いったいどこが不適切なのか。
広島市の新規採用職員研修用の資料に、教育勅語の一節を引用しているのは問題だとして、左派団体などが松井一実市長に抗議している。「教育勅語は憲法の理念に反し、不適切」だからという。
教育勅語には、教育の基本理念として親孝行や博愛など普遍的な徳目が記されている。憲法に反するという批判は全く当たらない。理不尽な抗議活動こそやめるべきだ。
資料は「生きていく上での心の持ち方」として教育勅語の一節を引用し「博愛 衆に及ぼし 学を修め 業を習い 知能を啓発し 進んで公益を広め」などの文言を掲載した。
松井市長の「温故知新」を重んじる考えのもと、就任翌年の平成24年から配布してきた。これまで特に問題視されなかったが、12月中旬に一部メディアが批判的に取り上げ、自治労広島県本部などが抗議を始めた。
朝日新聞は20日付の社説で、「教育勅語の本質から目をそらす、危うい考えと言うほかない」と批判した。だが、この指摘こそ教育勅語の本質から目をそらしている。
教育勅語は明治維新後、西洋の思想や学問が急速に入り込む中、日本古来の道徳も大切にしたいとして発布された。明治天皇が国民と一緒に実践していきたいと呼びかける内容だ。和漢洋に通じた明治の碩学(せきがく)かつ官僚の井上毅(こわし)や、すぐれた儒学者の元田永孚(えいふ)が起草した。
日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ)の圧力などで国会は昭和23年に排除、失効を決議したが、夫婦の和や朋友の信、順法精神など教育勅語が示すのは大切な倫理観だ。
「皇運を扶翼(ふよく)すべし」などの文言が国民主権に反するという批判もおかしい。天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(憲法第1条)だ。皇運とは日本の国運そのもので今の憲法の精神にも沿っている。
教育勅語をめぐっては、平成29年に安倍晋三内閣が「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定しない」との答弁書を閣議決定している。
松井市長は資料に問題はないとし来年度以降の研修にも使用する方針だ。左派の偏った批判に迷うことなく、初心を貫いてほしい。