バカリズム脚本ドラマを支える雑談、その徹底したリアリズム。会話劇を得意とする作家は多くいるが、バカリズムの手掛ける会話には一つの大きな特徴がある。それは、登場人物らがおそろしく“察しがいい”ということだ。会話におけるディスコミュニケーションを笑いやドラマに展開していくというのはよく目にするのだけど、バカリズム作品の場合は「あぁ、それね」とすぐに理解し合うし、言ってもないことを、「えっ、今、〇〇って思ってたでしょ?」と言い当てていく。これはバカリズムが狭い範囲での親密なコミュニティを題材にしているからであろう。今作における異様なまでの高橋(角田晃広)の察しの良さ。
あのさ、ひょっとしてだけど、もう言っちゃってない?
ねぇ、今さぁ、時期が早まっただけで、能力使わなくも剥げてただろうって思った?
えっ、今、おれのことちょっとヤバいやつだと思った?
これはもうエスパーである(高橋は宇宙人であるから、彼の力は「超能力ではなく超人的な能力なのだ」というが)。コミュニケーションの円滑さが今作のSF的イシューを召喚している。わかりあえないという滑稽さではなく、コミュニケーションが円滑に進みすぎるというおもしろさ。会話のリアリズムを維持しながら、この領域をくすぐり続けることができるという一点においてバカリズムは稀有な脚本家なのだけど、そこに加えて緻密な構成力を持ちあわせ、さらにはちょっぴりのエモーションを忍ばせることもできるのだから末恐ろしいことです。
いらっしゃいませ
いってらっしゃいませ
山梨県のビジネスホテルを舞台とした『ホットスポット』において、メインの舞台はホテルのフロント。そこではせわしなく人が出入りし、カメラはそれを執拗に捉える。この人の流れ、“通路”のようなものがこの作品に通底しているイメージだ。であるから、それに対抗するかのように、その通りを滞らせるような、“詰まる”というイメージがドラマには頻出する。体育館の天井に挟まるバレーボール、あやにゃん(木南晴夏)の車の側講への脱輪、ホテルの給湯器の入水管のフィルターの詰まり・・・高橋(角田晃広)はそういった詰まりを、超人的な能力で取り除いていく(スーパーのレジの行列という“詰まり”も語られるが、そこには高橋が介入しないため、レジ打ち職人の手によっても詰まりは完全には解決されない)。『住住』『架空OL日記』『ブラッシュアップライフ』・・・とバカリズムは“駄弁り”によって形成される小さくも親密なコミュニティ描写を得意としてきたが、人の出入りが根底イメージにある『ホットスポット』はでそのコミュニティが拡張し、町となるさまを描いていく。拡張していくイメージは、清美(市川実日子)たちの行きつけの喫茶店「モンブラン」が回を重ねるごとに客が増え、果てには行列店になるという描写にも見てとれる。
また、小さなコミュニティは「高橋が宇宙人である」という“秘密”を共有し合うことでその繋がりを強めていく点も見逃せないだろう。清美、みなぷー(平岩紙)、はっち(鈴木杏)の3人は地元の幼馴染であるが、高橋の“秘密”を共有することで再び親密度の熱が上がり、今では週1~2回は集まるようになってきたと描写されている。 “秘密”はそれを持つことで固有性を高め、さらに他人と共有することでその価値が上がり、共有したもの同士の親密度を上げていくのだ。“秘密”そのものである高橋は、その秘密自体とはうまく付き合っているようにうかがえる。自身が宇宙人である特別性に酔いしれているふしさえある。しかし、気を許した友人たちにもその出自は隠しており、そのことで孤独は感じていた。であるから、清美に素性を明かすシーンにおいては、「ほんと誰にも言わないでね」と言いながらも、むしろ秘密を打ち上げたくてたまらない様子で、信じないなら放っておけばいいのに、能力を見せつけることで納得させていく。秘密を打ち明けたことで、地元の幼馴染3人組の中に職場の同僚のおじさんが強く結びついていく。そして、磯村(夏帆)と瑞稀(志田未来)という別コミュニティの間でも同様に高橋という秘密が共有され、高橋という超常現象の目撃情報、それを岸本(池松壮亮)が束ねることで、町民たちがにわかに連帯していく。秘密の共有によって親密なコミュニティが拡大し、“町”となっていく。ローカリティ、強盗、市長、マスコミ・・・構図や美術には『グランド・ブタペスト・ホテル』の参照が見てとれるが、物語としてはウェス・アンダーソン的というよりも、デイヴィッド・リンチ『ツイン・ピークス』や阿部和重『シンセミア』に近いものを感じる。*1そんな今作がこれからどんな秘密によって町を、物語を、駆動させていくのか楽しみでなりません。