ベトちゃん・ドクちゃん「一緒に」生まれ大手術で分離、「兄の分も生きる」…1988年10月「あれから」<37>
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麻酔から目覚めると、不思議な感覚に襲われた。いつも左隣にいた兄がいない。「ナンダカナ、ナンダカナ……」。訪日時に覚えた片言の日本語でそうつぶやいた。「何が起きたのか」という意味だった。
1988年10月4日、ベトナム南部ホーチミンのツーズー病院。当時7歳だったグエン・ドクさん(42)は、双子の兄ベトさんとの分離手術に臨んだ。
「ベトちゃん、ドクちゃん」。そう呼ばれた2人は、ベトナム戦争中に米軍が枯れ葉剤を散布した村で生まれた。下半身がつながった結合双生児だった。
下腹部の激しい痛みは、兄と体が切り離された証しといえた。「ようやく自由になれた」。喜びが込み上げると同時に、何とも言えない喪失感に包まれていた。(社会部 浜田萌)
ベトナムの貧村、下半身つながった双生児

1981年2月25日、ベトナム中部の貧しい農村に双子の男児が誕生した。

「化け物が生まれた。川岸に連れて行って燃やしてしまえ」。母のラム・ティ・フエさん(69)=写真=は出生時、親戚の一人がそうまくし立てたと明かす。
下半身がつながった結合双生児。後の「ベトちゃん、ドクちゃん」だった。
農村は、60~70年代のベトナム戦争で米軍が重点的に枯れ葉剤を散布した地域の一つだ。フエさんは山中のキャッサバ畑で、白っぽい粉をまく米軍機を目撃していた。
「命を守るため、病院に預けた」。フエさんはそう話す。2人は首都ハノイのベトナム・東ドイツ友好病院に送られ、病院名にちなみ、兄は「ベト」、弟は「ドク」と名付けられた。

枯れ葉剤の影響を取材するフォトジャーナリストの中村梧郎さん(82)=写真=は81年12月、病院で目にした2人に驚きを隠せなかった。「こんな子供がいるのか」
ベトナムでは当時、結合双生児はほかにもいたが、多くが死産か、生後すぐに死亡していた。中村さんも生きている姿を見たのは初めてだった。「この子たちもあと1、2年しか生きられないのでは」。その時は、そう思ったという。
その後、2人は障害児のケアが充実する南部ホーチミンのツーズー病院に移送された。そこは成人後も暮らす「家」となった。
2人で一つが当たり前「すごく楽しかった」
「2人で一つが当たり前。特別だとは思っていなかった」。弟のグエン・ドクさん(42)は、子供時代をそう振り返る。
「これは僕のおもちゃだ」「違う、僕のだ」「こっちに行きたい」「いや、あっちだ」。けんかもしたが、「いつも一緒ですごく楽しかった」。
障害者の実態調査で85年2月、ツーズー病院を訪れた藤本文朗・滋賀大名誉教授(88)は、配膳用の台車に乗った2人に笑みがこぼれた。「障害を感じさせないほど活発で、キラキラと生命力にあふれていた」。帰国後、募金活動で特製の車いすを贈ると、2人は病院内を自在に動き回り、ボール遊びにも興じた。
そんな楽しい日々は突然、終わりを告げる。