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見果てぬ近代 2023年のマティス展(於東京都美術館)

東京都美術館のマティス展にいってきた。回顧展だが、とくに1910年前後のマティスの作品群が、個人的にはモダンアートの歴史全体においてピークの一つだと考えているので、それらを見ることができたという意味においては展示に満足した。ただ、帰ってカタログの論考を読んでみて、思うところがあったので記事にしておく。

今回のカタログでは、近藤学氏、藪前知子氏、アラステア・ライト氏、岡崎乾二郎氏の論考が掲載されていた。アラステア・ライト氏以外の三人については日本の美術業界では著名なので知っていたが、ライト氏の名前はまったく聞いたことがなかった。どうもオックスフォード大学で美術史について教えている方らしい。

ライト氏の論考は「プリミティヴィズム––アフリカ芸術との出会い」という題で、マティスとアフリカ彫刻の影響について論じている。こういった文物がヨーロッパに入りこんでくるのは言うまでもなく帝国主義による植民地化のおかげで、ドランやマティス、ピカソらはアフリカ彫刻の造形を参照しながら制作していたわけだが、彼らは洗練されたヨーロッパに対する「他者」としてこれらプリミティブな表象を利用していた。このあたりまでは西洋美術が好きな人であればだいたいお馴染だろうし、ここからゴーギャンの生涯やピカソの「アビニョンの娘たち」などを思いだすことだろう。ライト氏はここからもうすこし立ち入った議論をする。

たとえば、「豪奢I」(1907)の左の女性は明確にアフリカ彫刻を参照している。

Le Luxe I, Matisse Henri, Photo (C) Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist. RMN-Grand Palais / Philippe Migeat, (C) Succession H. Matisse
Photo (C) Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist. RMN-Grand Palais / Philippe Migeat
(C) Succession H. Matisse
https://www.photo.rmn.fr/archive/11-529859-2C6NU0O6HQPM.html

ライト氏は、この絵にたいする当時の批評家たちの反応について、以下のように書いている。

彼らは非ヨーロッパが参照されていることは感じとり、それに対して容赦ない攻撃を加えている。アルベール・フラマンは同作の人物3名を「ムラート女(mulâtresses)」と分類した。当時、白人と黒人の混血児を指して用いられていた言葉だ。ルイ・ヴォークセルは喧嘩腰でこう問いかける。「この野蛮な線描はいったい何を意味しているのか?(...)このカナク人顔は、いったい何なのか?」。「カナク」とは、厳密にはニューカレドニアの〔メラネシア系=非白人〕住民に与えられていた名前だが、ここでは正確な民族誌的意味においてではなく、「プリミティヴ」な存在一般を、きわめて侮辱的に喚起するために用いられているとおぼしい。
フラマンの応答はとりわけ多くを物語っている。そこからは、マティスの同時代人のなかに、彼がアフリカ芸術のさまざまな側面を借用していることを、純粋であるべきヨーロッパの伝統を脅かす振る舞いと見なした者がいたことがうかがえる。地中海沿岸、ということは「フランス」を思い起こさせる1点の絵画に、批評家たちから見れば、うさんくさい外国の特徴が伝染してしまっているという事態。

云々。

フラマンやヴォークセルの反応は、芸術に関わる人たちがきわめて同質的な社会に住んでいることを物語っている。植民地の表象はヨーロッパから切り離され、エキゾチックなままでなければならない。マティスの「豪奢I」はこの同質性にたいする攻撃と映ったことだろう。そしてこの攻撃性は、マティスが1920年代から30年代を通じてたんにオリエンタルな絵画を描きはじめることを思いあわせると、意義深いものがある。「赤いキュロットのオダリスク」(1921)はよく知られた作例だろう。この絵はわたしはたいへん下品な絵だとおもうが、当時の鑑賞者たちは「豪奢I」に見出したような攻撃性は見出さなかっただろう。

Odalisque à la culotte rouge, Henri Matisse, Photo (C) Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist. RMN-Grand Palais / Philippe Migeat, (C) Succession H. Matisse
Odalisque à la culotte rouge, Henri Matisse, Photo (C) Centre Pompidou, MNAM-CCI, Dist. RMN-Grand Palais / Philippe Migeat, (C) Succession H. Matisse
https://www.photo.rmn.fr/archive/11-529859-2C6NU0O6HQPM.html

この絵は今回の展示にも来ており、カタログには次のように記載されている。

マティスの「オダリスク」は––アングルやドラクロワのオリエンタリスム(東方趣味)絵画とは違って––単なるモティーフでも画題のカテゴリーでもない。それは絵画の構成要素そのもののあいだに生まれる緊張の調整という観点から絵画表面を考える、新たな発想を指しているのである。

驚くほど脱色された記述である。アングルやドラクロワのオリエンタリスムの伝統からマティスを切断することには、何か意味があるのだろうか。造形的に純粋な関心であればオリエンタリスムではないといわんばかりの論調にはさすがに首を傾げる。

ルイ・アラゴンはマティスについてこのように語っていたそうである。

私には単純にこう思えた。マチスの国民的リアリティを知らしめるときが来たのだ。(中略)なぜなら彼はフランス人であり、彼がフランスだからだ。

このアラゴンの引用は大久保恭子さんの「アンリ・マチス『ジャズ』における表題の考察II」からの孫引きで、1948年のフィラデルフィア美術館でのマティス回顧展に記載があったようだが、戦時中もしくはもっと前の発言なのではないだろうか(原典にあたっていないのであれですが...)。いずれにせよ、マティスという作家がフランスナショナリズムに回収されてもなんの違和感もない。上掲のオダリスクにせよ、カタログ執筆者がアングルやドラクロワの伝統から切り離したがるほうが不思議なくらい、フランス絵画の伝統に沿ったものなのだ。つまるところ、マティスは、ヨーロッパの被侵略者の表象を、最初は異物として扱い、それをフランス化していったのだとも言える。これはマティスだけの問題ではなく、アヴァンギャルドが一区切りついてみると1920年代から30年代を通じて新古典主義の時代になっていたわけであり、ここにフランスにおけるナチズムの対応物を見出すことに困難はないようにおもわれる。

大久保恭子さんの論考から再び引用する。

美術批評では1930年代からフォーマリズムが市民権を得、ことにアメリカでのマチス評価はフォーマリスティックな観点で成されるようになっていた。フォーマリズムは作品を形式によって分析するため、それが制作された特定の場所と時間から切り離され普遍性を獲得するという論理的前提を持つ。ここに「芸術のための芸術」という芸術至上主義が成立する素地があった。またここにこそ、ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)が喝破した、ファシズムとは「明らかに、狂暴性のデカダンスから出てきたものであり、『芸術のための芸術』のテーゼを思いきり戦争へ転移したものにほかならない」という、戦争と芸術との連動性が見て取れるのである。

わたしが美術教育を受けたのは10年以上前のことだが、このアメリカ型フォーマリズムはたいへん影響力をもっていた。唱導者の一人であるクレメント・グリーンバーグは、ヨーロッパ近代絵画の歴史とアメリカの同時代絵画の歴史を接続し、そこに連続性をもった歴史のイメージをつくりだそうとした人である。彼にとって、第二次世界大戦という事件は、芸術の歴史の連続性を毀損するような事件ではなかった。わたしたち日本人にとってアジア太平洋戦争というものの影響は大きく、戦前戦後での言語空間に強い非連続性があるのだが、アメリカにはそれがあまりなかったわけだ。わたしたちは、アメリカ型の美術観を戦後期を通じて輸入しつづけることで、わたしたちの言語空間を切断した事件をもきれいに消しさってしまっているかのようである。

わたしが気になるのは、日本のモダンアートの受容の仕方である。これまでヨーロッパのモダンアートの展示は日本で繰り返しおこなわれてきたが、その植民地主義について仮借なく問いなおしている展示を、わたしは見た記憶がない。モダンアートはいまだにモダンアートとしてストレートに紹介される。オリエンタリズムくらいは触れられるかもしれないが、ヨーロッパからみた東洋のエキゾチシズムというくらいで、その政治性について解明するような展示はみたことがない。ヨーロッパ近代絵画の歴史は、少なくとも日本においては無傷のまま受容されているようにおもわれる。わたしたちは、マティス含むモダンアートから、受け取りたい側面と受け取りたくない側面を、無自覚に選別していないだろうか。

今回のマティス展は、公式のウェブサイトによると「約20年ぶりの開催!20世紀芸術の巨匠アンリ・マティスの大回顧展」である。この20年前の展示は、わたしも上京したてで行ったおぼえがあり、カタログも手元にある。20年前のマティス展においても植民地主義への言及はほとんどなく、20年経過した今回の展示にもほとんどない。マティスの展示は来年もあるらしく、これもタイトルを見ると植民地主義については云々しないだろう。今回、カタログにアラステア・ライト氏の論考が掲載されたのはおおきな一歩だが、キュレーションというレベルで見たときにはマティスと植民地の関係について考察を促すような注釈はなかったとおもうし、カタログに掲載されている日本の三氏の論考にも植民地主義についての議論はほとんどない。ポストコロニアリズムの研究も盛んだから、さすがに研究領域では進んでいるのだろうが、ことモダンアートの一般人向けの紹介となると(海外については知らないが)帝国主義の問題はスキップされているように感じる。わたしはいちおう大学で美術について専攻していたが、それが20年も経ってみて、ハタと気付けばそういえば近代芸術と帝国主義ってどういう関係なのって思っているくらいだから、ある程度専門的な教育課程においてすら、帝国主義という問題は不可視になっているように思われるし、これがすくなくとも20年は継続しているわけである。

マティスやピカソという名は、わたしたちにとって見果てぬ近代なのだ。わたしたちの先祖はヨーロッパ近代というものに憧れ、近代化の副産物でしかない侵略戦争にまで手を染めたが、そういったことはもう忘れてしまった。ヨーロッパが「他者」としてのアフリカやオセアニアの表象を抱えていたように、わたしたちも大東亜共栄圏内に中国や朝鮮、インドネシア、タイ、シンガポールなどなど東アジア/東南アジアという他者を抱え、彼らを日本化しようとする過程があった。そういったことはすっかり忘れてしまったから、マティスやピカソという名は輝かしいモダンのマスターのまま、彼らの背景にあった社会的な諸問題について見過ごしつづけているのではないだろうか。