都会でも田舎でもない金沢。観光地の中にあるハレとケ(映画監督・岨手由貴子)

著: 岨手由貴子(そでゆきこ)

なぜ地元ではない金沢へ移住したのか

2017年の秋、私は長く暮らした東京を離れて、家族とともに石川県金沢市に移住した。

移住する前、映画監督を生業にしている私は東京で第一子を出産後、しばらく仕事復帰ができずにいた。待機児童の多いエリアに住んでいたことや、フリーランスゆえに勤務実績を証明しづらいこともあり、なかなか認可保育園に入れなかったのだ。

当時、夫は広告関係の映像制作会社で働いており、長時間の勤務が当たり前という状況。家に帰るのが明け方になることも多かった。お互いの実家は遠方のため両親に頼ることも難しく、息子が2歳になるまでワンオペ状態で子育てをする生活が続いた。

働けないことでまともな収入が得られず、仕事復帰のために一時保育を利用するも、数時間でものすごい金額が飛んでいく。日々の生活にいっぱいいっぱいで、仕事ができない焦りだけが募っていった。

東京で子育てを続けていくイメージもわかず、休みなく働いていた夫が身体を壊し始めていたころ、「そうまでして東京に住み続ける理由って何だっけ?」という疑問が頭をもたげるようになっていた。もしかしたら東京にいない方が、仕事を続けやすいのかもしれない。そう考えたとき、地方移住というアイデアが浮かんだのだ。

「どうして金沢なの?」

移住について話すと必ずこう聞かれるのだが、住んでみたい街だったというのが一番正直な答えかもしれない。

金沢駅の鼓門

私は長野県、夫は富山県の出身なので、いわゆるUターンではない。ただ、母が石川県の北端にある能登の生まれで、父が金沢大学の出身だという縁がある。私も子どものころからたびたび訪れていたし、夫にとっても北陸最大の街としてなじみ深く、結婚する前から旅行に訪れては、「いつか金沢に住むのもいいね」なんて話していた。

そんなぼんやりとしたライフプランが現実味を帯びたとき、金沢という街には、私たちが求める多くの要素がそろっているのだと気付いた。

一つは、東京へのアクセスの良さだ。仕事を続けるために移住をする私にとって、2015年に開通した北陸新幹線は命綱となる。金沢-東京間を2時間半ほどで移動できるため、日帰り出張だって難なくこなせる。

そして、適度に都会であることも大きなポイントだった。地方移住と聞けば農業と結びつける人もいるが、すべての地方都市が農村なわけではない。20代のころのような刺激は求めていないが、今の自分にとって必要な文化的環境は楽しみたいし、不便さを感じない程度には栄えていてほしい。そういう意味で、金沢のバランスは理想的なのだ。

加えて、子育てのしやすさも重要だ。富山県にある夫の実家は金沢市内から車で1時間ちょっとの距離にあり、格段に子どもを預けやすくなる。能登に住む祖母を頻繁に見舞う長野の両親にとっても、金沢は通り道である。

また、子どもの教育環境を考えても、学校の選択肢があり、塾や習い事もそろっているのは魅力的だ。建築にも趣向を凝らした大型図書館など、公共施設も充実しており、どこをとってもベストな街だった。

シンボリックで美しい石川県立図書館
シンボリックで美しい石川県立図書館

移住を思い立って半年後には、金沢での生活を始めていた。「急すぎない?」と驚かれることも多かったが、夫の転職先もすぐに見つかり、住むのならここだろうと目星をつけていたエリアもあった。あとは家を決めて、息子の幼稚園を決め、車を買って、引越しをするだけだ。そもそもが切羽詰まった状況だったこともあり、移住に際して不安になることもなく、喜び勇んで新しい生活にスライドしていった。

金沢には21世紀美術館、ひがし茶屋街、近江町市場、兼六園など、有名な観光地がいくつもあり、四季を問わず旅行客で活気づいている。市街地にはデパート、アパレルショップ、飲食店が充実しているし、カルチャー誌で取り上げられるような古本屋やパン屋なんかもある。移住後に都会の生活とのギャップを感じなかったのは、私たち夫婦が地方の出身で、自分の地元よりよっぽど栄えていたからかもしれない。

「ハレとケ」の両方がある街


諸々の引越し作業を終えたのは、ちょうど街中の木々が紅葉する時期だった。美しい景色を眺めながら、「これからこの街で暮らすのか」とワクワクしながら散歩したのを覚えている。

街の商業ビルが立ち並ぶエリアにも景観の良い広場や並木道が点在しているので、歩いていて清々しい。大通りから一本奥に入ると古い町家や石畳の路地が残っており、よそ行きの観光地とは違う趣がある。市街地から離れても、昔ながらの商店街、しゃれたカフェ、金物屋、代替わりでモダンになった老舗の精肉店なんかが、あちらこちらに点在している。寄り道をしながら行きつけの店を増やしていくのも、また楽しい。

私のお気に入りの散歩コースは、金沢の二大河川である浅野川と、犀川(さいがわ)の川沿いである。風情ある茶屋街のそばを流れる浅野川は、古い街並みにゆったりとなじんでいるし、住宅地に近い犀川河畔は、住人たちの憩いの場になっている。ピクニックシートを広げてワインを開けるカップルや、サッカーを楽しむ家族連れが、思い思いの時間を過ごすのだ。

茶屋町の古い街並みになじむ浅野川
茶屋街の古い街並みになじむ浅野川

金沢に住み始めて6年が経った今でも、「散歩をしているだけで楽しい」というのは、この街の大きな魅力であるように思う。旅先で感じるような新鮮な驚きと、そこで暮らしている手応えを、同時に感じることができる。いわば「ハレとケ」の両方が、街の中にあるのだ。

「観光地」と「暮らす街」の顔を兼ね備えた場所での日々

金沢で生活するようになって変わったことはいろいろあるが、移動手段が車になったのは大きな転機だった。当初、引越しのタイミングで購入した車は夫が通勤に使い、ペーパードライバーの私はバスや自転車で移動していた。しかし、冬になって雪が降り始めるとそうもいかない。結局、小さめの車をもう1台購入することになり、私も日常的に運転するようになった。

東京では公共交通機関で事足りていたので、免許を取得して15年、車について知る機会などほとんどなかった。2年ごとに車検があることもわかっていなかったし、自動車税や保険、スタッドレスタイヤなど地味に維持費がかかり続けることも知らなかった。セルフのガソリンスタンドでは、給油口の外蓋の開け方がわからずオロオロ。窓を洗うウォッシャー液だって、溜まった雨水が出ているのだと思っていた。しかし人間、必要に迫られるとできるようになるもので、今では仕事用に買い替えた大型車で、金沢の狭い路地もすいすい乗りこなせるようになった。

車を持ったことで、行動範囲がぐんと広がった。金沢市は海にも山にも面しており、40分ほど車を走らせれば横断できる。市内を飛び出して北上すれば能登地方、南下すれば加賀温泉や白山。少し足を延ばせば隣県の富山や福井にだって、気軽に遊びに行けるのだ。

自宅の近くにも自然豊かな広場があり、少しずつそろえたキャンプグッズを車に積み込み、友人家族とBBQをすることもある。夏になると海や川へ出かけて行き、気候の良い春と秋にはアウトドアを、冬はスキーやソリ遊びを楽しむのだ。花火大会などの大きなイベントもそこまで混み合うことはないので、軽いフットワークで参加できる。

BBQができる気持ちの良い〇〇広場
BBQができる気持ちの良い内川スポーツ広場

わが家の休日ルーティンは、県内の日帰り旅行だ。「今日はあのあたりに行ってみよう」と大体のエリアだけを決めて、ぶらぶらしながら気になる施設やお店を開拓していく。目当てのお昼ごはんを食べたあとは、公園で子どもを遊ばせたり、道の駅で買い物をしたり。夕方になると近隣の温泉を調べてひとっ風呂浴び、家に帰って買ってきたクラフトビールを飲み比べするのだ。

金沢は全国的にも美食の街として知られ、グルメを目当てに訪れる観光客も多くいる。私も旅行で訪れたときは、ちょっと良いお寿司をつまんだり、近江町市場のイートインで昼飲みを楽しんだりしていた。

約170軒もの店が並びにぎわう近江町市場
約170軒もの店が並びにぎわう近江町市場

だが住人となった今、毎日そんな散財をするわけにいかないし、蟹やのどぐろよりもハンバーグが大好きな子どもたちを育てている。地域性など微塵もない毎日の献立の中で、どうにかして美食の街に住んでいる恩恵を取り入れられないかを、日々試行錯誤している。

とはいえ、仕事が立て込んで料理をする気力がわかないときは、近所の回転寿司で夕食を済ましてしまう体たらくである。しかし、北陸を拠点とする回転寿司店は非常にレベルが高いのだ。もちろんカウンターの高級寿司店は抜きん出て美味しいが、比較的安価な回転寿司だって何を食べても美味しく、地物のネタも多い。それに注文したお皿は北陸新幹線がレーンを走って運んでくれるので、子どもたちも飽きずに食事を終えられる。

家族で通う回転寿司「すし食いねぇ!」。よく見る回転寿司店のようだがネタのレベルが非常に高い
家族で通う回転寿司「すし食いねぇ!」。よく見る回転寿司店のようだがネタのレベルが非常に高い

“地産地消”について、これまで深く考えたことはなかったが、子どもたちが大人になるころのことを考えても、今後さらに重要なトピックになるのは間違いない。

地元で採れたものを食べさせたい。そんなことを思いながら子どもとスーパーに行くだけでも、さまざまな発見がある。地物の新鮮な魚が売られていたり、加賀野菜と呼ばれる太きゅうりや金時草などの珍しい野菜もある。また、かぶら寿司や昆布〆など、北陸ならではの郷土料理を買い求めることもできる。まだ子どもたちの口には合わないようだが、夫とあれこれ試してみるのもなかなか楽しい。

金沢に来てから生まれた娘が1歳になったとき、誕生日に背負う一升餅を近所の和菓子屋さんにお願いした。まだ食べられないお餅をぺたぺた触っていた娘ももう2歳になり、折に触れて和菓子を買いに行くたびに、「あれからもう一年か」などと思い出す。遠方から素敵なものをお取り寄せするのも良いが、日常的に通う店で思い出を積み重ねていくのも、しみじみとした贅沢なものがある。

良い面も悪い面も抱き合わせで降りかかってくるのが「日常」

金沢での生活が気に入っているせいか、何だかポジティブなことばかり書いてしまったが、雨の日が多かったり、観たい映画がなかなか公開されなかったり、不便なことはたくさんある。

小さなことを挙げればきりがないが、毎年の雪についてはほとほと困っている。私が移り住んでからは毎年、大雪が積もる日が年に二、三度はあるのだ。

子どもたちの遊具になってしまうほど山のような雪が積もる
子どもたちの遊具になってしまうほど山のような雪が積もる

雪が降った朝は、まず家の前を除雪しなければならない。私も夫も降雪地域の生まれなので、雪に対してそこまでの戸惑いはないものの、車を出すにも停めるにもいちいち除雪をするのは億劫だ。

さらに、市内の雪害対策の設備も十分とはいえず、道路の消雪パイプ(※)は大きな通りにしか設置されていない。消雪パイプのない住宅地ではスタック(雪にタイヤがはまって動けなくなること)して立ち往生する車も多く、朝からあちこちで渋滞が発生するのだ。

※消雪パイプ/道路に埋め込んだパイプからノズルを通して路面へ水を散布する装置。除雪・融雪・路面凍結を防止する

かなり面倒ではあるが、ご近所さんがみんな外に出てきて「降ったね〜」なんて言いながら雪かきをするのは、そう悪いものじゃない。大人は世間話をしながらあくせく雪をかき、子どもたちは集まって雪山で遊ぶのだ。そんな楽しくも煩わしくもある時間の積み重ねが日常というものなのだろう。

自分の日常について話すとき、見え方によっては「素敵な生活」と受け取られることもあるし、「大変な思いをしてるね」と言われることもある。だが、良い面も悪い面も抱き合わせで降りかかってくるのが日常であり、「ハレとケ」でいう「ケ」の部分なのだ。

日常は地味だが、アンテナの張り方によっては滋味深いものになる。そんな発見を、私はここに来てはじめて経験しているのかもしれない。

犀川緑地は普段、住民たちの憩いの場となっている
犀川緑地は普段、住民たちの憩いの場となっている

金沢に住む以前の自分は、仕事や子育てなど、常に目の前のタスク処理に追われ、暮らしと呼べるものがなかった。衣住食の手触りもなく、慌てて服を着て、寝て起きるためだけの部屋で、何を口に入れたかもわからずお腹を膨らませていた。けれど、都会から距離を置いて自分に必要なものは何なのか、ちょうど良い塩梅とは何なのかに耳を傾けることで、自分らしい「ケ」の時間を持つことができたのだ。

移住して以降、以前よりも忙しくなり、仕事もしやすくなっている。基本的には金沢で暮らしながらオンラインで打ち合わせや執筆をし、映画やドラマを撮影するときは数カ月間東京に単身赴任をするという生活だ。

そんな私の日常にある「ハレとケ」のバランスは、この街が持つバランスに似ているように思う。外からやって来る人を楽しませる観光地としての「ハレ」の顔と、自然豊かな暮らしの場としての「ケ」の顔。「ケ」があるからこそ「ハレ」が輝く。それは人も街も同じなのかもしれない。


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筆者:岨手由貴子

岨手由貴子さん

1983年、長野県生まれ。大学在学中に自主制作映画を撮りはじめ、2015年に長編商業デビュー作『グッド・ストライプス』を公開し、第7回TAMA映画賞 最優秀新進監督賞、2015年新藤兼人賞 金賞を受賞。21年、山内マリコ原作・門脇麦、水原希子出演の映画『あのこは貴族』を公開。本作で第13回TAMA映画賞 最優秀作品賞を受賞。監督・脚本を務めた阿部寛主演のドラマ『すべて忘れてしまうから』がディズニー+で配信中。

編集:はてな編集部