筆者:安達茉莉子(あだちまりこ)
作家、文筆家。大分県日田市出身。政府機関での勤務、限界集落での生活、留学などさまざまな組織や場所での経験を経て、言葉と絵による作品発表・エッセイ執筆を行う。著書に『毛布 - あなたをくるんでくれるもの』(玄光社)、『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』(三輪舎)、『臆病者の自転車生活』(亜紀書房)、『世界に放りこまれた』(twililight)ほか。
菊名の次、というより横浜から各停で4駅
横浜の妙蓮寺に住んでいます——と言うと、大体の人はどこでしたっけ、という顔をする。東急東横線で、菊名駅の次。新幹線も停まる新横浜の近く。そう説明するが、実際住んでみると、「横浜駅から各停で4駅」と言いたくなる。
3年前にここに引越してきてから、私の生活地図はそれまでの都内を中心にしたものから、ぐんと変わって、横浜文化圏を中心とするものに変わった。妙蓮寺は、横浜の中心に(とはどこなのだという永遠の謎はさておき)すぐ出られる、小さなまちだ。
駅の前には、駅名の由来となったお寺「妙蓮寺」の大きな山門がある。吉祥寺、国分寺、祐天寺——名前に「寺」がつくまちは、どこか落ち着いた、独特のしっとりした雰囲気があると聞いてなるほどと思った。落ち着いているがさびれた感じはない。だけど家賃も高くない。高くないどころか、東横線の中でも指折りの家賃が安いエリアだといわれている。
横浜は坂が多い。妙蓮寺は、菊名から六角橋に抜ける旧綱島街道沿いにある。街道沿いの両側には、戸建てや集合住宅が立ち並ぶ丘が広がる。圧迫感がなく、どこかホッとするのは、緑が多いからだろうか。家と家の間にある細い階段をゆっくり上る人が、遠くに見える。空は広く、眺めはいい。疲れているときはうんざりするが、自分の家に帰る途中、階段の途中で振り返ると、横浜のまちが遠くに見える。ここには見晴らしがあり、心地よい風が吹く。遠くからは時々汽笛の音が聞こえる。美しい場所だと思う。だけど特別ではない。そんな風景を日々享受して、3年がたった。

「日常」を暮らすまち
妙蓮寺は、決してわざわざ出かけて行くような場所ではない。普段着の、日常を過ごす場所だ。朝早く出て日が落ちてから帰宅する、お勤めで出勤するような多くの人にとって、そのまちの日常とは主に「土日」——週末や休日の時間になるだろう。
だけど、妙蓮寺に住み、ここで仕事もしながら暮らしていると、日常は「毎日」になる。毎日、ここで寝て起きて生活する。当然、生活の場は居心地が良いといい。仕事の合間に、好きなお店にコーヒーや和菓子を買いに行けるともっといい。誰か面白い人たちが近くに住んでいるとさらにいい。妙蓮寺にいると、毎日の生活を楽しんでいる人が当たり前に目に入ってくる。ご飯や住居、季節の食べ物に、お稽古や習い事。家の前にはみ出たプランターの植物にジャバジャバ水をあげているおばあさん。夏になると大輪の百合を家の先に出してくる人。
ここにいると、そうした名前も知らない近所の人たちの営みが自然に目に入ることが多い。自分も、仕事とはまた別の、人生をかたちづくるものに時間をかけたくなる。あまり遅くまで働くのはやめようとか、今日はちょっとゆっくり料理をしようとか。仕事ばっかりしてたなあと振り返るような、そんなふうに少しペースを自分の呼吸に合わせたくなる時間が流れている。

面白いことが起こりそうな場所
私が妙蓮寺を初めて訪れたのは、2020年の秋のことだった。この地にある「本屋・生活綴方」で個展を開催することが決まり、打ち合わせで訪れたのが最初だった。駅の改札を出ると大きなお寺があり、その上に空が広がる。空が広い場所だ、というのが第一印象だった。打ち合わせには大きく遅刻し、店に向かって焦りながらも、ふと足を止めて不動産広告をのぞいている自分がいた。
駅から数分の道には個人商店やパン屋が立ち並ぶ。歩いている人の顔がなんだか明るい。いいところだな、と思っていた。在廊のために何度か通ううちに、離れがたくなった。本屋・生活綴方の人たちとも仲良くなって、ばんばん物件情報が届くようになり、在廊の合間に不動産屋に行き、気づけばその数カ月後にはアパートを見つけて引越してきていた。
大学進学を機に上京してからほとんどの期間を中央線沿いに住んでいた。一番長く住んだのは中野区の東中野で、かれこれ10年以上住んでいた。作家活動のかたわら、二足の草鞋を履いて会社員生活をしていたが、コロナ禍で会社が突然なくなり、ひとり暮らしを続けるのも厳しく、半年ほど千葉の妹夫婦宅に居候していた。
いつまでもいていいよとは言ってくれていたが、そういうわけにもいかない。
だが、住みたい場所がまったく思いつかなかった。馴染みのある中央線に戻る? 物件情報を探してみるが、何か決め手がない。自分がそこにいるイメージが湧かない。じゃあどこか別の場所へ? どこに住んでもいいけれど、どこに住めばいいかわからない。
わかっているのは、コロナ禍の日々で、人との出会いに飢えていたことだった。そして、それまでのパターンに、もう飽きていた。次に引越すのならば、「面白いことが起こる場所」がいいと思っていた。その予感は当たっていて、妙蓮寺に引越して以来、それまで出会ったことのなかった人たちに本当にたくさん出会った。
地元で友達ができる、ということ
自宅からも歩いていける距離にある本屋・生活綴方で、これまでの人生ではなかったほどに人と会った。編集者さん、作家仲間、仕事関係者もよく訪ねてきてくれた。横浜のほうまで来てもらうのは申し訳ないなといつも思うが、ついでに本屋・生活綴方を案内できるので、なんとなく誘いやすい。読者の方や、書店に来ていたお客さん、あらゆるお友達——このまちでいろんな人と出会い、迎えてきた。
皆、口々に「ここに住んだら楽しそう」と言う。それに対して、「引越してきなよ」と返すのがお決まりになっている。実際に気に入って近くに引越してくる人も、片手では足りないほど何人もいた。これから引越してくるという人の話も聞いている。本好き、語学好き、ジャグラー、文章を書くのが好きな人、書いてみたいけどどうしていいかわからない人、絵を描く人、デザイナー、そしてその友達……老若男女、肩書き問わず、いろんな人がここを訪れる。
「コミュニティー」と言ってしまうと、どこか閉鎖的な響きがあって好きではないが、本屋・生活綴方は不思議とそんな気がしない。ここはお店番システムをとっていて、登録している人は現在100人を超えているという。だけどあくまで、「本が好き」といううっすらとした共通項があってここに居合わせているという感覚で、気が合う人は仲良くなっていく。人間関係特有のウエットな感じはなく、カラッとしていて風通しがいい。妙蓮寺というまちののんびりした空気がそうさせるのか、たまたまお店にいる知らない人と何気なく会話をするのも、ここだと苦ではない。旅先みたいに自然と話ができる。誰とでも。

引越してきたときと比べて、別人のようだねと言われる。横浜のムーミン谷で暮らすような生活。これまで、地元で友達ができるという経験がほとんどなかった。
留学していた時期は別として、基本的に住む場所とは、ただ寝に帰る場所のことだった。あるいは休日を過ごす場所。友達とは遠くに住んでいて、待ち合わせて出かけに行って会うもの。だから、寝場所Aが寝場所Bに替わるだけで、住むまちなんて、正直別にどこでも良かったといえる。その寝場所がせめてできるだけ心地よいこと、そして寝場所から仕事場所への移動に、できるだけ苦がないことを願うだけだった。
引越してきてからというもの、住む場所とは文字どおり「住む」場所になった。平日も休日も関係なく、昼も夜もここにいて、ここで生活を営んでいく。私の場合は本屋に集う人たちが元々近くに住んでいたり、引越してきたりしたので、気軽に「今からご飯いこう」と誘えるようになった。大人になってから、事前の日程調整や待ち合わせなしに会える関係って、最高だ。
何より、まちに本屋があることがこんなにも自分に影響があるとは思わなかった。なんだか心細くなったり、モヤモヤして気が晴れない時は、本屋に行く。棚を回遊していると、自分の体が反応する棚がある。そうやって自分に響く本を見て、手にとって、本を開く。そういう何気ないひとときで、自分の寂しさは調律されるのだと感じた。本屋にはそういう逡巡(しゅんじゅん)を内側に抱えた人が集うように思う。そしてそういう揺らぎを抱えた人にとって、居心地が良い本屋があり、それが本屋・生活綴方であり、その目の前にある本店の石堂書店だった。

さて、ここまで、やや褒めすぎたかもしれない。「みんな住んだら良いのに」なんて言うと、かえって住みたくなくなる人もいると思うので、あまり言わないほうがいいのかもしれない。ここからは、淡々と、「住んでてここが好きだな〜」と、横目でチラチラ見ながら、あたかも問わず語りのように、妙蓮寺の好きなところを言うだけ言ってみるコーナーを始めてみようと思う。
「何もしない」がしやすい場所
妙蓮寺には、「ただいる」ことができる場所がたくさんある。たとえば、池のある公園。そこにはゆったり腰かけられるベンチが十分にあり、ご飯を食べたり、ただ池を眺めたりできるし、皆そうしている。「何もしない」が、ここでは極めてしやすい。
妙蓮寺駅からほど近い菊名池公園は、緑の樹々に囲まれていて、そこのベンチに座ってぼーっとしていると、「ここはどこだっけ」という気分になる。近くに高い建物がないから、やっぱり空が広い。公園のすぐ裏手にある、郵便局を改装した「テラコーヒー妙蓮寺店」でカフェオレやコーヒーソフトクリームを注文し、すぐ近くにある「洋菓子シノノカ」でシュークリームや焼き菓子を買って、池のベンチに座って食べるのが好きだ。ただ犬と散歩に来ている人や、ただ来ている人。本を読む人。近くの「スーパーマーケット オーケー(OKストア)」で買ったお弁当を食べる人。それぞれ勝手に自分のサンクチュアリのように過ごしている人たちがいる。誰も他人に構わない。

ちなみに、菊名池公園の一部分は、夏の間、流れる屋外市民プールとして広く開放されている。利用料は数百円で、とても安い。これは、水や日光が苦手でない限り、妙蓮寺に住む最大の愉しみのひとつと言っていい。まさか自分が今更水着を買う日が来るとは思わなかったが、去年の夏は特に本当によく泳ぎ、流れるプールにぷかぷか浮かんだ。妙蓮寺は本当に不思議なところで、おおらかというか、妙蓮寺だし、で許されるところがある。大の大人が多少浮いていたって、誰も気にしないのだ。(と、私が呑気にそう思っているだけで、陰で変なあだ名をつけられていたりするのかもしれないが……)

駅から徒歩5分以内で巡れるすてきな個人店たち
妙蓮寺には個人店が多い。(逆にいうと、チェーン店が少ないともいえる。ドトールやケンタッキーはあります!)手作りの老舗おでん屋「八州屋」、公園に面した「カナタカフェ」、季節の和菓子の時期には行列ができる和菓子屋の「三吉野」、いつ行ってもお客さんが皆楽しそうに笑っている、クラフトビールと家庭料理の立ち飲み屋「SIBLINGS(シブリングス)」。今は移転したけれど、洋裁レンタルスペースがあった「ころぼっくる工房」。町中華ならぬ町カレー屋「Dwarika's/ドワリカズ」。家系ラーメン屋の「ゑびす」。お客さんが来たときは、鴨せいろが有名な「鴨屋 そば香」へ。本屋・生活綴方の目の前にあるイタリアン「生パスタバル Smile on the Table」では、ばったり会った友達とご飯を食べたりする。
大きなまちではない。数としては多いわけではないけれど、 一つひとつのお店がいきいきとしていて楽しい。そんなお店がどこも妙蓮寺駅から徒歩5分以内くらいの範囲の中にある。そのお店を歩いて気軽に回れる感じもいい。
旧綱島街道沿い——「妙白エリア」を歩く
少し広域にとらえて、妙蓮寺から白楽のほうに歩いていくのも楽しい。私はこの辺りを勝手に「妙白エリア」と呼んでいる(東京の「谷根千」みたいな……)。
白楽に近づくにつれ賑やかになり、店も増えていく。考えごとをしたり、頭をスッキリさせたいときによく行く白幡池公園。ここがあって良かったといつも思う、「古書店ツイードブックス」。土日のみ営業している飲み屋の「Cafe 酒 にゃらや」、友達と吸い込まれるように行く、町中華の「中国料理 美珍」。気づけば服がここのものばかりになる老舗のセレクトショップ「eimeku/エイメク」。行くとつい何か買ってしまう雑貨屋「switch box あけ/たて」。戦後の面影を残し今も「闇市(ドッキリヤミ市場)」で賑わう六角橋商店街。元々横浜市内を走っていた路面電車の終着駅がこの六角橋だったというと、独特の風情も伝わるだろうか。一種類しかメニューがなく、席に座るとパキスタンカリーが自動で出てくる「サリサリカリー」は何度友達を連れていったかわからない。ここに書いていない店や、行けていない面白い店がたくさんある。コアな整体なども妙に多い。
もしこの記事を読んで万が一引越してくることになって、いつも会いたい友達がいるなら、この辺り(旧綱島街道沿い)に引越してきてよと引きずり込むのがおすすめだ。そして夜ご飯を一緒に食べて、帰りは白楽寄りの白幡池公園で、夜の池を見ながら話しこんで帰ればいい。春も夏も秋も冬も気持ちいい。東白楽まで足を延ばして銭湯に入りに行ったらいい。友達と歩きながら夜散歩するのは最高だ。それはどこに住んでいてもできることだけど、駅と駅の距離が近い妙蓮寺周辺は、そういうことがとてもしやすい。

実はどこからもとてもアクセスが良い
妙蓮寺は、意外と(?)どこからでもアクセスがいい。たとえば都内を少し離れて暮らしてみたいけど、でも通勤や出張など移動がたくさんあって、働き盛りなんだよなあという方には特におすすめしたい。
まず、新幹線の新横浜駅はすぐだ。新横浜から新幹線に乗るって、何か「良い」。理由はわからないが、すごく楽なのだ。体も、心も。横浜アリーナや日産スタジアムにもすぐに行けるし、なんなら自転車で行ける。横浜アリーナで行われた藤井風さんのライブに自転車で行った時の高揚感はすごかった。新横浜駅からはIKEA港北に無料シャトルバスも出ている。このバスの中から鶴見川を見るのが好きだ。
ターミナルである横浜駅にも近いので、そこから羽田空港や成田空港、あるいは東京駅方面へのアクセスもいい。東横線(副都心線直通)で、渋谷も20数分で行ける。各駅停車では朝も割と座れることが多い。横浜市民が愛してやまない、馬車道、大さん橋ふ頭、みなとみらい、元町・中華街だって一本だ。頑張れば歩いても行ける。桜木町から紅葉坂を上ったところにある県立神奈川図書館でも、よく時間を過ごしていた。もっと西の神奈川エリアへも近い。逗子や鎌倉、あるいは小田原や箱根のほうにだって出やすい。横浜駅にはYCATもあるので高速バスも都合がいい。
妙蓮寺に引越してきてから、「安達さん今どこにいるの?」とか「またどっか行ってたでしょ」と言われるほど、国内・海外問わずとにかくたくさん旅をした。それが可能だったのは、この絶妙なアクセスの良さにあったのだと思う。
長くなりましたが
引越して、丸3年ちょっと。起伏の多い横浜の地で、私は坂の上にある小さなアパートで本を4冊書いて、そのうち2冊は妙蓮寺での暮らしの中で自然発生的に生まれてきたものが書籍になった。私にとっては、人として癒やされていき、作家としてゆりかごのように育ててもらった場所でもある。
ここに戻ってくると、いつもほっとする。時間がゆっくり流れていて、穏やかだ。誰も急いでいないし、急かしてこない。時間をゆっくり味わって良いのだと自然に思える。今日何を食べようかとか、人ともっと話そうとか。本当はそんなことを大事にして、重きを置いていい。生産性を求めるのではなく、ただ「生」を求めて、生きていい。
会社やオフィスの中だけが生きる場所ではない。晴れた日の昼間の公園や、夕方まだ明るい本屋の店先にも、小さなアパートの台所にも、人生はある。もちろん、いきなり今の生き方を変えるのが現実的かというと、そうもいかないように思えることが多い。だけど、このまちに住んでいると、「今の生き方」と「別の生き方」の可能性が混じり合う。生きていく道は、今見えているルート以外にもいくらでもあって、境界線上にあるかすれかけた白線をふと踏み越えたりまた戻ったりしているうちに、いつの間にか道が変わっていく。
本屋・生活綴方に集っている人たちの中に、引越してきたり、文章を書くようになったり、ZINE*1を自分でつくってみるようになったり、本のイベントを主催してみるようになったり、畑を始めてみたり、休職してみたり、転職してみたり——いろんな人が白線をまたいできたのを見てきた。
人は環境に左右される。出会いによって変わっていく。なんだって、やってみなければわからない。だから、比較的家賃が安くて、妙に住みやすいこのまちに、みんな住んでみたらいいのに、と思うのだ。
写真提供:安達茉莉子
編集:はてな編集部
*1:同人誌、自主制作の本や冊子のこと