が剥がれにくくなり、しばらくボールの後方に下向きの流れが発生していた。

しかし、2本の縫い目が下面を過ぎ、ボール上側と下側がともにつるつる部分になったとき、ボールの後方の空気の流れが上向きに変わった。

そして、縫い目が上に現れると、再び下向きの流れになった。

ツーシームの揚力グラフ 中心線の0を周期的に下回っている

ボール後方の空気の流れが上向きになる時間が長いほど、地面の方向にボールが押し出される力は強まっていく。

横から見たツーシームのボールの縫い目の形をカタカナの「コ」の字に見立て、その形を0度とすると、マイナス30度から90度のとき、実に1回転のうちの3分の1の時間で、揚力とは逆の地面方向に押し出される力がかかっていたことが分かった。

揚力として働くマグヌス力が「正」とするならば、フォークボールでは地面に押し出される「負」の力がかかっていた。これが、「負のマグヌス力」だった。

縫い目が4回現れるフォーシームでは、こうした「負の力」がかかる時間はなかった。

2球種の空気の流れ、縦方向に受ける力 比較

つまり、フォーシームのストレートは常に浮き上がるような動きをするのに対して、ツーシーム回転のフォークボールは、単に重力で落ちるだけではなく、縫い目の現れ方によって下向きに沈み込む、いわば「負のマグヌス力」を含めた2重の作用で鋭く落ちていたのだ。

青木さんによると、縫い目のないつるつるしたボール(球形)では、球速が速くなるとボールに沿って流れる空気が乱れ、負のマグヌス力が発生することは知られていたが、縫い目のある野球のボールでこうした負のマグヌス力が発生することを明らかにしたのは世界で初めてだという。

青木教授
「ピッチングマシンで放たれたボールをカメラで撮影し、負のマグヌス力の有無を調べた研究はあったが、縫い目のある野球のボールでは「負のマグヌス力は確認されなかった」とされていた。なぜフォークボールが鋭く落ちるのか、流体力学的にも納得の結果だった」

フォーシームとツーシームの落差の違いイメージ ※青木教授作成

ちなみに、この条件(球速151キロ、1分間に1100回転)でツーシームはフォーシームと比べて、ホームベース上でおよそ19センチ、落ちていた。19センチとはバットの芯の部分の直径に換算するとちょうど3本分。打者の目を幻惑するには十分な落差だ。
 
青木さんによると、ツーシーム回転の野球のボールで負のマグヌス力が発生するメカニズムを明らかにした研究は世界では初めてだということだ。

思えば私がかつて、苦し紛れに投げ方を編み出したフォークも、ツーシーム回転がかかっていた。

ストレートとあまり変わらない球速・回転数で投げたあのボールが、なぜ打者の前で鋭く落ち、空振りを取ることができたのか、謎が氷解した瞬間だった。

青木教授
「シミュレーションでは、時速150キロという高速のボールで比較したが、時速110キロ以上の速さであれば、同じように二重の作用で落ちることが分かった。こうしたメカニズムはボールの周りの空気がどう変化し、それがボールにどんな変化をもたらしているのか、時々刻々と捉えたからこそ分かった結果で、スパコンのシミュレーションだからこそ明らかにできた」

未知の魔球、ジャイロフォーク

大谷翔平選手 写真:AP/アフロ

しかし、まだ謎は残っている。青木さんによると、第一線で活躍するピッチャーの中には、全く別の回転のフォークボールを操る選手もいる。その1人が2021年のシーズン、二刀流で大リーグのMVPを受賞した、エンゼルスの大谷翔平投手だ。

ジャイロ回転のボール(イメージ)

160キロを超える速球とホームベースのはるか前でバウンドするような落ちるボールを組み合わせて、世界中の一流打者たちから何度も空振りを奪ってきた。

青木教授は、大谷投手が投げるフォークボール(スプリット)はバックスピンではなく、アメフトやラグビーのボールのように進行方向に向かってらせんを描くように回転する「ジャイロ回転」をしていると指摘している。

青木さんによると、ジャイロ回転のボールはバックスピン回転のボールのようにボールの上側(空側)と下側(地面側)で空気の流れの速さに差が出ないため「マグヌス効果」は発生せず、重力の力に大きく依存して落ちると考えられているという。

青木教授
「ツーシーム回転でも回転数が増えると縫い目が現れる頻度が増え、正のマグヌス効果が大きくなり、落ち幅は少なくなる。大谷投手のスプリット(フォーク)は1分間に1700回転くらいしていると言われていて、ジャイロ回転でないとあの落ち方は説明できないし、実際にテレビカメラのスロー映像を何度も見たが、ジャイロ回転しているようにしか見えない」

ジャイロ回転のフォークの落差 ※青木教授作成

実際にスパコンのシミュレーションでも、ジャイロ回転のフォークはフォーシームやツーシームの回転のボールと比べて落差が大きいという結果だった。しかし、このボールがなぜ鋭く落ちるのか、そのメカニズムまでは分からなかった。

大谷投手の“魔球” 世界一のスーパーコンピューターで解明目指す

理化学研究所のスーパーコンピューター「富岳」

大谷投手らが操る「ジャイロフォーク」はなぜ鋭く落ちるのか。青木さんがその仕組みを詳しく解明する新たな武器として選んだのが「計算能力世界一」とされるスーパーコンピューター「富岳」だ。

青木教授
「ジャイロ回転はバックスピンの回転よりもボールの周りの空気の流れが複雑になっていて、より正確に計算しないとシミュレーション結果が大きく狂ってしまう。さらに高い精度で計算することが必要で、球速や回転数、回転の軸の向きなどパターンを変えて何十球も分析するためには、より高性能の『富岳』でないと難しい」

青木教授

2022年、大谷選手は大リーグ唯一の投打二刀流プレーヤーとして、さらなる飛躍が期待される。青木さんは「富岳」を使った新たな研究をこの春、立ち上げ、その“魔球”の秘密に迫っていく。

青木教授
「ジャイロ回転のボールで、周りの空気が変化し、どのような力がボールに働くのか、流体力学的には分からない点が多く、とても解明しがいがある。大谷選手のフォークボールを始め、スポーツの分野ではシミュレーションで迫ることで初めて明らかになることも多い。この分野で誰も解明してこなかったことを、これからもスパコンを使って追い続けたい」

野球のボールはなぜ、変化するのか。

思えば小学生のとき、近所の公園で友人たちと遊んでいた頃から、ずっと不思議に思っていたことだった。

高校時代はそれこそ「ジャイロボール」が大きな話題になり、遊びで投げているうちにいつのまにか投手に転向していた。

その後、プロ野球選手が書いた本などを読みあさりながら、スライダー、カーブ、シュート…など、いろいろな変化球を試した。

しかし、フォークだけは無回転に近いボールでないと落ちないという説明を信じて疑うことはなかった。

だからこそ、大学時代、苦し紛れにあみだしたフォークも、次のボールは全く落ちず、ただの棒球になるのではないかと、毎回不安を抱えながら投げていた。

私はいまも、草野球でピッチャーを続けているが、取材を終えた今は自信を持ってフォークを投げることができると思う。

「俺のフォークは確実に落ちている」と。

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