日本で生活をし続けるためにAmazonアカウントを削除した話
Amazonが日本でのサービスを開始したのは2000年。最初の頃は本しか売ってなかったけれど、当時は「インターネットで本が買える」のが画期的で、茨城在住の私にとってはAmazonの登場はありがたかった。
駅前には人気のない個人商店が並び、本屋さんに目当ての本がなく、大きい本屋さんまで行くには自転車で30分以上かかった。それでもない場合は、注文していたが、マイナーな本だと届くのにかなり時間を要したのだ。
その後、引っ越しを重ね、現在は千葉県に住んでおり、東京にずいぶん近くなったにもかかわらず、Amazonを使用していた。理由としては、専門書は都内の大型店でないと手に入らないので、早くほしい時はAmazonを使ってしまった。
この頃にはAmazonは商品数が増え、本以外にも化粧品や食料品まで販売し、尚且つ、近くのお店よりも安いという状態になっていた。
私が好きなお料理ブロガーさんは、おすすめの食材をネットで安くまとめて購入しており、リンクを貼っているので「私も家計のために、まとめてネットで買った方が良いかな」と考え、玄米や麦などを定期注文することにした。
そして、コロナ禍が始まり、人との接触が減り、家にいる時間が増えて何か映画を見たいと考えたが、TSUTAYAでDVDを借りるとコロナの感染が気になるので、Amazonプライムに加入した。
Amazonプライムは快適だった。借りに行く手間がなく、返さなくてもいい。月々500円で、大量の映画やアニメ、ドラマが見放題。私は近所のTSUTAYAに行かなくなった。
しかし、Amazonプライムで、この世の作品を全て見れるわけでなく、永遠に放送しているわけではない。コロナ禍になって見始めたアニメ作品があと数話で最終話なのに、配信終了してしまった。
久しぶりにTSUTAYAに行ったが、お目当てのアニメの続きがなく、諦めてしまった。長年通ったTSUTAYAを見渡すと、名作映画のコーナーには店員さんがお勧めするDVDが並べられ、見ておくべき旧作映画が一目で分かったし、知らない映画のタイトルも多くて興味をそそられた。
Amazonプライムでは「この作品を見ているあなたには、これがおすすめ」と勝手に勧められるが、TSUTAYAのような偶然の出会いは全くない。そもそも、Amazonプライムでは配信されていない作品が多い。
それでも、Amazonプライムをやめなかったのは、次々に始まる新作や話題作に興味をそそられて、過去のものに触れるのがめんどくさくなってしまったからだ。
昨年、近所のTSUTAYAがとうとう閉店した。私だけが悪かったわけではないが、私もTSUTAYA閉店に加担した1人だ。もう一度見てみたいと思った名作映画を見るには、Amazonプライムで300円か500円払わないといけないし、最悪、配信されていない可能性もある。
見たかったアニメだが、都心のTSUTAYAだと、レンタルした後郵送で返せるというので、それだけのために渋谷のTSUTAYAまで足を運んだ。
Amazonでの食料品の購入は続けていたが、ある時、一袋しか頼んでいない押し麦が3袋届いた。注文履歴を見ても、一袋だったので、向こうの配送ミスだろう。よく画面を見ると、Amazonプライムデーが開催中で、従業員が忙しかったのだと思われた。
そんな時、遠藤一同さんの労働エッセイ漫画を読んだ。
大企業が儲けているのは、最下層にいる従業員をこき使っているからで、自分もそのような体験をしているが、インターネット通販は、働いている人の顔が見えない分、サービスの受け手側に罪悪感が湧きにくい。
非常に便利なネット通販だが、TSUTAYAの閉店を目の当たりにして、このまま使い続けると、家の周りの店が無くなっていく危機感を感じた。
消費者は好きな手段と、好きな値段で物を購入していい。市場はそれで均衡が保たれるはずだが、このままいくと、Amazonしか購入手段がない世界が誕生する予感しかない。
最近、街中で大きな箱を後ろに乗せて自転車で漕いでいる配送員を見る機会が増え「この世界はちょとおかしい」と考えを改めた。
個人商店がやっている通販ならいいが(そもそも、昔はそれしかなかった)大手通販サイトを使うのをやめることにした。
普通、地域や国のことを考えるのは、政治の仕事であり、一市民がどこでものを購入するかについて、ここまで考える必要はない。国がAmazonや大手サイトに大きい税金をかけるとか、商品に制限をかけるとか(専門家でないので、ここいらへんはよくわかりませんが)して、街の機能が保たれるようにするべきなのだ。
通販で炭酸飲料を箱買いしていたけど、街の酒屋で配送をやっているところを見つけたので、今後はそこにお願いするし、お米も近所の米屋で頼むことにした。精米したてだから美味しいらしいです。