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ライターになってよかった

 今から10年以上前のことです。ネット上にスレッドが立って、僕と柏木先生のどっちの作品かを当てるゲームみたいなことが流行した時期がありました。柏木先生の作品もだんだん笑わせる路線に変化し、2人の見分けが難しくなってきたのでしょう。

 やがてどちらかを当てながら、それぞれの作品を批評されることが日常化しました。もちろん、批判や悪口もありましたが、8割以上は肯定的な意見で、とても嬉しく感じたものです。

 一番印象的だったのは「こんな小説、俺にも簡単に書ける。楽な仕事でお金をもらっているな」という書き込みに対して「900字程度で完結する文章は難しいぞ。だったらお前、書いてみろ」と反論してくれた人が数人いたことです。

 一方、批判された中で何度も出てきたのが「奈倉、親の前でこの作品を音読できるのか?」でした。確かに、それは厳しいものがありますね。

 ただ、いろんなスレッドを読んでいるうちに、悪口というのは形を変えた褒め言葉だと気づいたんです。まったく関心がなければ、何も書き込むことはなく無視するはずです。否定的な意見だとしても、その人が書き込みに3分ほどの時間を使ったとしたら、それは自分の寿命を削って3分を僕に捧げたことになります。なぜなら、時間は寿命の一部だから。

 当時は批判から学べることや気づきもあり、作品を書くうえでとても参考になりました。要するに、「肯定的な書き込みも否定的な書き込みも、何かしら作品に愛情があるから読者は文字にするんだ」と楽観的に考えるようになりました。

 笑いは免疫力を高めることが医学的に明らかになっています。たとえば、がん闘病中だったり、ケガで入院している人たちが僕の作品を読んで笑い、元気になってもらえればという気持ちが常にありました。もちろん、真面目に書くこともありますが…。たまに社会問題やパロディを入れたり、特殊な暗号を作品に盛り込んだこともあります。こうして、自分なりに楽しんでいました。

 とにかく、この場を借りまして読者の方々には感謝とお礼を申し上げます。最近はnoteをやっていることが、かつての読者にバレたみたいで、その励ましの書き込みも読んで、涙が出るほど嬉しかったです。人生、長く生きていればいいこともあるんだなと感動しました。

 これからも、認知症になるまでは書き続けますので、よろしくお願いいたします。

 

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